女は人間でない?古代ギリシアのロゴスの意味

ホモ・サピエンス生物種
wikipedia
広告

 サウジアラビア教育アカデミーと住民相談所は、「女性は人間か?」という挑発的な題名のレクチャーが開催されると発表した。「題名は次のような形で解釈する必要がある。それは高水準、あるいは中水準、または低水準の女性というものだ。残念ながら大勢の人が、女性を低水準と考えて題名を解釈した。」

https://jp.sputniknews.com/life/201603031715742/

 日本人のgakushaは物事の意味を把握できてこなかった。キッズ・アイドルが性行為の意味を認識できないように、日本人のgakushaは古代ギリシアの「ロゴス」の意味を認識できない。彼らは欧州文明や地中海文明や中東文明、そして東洋文明ですら何かを認識できない。

以下で、俺は欧州文明や地中海文明や中東文明というコーカサス人種文明の意味を提示しよう。もし俺らがコーカサス人種の文明の意味を把握したいならば、俺らは女性や黒人奴隷やモンゴロイド人種奴隷(大和民族は欧州小人種でない)について深く思考するべきである。彼らの文明は奴隷文明である。

日本人のgakushaは社会性を持たないので、奴隷の意味を認識できない。そして、彼らはロゴスを論理となんとなく感じている。上記のサウジアラビアのアカデミーの「女は人間か?」は比喩でない。欧州は滅亡するか、イスラム教徒の中東人が勝利するだろう。そのあと、上記の意味は認識されるだろう。

広告

1章 ロゴスは論理か?

 俺の認識 ロゴスとは、人間が対象それ自体を取り出して分析するという「脳の操縦法」である。

 ロゴスとは、人間が対象それ自体を取り出して分析するという「脳の操縦法」である。ロゴスは論理でない。ロゴスは真理を獲得するための道具でない。

俺らが対象それ自体を分析して、結論を導出したい時、俺らはロゴスを使用する。ロゴスは一種の脳の使い方である。そして、その使い方は西洋よりもコーカサス人種に非常に特異的である。

本題に入る前に、俺らはロゴスに対する大和民族を含む東洋小人種の振る舞いを見てみよう。

1節 推論

  一般的に、人々が論理という単語を使用するとき、彼らは推論や推理としてのロゴスを思い浮かべる。例えば、地面の上の血痕から犯人を推理する。この時、人々は与えられた事実から論理をしようして、犯人の存在を導く。

2節 自己の意見の正当化

 論理は自己の意見の正当化のために使用される。大和民族を含む東洋小人種はこの正当化のための論理を苦手とする。白人は必ずしも数学を得意とするわけでないが、彼らは彼ら自身の意見の正当化のためのロゴスを非常に得意とするので、「論理的に」見える。

3節 コーカサス的ロゴス

 もしxが人間の形をもつ対象であるならば、xは人間である。この論理は間違いである。なぜなら、俺がxを人型ロボットやカエサルの彫刻であると仮定するとき、xは人間である。しかし、俺らは人型ロボットやカエサルの彫刻を人間と認識しない。

だから、たとえ俺らが俺らと同じ形をもつ対象を認識するとしても、その対象は必ずしも俺らと同じ人間でない。俺らは俺らと同じ形を持った対象を俺らと同じ人間と認識する必要はない。コーカサス人種は対象をこのように把握する。

2章 女性は人間でない?〜サウジアラビア教育アカデミー〜

 大和民族を含む東洋小人種はロゴスの意味を把握できない。だから、彼らはコーカサス人種が女性(正確には雌)を人間でないと定義してきたことの意味をどうしても把握できない。女性は人間であるかどうかは感覚的なものでなく、「ロゴス」である。

前の項におけるアラブ人による公演〜女は人間か?〜はアラブ人の馬鹿さの表現でない。アラブ人はバカでなく、彼らは物事をロゴスで思考してきた。だから、アラブ人は女を人間と定義しない。

アラブ人も白人も女性を人間と定義してこなかった。しかし、彼らは誰が人間であるかを今でも正確に定義できない。だから、彼らは人間の定義について悩んでいる(はず)。以下で、俺は彼らの思考を提示しよう。

1節 ロゴスと形

 例えば、アラブ人がある対象が自己と同じであるかを知りたいと仮定しよう。その時、彼らは1章の3節の思考を実行する。つまり、もし彼らの目の前の対象がそのアラブ人と同じ形であるならば、その対象はアラブ人の同胞(同じ人間)であるのだろうか?

