認識約束観

俺らの信仰
http://gentosya.blog74.fc2.com/blog-entry-304.html

 バラバラの狩猟民族が人間社会を形成する時、存在や状態や行為に関する約束や契約が必要になる。ものの貸し借りや単語の定義や共通認識、そして法律や会社や国家も約束や契約の一種である。肉体の操縦に関する義務や責任や後始末はこの約束及び契約から導かれる。

この信仰では、君は他者との共通認識に基づいた約束観を認識する。背景として、俺は白人的な戒律主義に反対する。白人は現実における違和感を否定して、戒律や定義を重視してきた。

俺は現実に対する認識や違和感を優先すべきであると判断した。以下で、俺は認識約束観を提示する。

1:認識約束観

 共通認識 認識約束観とは、人間が物事とそれに関する取り決めを相互的に認識する約束観である。

1:定義と認識と約束

 白人は文字で書かれた定義に基づいて約束を形成する。しかし、この信仰では、俺らは相互的な認識に基づいて約束を形成する。白人の約束観は ‘ 機械約束観 ‘ である。

2:法律と約束

 この信仰では、俺らは認識を重視する。だから、俺らは法律を盲信しないし、俺らの認識や判断を文字や定義で書かれた法律に委ねない。

3:言語と約束

 この信仰では、俺らは単語や文法を他者との相互的な認識と認識する。白人は単語の定義を重視して、単語を機械に対する命令のような対象と定義する。しかし、俺らは単語を相互的な認識と認識する。

まず始めに、単語に対する認識が存在する。次に、単語に対する定義が存在する。そして、俺らはその定義を機械化して機会に読み込ませる。

2:認識約束観の使い方

 俺らが大和民族の定義や米国を考えるとき、認識約束観は重要である。

1:人種や民族〜日本人の定義?〜

 大和民族の定義を行うことは非常に難しい。しかし、俺らは数と同様に、誰か大和民族であるかなんとなく知っている。なぜなら、俺らは大和民族を ‘ 認識 ‘ している。

この認識は人種にも応用される。俺らは人種の定義を行うことができない。しかし、俺らは人種を認識しているので、俺らは人種を社会的構築物であると認識しない。

2:領土〜アメリカ大陸の多様性は自然か〜

 俺らがアメリカ大陸の上の白人や黒人を見るとき、俺らはその状態を不自然であると認識する。北極熊がインド大陸に存在するとき、俺らはそれを不自然であると認識する。

しかし、白人は定義や戒律のような契約を重視する。その結果、彼らは彼ら自身の不自然さを認識しようとしてこなかった。たとえ白人が彼らの状態を定義や文字や俺らとの約束で正当化するとしても、俺らはその状態を不自然と認識する。

もし俺らが認識を軽視して、定義や文字による約束を重視するならば、アメリカ大陸の上の白人の存在が肯定される。この信仰では、俺らはその種の約束観を採用しない。

3:共通した認識と人間社会

 白人は人種は社会的な構築物であると断言した。このとき、俺らは東洋人と白人とは認識が異なるので、同じ社会で生活できないと認識する。もし白人が人種を認識できないならば、黒人奴隷やモンゴロイド 人種の虐殺が存在しなかったので、俺らは白人と歴史に関する話を交わせない。

重要なことは国籍や宗教という定義や約束でない。人間社会の形成にとって、重要なことは共通した認識である。認識が異なるとき、俺らは同じ社会を形成できない。

3:個人的な違和感と認識

 俺は認識約束観の背景を提示する。白人は定義を重視するが、彼らは認識を軽視する。白人は知覚と信仰の人種であり、彼らには認識が存在しない。

だから、たとえ彼らの目の前でどんなに狂った物事が生じるとしても、彼らはそれをおかしい、変と認識しない。なぜなら、その物事は定義上や約束上正当である。

例えば、白人は白人の日本国民を日本人と定義して約束すれば、彼らは彼ら自身を日本人と呼ぶ。しかし、日本人を含む東洋小人種は白人が彼ら自身を日本人と呼ぶことに対して、違和感を覚えておかしいと認識する。

 東洋人にとって、白人の米国民はアメリカ人でなく、ユダヤ教徒の白人はユダヤ人でない。しかし、白人は米国民をアメリカ人、ユダヤ教徒をユダヤ人と定義して約束するとき、たとえ東洋人がアメリカ人やユダヤ人に関して、違和感を覚えるとしても、白人は違和感を覚えない。

なぜなら、白人は物事を認識できないので、彼らは機械約束観を持っている。彼らは一度米国民がアメリカ人、ユダヤ教徒がユダヤ人と定義され約束されると、彼らはまるで機械のようにその定義と約束を盲目的に守り続ける。白人は定義や約束を疑う能力を持っていないように見える。

なぜなら、白人は認識能力を持っていないので、彼らは違和感を現実に対して覚えない。だから、彼らはどんなに狂った法律や定義が提示されるとしても、それが整合性のある体系であれば、彼らはその定義や約束に沿って運動し続ける。まるで機械のように。

 この信仰の目的は分岐である。白人による機械約束観は機械と同じであり、非分岐物事である。だから、俺らは認識約束観を採用する。俺らは定義や約束に沿って盲目的に生きない。

俺らは現実を常に認識して、違和感を覚えることを重視する。

タイトルとURLをコピーしました