神戸大学医師岩田健太郎と上昌広は先生か?儒教の弊害と統治者

大和民族
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2678dir/n2678_03.htm
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 コロナウイルスに関する岩田と上の行為は大和民族と儒教の弊害の象徴である。彼らは社会性を持たないので、彼らは統治を認識できない。学者は数理情報の製造者であって、統治者でない。以下で、俺は彼らの問題について提示する。

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1:統治者は専門家でなく、政治家である

 政治家とは、国民を統治する人間である。彼らは統治の正当性を持っている。上記の岩田も上も民主制度や統治の意味を認識できない。

1:専門家のいうことを聞け?

 日本人は専門家のことを聞きなさいと言ってきた。しかし、専門家とは、統治者でなく、数理情報の製造者である。彼らは農家や機械製造者の情報製造版である。国民は農家に統治される正当性を認識しない。

民主制度では、統治の正当性は選挙によって与えられる。選挙を経ていない専門家は国民を統治する正当性を持たない。彼らができるのは、彼らの信用可能な情報を製造することのみである。

東洋社会は儒教社会であるので、そこで先生や専門家はまるで統治者のように振舞ってきた。しかし、先生は単なる職業であり、統治の正当性を持っていない。

2:真理で人間を統治できない

 人間社会は真理でなく約束で動く。真理の主張は統治の正当性を専門家に与えない。岩田もそのほかの専門家も統治や統治の正当性を認識できない。

彼らは彼らの真理を主張すれば、国民や政治家は契約なしに彼らの想い通りに動くと錯覚している。だからこそ、彼らは組織を形成して、立法に間接的に関係しようとしない。岩田も上もそのほかの専門家も立法や統治や民主制度の意味を認識できない。

人間は真理でなく、約束で動くので、立法が重要である。だから、もし彼らが彼らの目的を達成したいならば、立法を作る法律作成者に干渉する。けれども、彼らは立法なしに国民を彼らの真理や知識で統治しようとしてしまう。

3:統治の主導権を握りたい〜でも責任は政治家〜

岩田と上が卑怯なのは、彼らは先生や専門家として国民を統治したいと考えてることである。彼らの行為は職業義務の範囲を逸脱している。彼らは医者の仮面を被りながら、選挙を経ずに統治者になろうとする。

電網上やTVにおける彼らの振る舞いは、数理情報の製造や引用を逸脱している。彼らは先導だけでなく、彼らは国民を政治家の代わりに知識や真理の主張で統治しているように思える。しかし、その役割と責任は日本国の政治家の役目である。

岩田だけでなく、日本人の学者や専門家は政治家は専門家のいうことを聞くべきであると感じているように思える。結局、日本人の学者は物事の意味を認識できないので、彼らは民主制度の意味を理解できない。繰り返すが、民主制度では、統治の正当性は選挙によって与えられる

2:問題点

1:儒教における先生

 儒教では、先生は尊敬されて、崇められてきた。生徒たちは先生の命令を絶対として行動してきた。この状態は先生という存在を統治の正当性に結びつけた。

この状態は民主制度の中では正当でない。なぜなら、統治の正当性は選挙によって与えられる。岩田や上は実に儒教的である。だからこそ、彼らは統治の正当性を先生の中に見た。

2:社会性の欠如

 岩田や上は正確な医学知識を持つが、社会性を持っていない。だからこそ、彼らは人間が彼らの真理でなく、約束や契約に沿って動くことを理解できない。約束を作るためには、彼らは人間組織を形成して、約束の製造者に干渉する必要がある。

しかし、彼らは報道の場に出て、彼らの真理を直接的に国民に主張して、統治者になろうとしているように見える。国民は選挙を通じて、統治者を選択している。国民がいうことを聞くのは、医者でなく、政府である。

3:統治の概念の欠如

 大和民族は牧畜を経由せずに、狩猟から農耕に変化した民族である。その結果、彼らは統治という概念をいまいち理解できてこなかった。日本国における大学組織や医者組織はめちゃくちゃである。

大学組織及び医師組織における個々の要素は必ずしも劣等でない。しかし、誰がそのシステムを設計して、統治するのかが不明である。その結果、医者は不要な労働、大学がグチャグチャである。

3:解決案

1:先生という単語をやめる

 俺らは先生という単語をやめるべきである。俺らが医者を先生と呼ぶので、彼らは彼ら自身を統治者と勘違いする。日本人の学者や医者は儒教と西洋の悪い部分を持っている。

2:職業義務に対する理解と名前

 日本人の学者や医者は職業をいまいち認識できない。彼らは職業を身分と菅被害している。職業は行為の義務である。

俺は医者は人体修理者、学者は数理情報の製造者、政治家は統治者と呼ばれるべき。つまり、職業は動詞+者で表現されるべき。その時、彼が何をすべき人間であるかが確定する。

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