当然、その対象が銅像や人型ロボットである時、上記のロゴスは間違いである。だから、彼らはたとえある対象がそのアラブ人と同じ形をもつとしても、その対象は必ずしも彼らと同じ人間でないと結論を下す。ここでは、彼らはロゴスをある対象が自己と同じであるか、つまりその対象が彼らと同じ人間であるかをロゴスで判定しようとする。

ちなみに、雄と雌の形は生得的に異なる。だから、雄が雌を同じ生物であるかを判定するとき、雄は上記のロゴスをそもそも使用できない。つまり、対象の形から、ある対象が俺らと同じであるかを判定できでない。

 俺が対象の形に関する 「ロゴス 」を使用して、女は人間でないと言う時、大和民族を含む東洋小人種は困惑して、「えっ?だって、女も男も同じ形じゃん」と返答する。この返答は東洋人はロゴスを理解できないことの証明である。

まるで後述の下等生物「犬」のように、東洋人は印象付けられら対象を疑わずに知覚する。東洋人は世界を雰囲気でふわっと把握してきた。東洋人は男と女の形がほとんど同じであるので、男と女は同じ人間であるとなんとなく感じてきた。

しかし、この感じには、ロゴスは存在しない。東洋人はロゴスを理解できない。彼らは対象から対象の形を純粋に取り出して、「形のみ」を分析できない。

2節 ロゴスと要素

 東洋人は男も女もほとんど同じ形を持ち、同じ構成要素から作られていると感じてきた。だから、東洋人は男も女も同じ人間であると雰囲気で把握してきた。もしxが人間と同じ構成要素を持つならば、xは人間である。このロゴスは間違いである。

なぜなら、動物や太陽や原子も女と同じ構成要素を持つ。もし動物が人間と同じ構成要素を持つならば、動物は人間である。もしこの論理が正しいならば、男や女を限りなく分解する時、動物も人間も車も同じ人間である。

3節 ロゴスと知能

 上記で見たように、人間の定義は人間の形や要素に無関係である。そこで、コーカサス人種は知能に着目した。人間と人間でない対象の違いは知能である。加えて、人間と人間でない対象の違いは話が通じることや社会性である。

アリストテレスは人間とは社会的な動物であると言った。もしxが社会性を持たない対象であるならば、xは人間でない。あるいは、もしxが人間であるならば、xは社会性を持つ対象である。

男性は女性は社会性を持たないと審判してきた。もしこの審判が正しいならば、もし女性が社会性を持たないならば、女性は人間でない。

4節 ロゴスと進化論

 先祖による人間の定義は歴史において観察されてきた。もしxが人間から生まれる対象であるならば、xは人間である。もしxが人間であったならば、xは人間の子孫を持つ対象である?(どっちが正しいかわからない)。要するに、カエルの子はカエルである。

しかし、進化論では、人間の先祖は猿である。この事実は上記のロゴスを破壊するので、キリスト教徒の白人は進化論に反対してきた。要するに、人間の先祖は猿であるので、先祖の存在は人間の定義に関係ない。

もし人間の定義が人間から生まれてくることであるならば、人間の先祖は猿であるので、人間は猿になる。東洋人が進化論を考える時、彼らは幾何学的な直感で猿から人間へと進化する描像を見てしまう。だから、彼らは上記のロゴスをうまく把握できない。

3章 なぜ人間の本質が重要であるか?

