植村隆と慰安婦報道訴訟〜朝日新聞と報道の自由[冨田一彦]

制度
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20200206004743.html

 元慰安婦の証言を伝える記事を「捏造(ねつぞう)」と断定され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏がジャーナリスト櫻井よしこ氏や出版3社に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が6日、札幌高裁で言い渡された。冨田一彦裁判長は原告側の控訴を棄却した。植村氏は上告する方針。

https://www.asahi.com/articles/ASN266QRLN1KUTIL00D.html

 俺が植村を見るとき、俺は報道の自由を廃止して、報道の義務を代わりに採用すべきであると審判した。大和民族の大部分は植村を正しく批判しようとするが、俺はシステムを設計し直すべきであると審判する。

1:植村隆と朝日に対する俺の疑問

1:視点が白人〜社会性の欠如〜

 植村の視点はなぜか白人である。植村は人種的に民族的に侮辱されても、彼はぼーっと傍観する。たとえば、ある人間が東洋地域でアジア人は嫌、白人ハーフの子供がほしという行為は植村隆や朝日によって批判されない。

俺らはモンゴロイド人種で東洋小人種であるのに。もし俺がカメルーン地域で黒人はいや、白人ハーフが良いと言ったら、黒人も報道も怒るだろう。なぜ植村隆や朝日はこの侮辱を批判しないのか。

2:対峙しない

 植村は白人や外国人と対峙しない。彼は日本人ばかりに説教する。植村は大学教員と同様に対外的な意思疎通の全てを大和民族の中流層にやってきてもらった。

植村隆や日本国の報道は国際的な競争力でなく、対峙能力がない。対峙のためには、自己が必要である。

3:どちらの味方か?依存してるのに、攻撃する

 植村は大和民族に依存しながら、大和民族ばかりを批判する。植村の行為は日本人の女性や大学教員や報道関係者や弁護士にも見られる。植村が日本人ばかりや日本政府ばかりを批判するのは、白人に怒れない、白人と対峙するのが怖いからでは?

日本人女性にもこの種の人間がいる。彼らは醜い有色人種として生まれてきた。その腹いせに日本政府や日本人に当たり散らしている。

2:卑しい行為

1:すぐ訴える

 植村隆は桜井を訴えた。植村隆は言論で対抗しない。これは卑怯である。

植村隆は報道の自由と大和民族に甘えてきた。彼は彼自身の意見の正当性を彼自身で訴えようとしない。

2:被害者ぶる

 植村隆は批判されると、すぐに被害者ぶる。なぜなら、彼らは大和民族に依存してきた。結局、彼らは被害者ぶっても政府が彼らを守ると期待してきた。だから、彼らはいつまでも子供のように被害者ぶれてきた。

3:報道の自由の正当性

1:人間の本質から見る自由と義務

 人間の本質は自由でなく、義務である。だから、報道の自由でなく報道の義務にする。自由は人間と動物の違いを与えないので、自由は人間を動物のままにする。

2:対峙

 もし報道が外部との対峙能力を持たないならば、彼らは政府によって管理されるべきである。

3:依存と大局的な自立

 もし報道が政府や国家や民族に依存するならば、報道は大局的に自立していない。もし報道が大局的に自立していないならば、報道は自由を持たない。報道は政府や国家の管理下に置かれる。

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