 上記の呟きは的を得ている。東洋小人種は高い知的能力を持つが、言語能力を持たない。さらに、彼らは法律の意味を認識できない。実際、東洋人の法律は経済や数理能力と異なり世界におけるコーカサス人種の文明との対峙能力を持たない。

1節 法律の適用範囲

 俺らが法律の適用範囲をきちんと定める時、俺らは人間であるものとそうでないものの境界をきちんと定義する必要がある。その時、俺らは人間を定義できるので、法律の適用範囲をきちんと定めることができる。

法体系には、人間の保護や人間に対する罰が存在する。この種の法律が実際に機能するためには、人間の定義が必要であり、それは人間の本質によって与えられる。コーカサス人種は牧畜民族であり、かつ法律に長けた成熟した人々であった。

だから、彼らは人間とは何であるかについて一生懸命思考してきた。なぜなら、彼らは人間の境界を定めて、人間を定義して、法律の適用範囲を明らかにする必要があった。

白人様
白人様

 対象の境界(定義)の重要性は日本人の科学者気取りによる ‘ 科学 ‘ という単語を見れば良い。彼らの科学という単語は境界を持っていないので、自然界と科学の違いが曖昧であり、自然界=科学になっている。その結果、彼らは何について話しているのかすらわかっていないように見える。だから、科学は不要であると批判される時、彼らは太陽の運動について語り反論を試みる。しかし、太陽の運動それ自体は自然界であり、科学でない。科学は自然界に関する情報であり、自然界は情報それ自体でない。

2:所有行為

 俺らが土地を所有する時、誰が土地を所有できるかが問題になる。動物は土地を所有できないし、胎児や幼児も土地を所有できない。人間のみが土地を所有できる。土地は商品へと一般化される。

3:殺人行為か動物虐待行為か?

 人間は人間を殺す時、その行為は殺人行為である。殺人行為が成立するためには、人間の定義が必要である。たとえば、胎児の中絶は殺人であるか?もし胎児が人間であるならば、中絶行為は殺人行為であり、医者は殺人犯として罰されるべきである。

実際、米国の医師は中絶行為に関してキリスト教徒(の白人)によって殺害された。なぜなら、その犯人は胎児を人間であると定義した。だから、医師は殺人犯であり、彼は野放しにされるべきでなく、罰されるべきである。彼のロゴスはこうである。

人間が何を破壊した時、その行為は殺人行為として法律によって罰されるべきであるか。

白人様
白人様

 日本人はロゴスの意味を認識できないので、中絶する医者を殺すキリスト教徒の白人を見て、 ‘ やばいやつ ‘ と発言する。しかし、彼らはバカでない。日本人を含む東洋人側が白人的なロゴスを理解できない。なぜなら、東洋文明はロゴスの文明でない。東洋文明はよく言えば現実的、悪く言えば、感覚と雰囲気の動物的な文明である。

白人様
白人様

 東洋人は思考できない。東洋人は記憶と引用を思考と錯覚している。東洋人はロゴスを認識できないので、物事を思考できない。彼らは生まれてから死ぬまで何も思考できない。彼らは文明を認識できない。

おまけ:ロゴスを知らない下等生物

Only One Good Girl – 976482

 犬は出っ歯で体毛の濃い四つ足の動物である。犬は言葉を正確に解さず、文字を扱えない。そして臭い。動画を見よう。そこでは、この下等生物がロゴスを認識できないことが記録されている。

女性飼い主が犬のぬいぐるみを彼女の右手で撫でて可愛がっている。その後、犬はそのぬいぐるみに嫉妬して、噛みついた。この行為はこの犬が対象の本質を対象の形と勘違いしていることを暗示する。

この下等生物は犬のぬいぐるみがこの生物と同じ形を持っているので、このぬいぐるみが犬であると勘違いした。だから、この生物は犬のぬいぐるみに噛みついた。

 日本人gakushaは女性やネグロイド人種や俺らモンゴロイド人種が男性や白人と同じ形を持っているので、女性もネグロイド人種も俺らモンゴロイド人種も同じ人間であると勘違いしてきた。しかし、その勘違いは上記のような犬の勘違いと同じである。

女もネグロイド人種もモンゴロイド人種も見た目が似ているので、同じ人間である。この感覚は犬のぬいぐるみを犬と誤認する犬と同じである。人間はロゴスを重んじる。だから、たとえある対象が俺らと同じ形を持つとしても、その対象は必ずしも人間とは限らない。

白人様
白人様

 下等生物は何かをみて、同じ人間であると雰囲気で感じる。その行為は上記の動画における犬と同じである。コーカサス人種はロゴスを重んじてきた。だから、たとえxが男を似た形を持つとしても、xは必ずしも人間と言えない。彼らはこう思考してきた(多分)。

タイトルとURLをコピーしました