石川康晴のセクハラとコンプライアンスという宗教〜楽天の北川拓也〜

大和民族について
https://ja.wikipedia.org/wiki/石川康晴

 クロスカンパニー社長の石川の性的嫌がらせ行為が明らかになり炎上した。一部の人間は解雇や刑事罰を求めているように見える。他の人間はコンプライアンスという西洋の基準を持ち出して彼を批判してきた。

しかし、俺はこの種の批判は正当でないと審判する。なぜなら、西洋社会では、性に対する善悪はキリスト教によって定義される。その結果、コンプライアンスという概念が生まれた。

石川の問題に関して、俺が知りたいのは石川康晴や北川拓也はどのような性規範を持っているかである。性に関するどのような行為に関して、石川や北川はどのようなレッドカードを提出するつもりであるのか?

1:石川康晴の行為に関する本当の問題

 本当の問題 石川康晴は性に関する善悪(レッドカード)を持っていない(ように見える)。

 俺が石川という存在に違和感を覚える。なぜなら、彼は性に関するレッドカードを持っていないように思える。だから、彼は審判や行為に対する取り決めを持たないサッカーの試合を競技しているように思える。

1:石川の宗教は何であるか?

 俺が石川の行為を見るとき、俺は彼は無宗教であると審判した。なぜなら、彼は性規範を持っていない。彼は仏教やキリスト教の性規範を持っていないし、彼は神道の性規範も持っていない。

石川は宗教を持っていないので、彼は性規範の重要性を認識できてこなかった。その結果、彼はこの種の行為を実行した。もし石川が何らかの宗教を持ち、その宗教の中で彼の行為が正当であると信じるならば、彼は彼の行為を正当化すべきである

繰り返すが、俺が一番問題であると感じるのは、石川の性規範が明らかでないまま、彼の行為が炎上して、社長か何かを退任した。しかし、誰も石川の性規範を知らないので、なぜ石川がこの種の行為に及んだのか理解できていない。

2:宗教と性規範

 経験則 宗教が性に関する行為の正当性を与えてきた。

 日本人の大部分は宗教の重要性を認識できない。宗教は他人を救うことでなく、善悪の正当性を与えることである。上記の石川の問題は宗教の欠如からくる、性に関する行為の正当性の欠如である。

1:石川が無宗教ということ

 一部の日本人は彼ら自身を無宗教と発言してきた。しかし、無宗教であることは、性に関する行為の善悪(レッドカード)を持っていないことである。だから、無宗教の日本人は、たとえどんなに狂った行為が彼らの目の前で行われるとしても、彼らは彼らのレッドカードをその行為に対して出すことができない。

3:コンプライアンスとキリスト教

 非キリスト教徒の東洋人 コンプライアンスはキリスト教の概念である。だから、無宗教の東洋人はこれに服従するな。

 一部の日本人はコンプライアンスを導入しろと言ってきた。しかし、コンプライアンスはキリスト教における性行為に関する規範である。だから、俺らが彼らの規範に服従することは正当でないので、俺らはコンプライアンスを無視しろ。

1:宗教が異なるということ

 東洋と西洋では、宗教が異なる。その時、性行為に関する規範もまた異なる。つまり、西洋と東洋では、性行為に対するレッドカードが完全に異なる。

例えると、西洋社会はサッカーをやっていて、東洋社会は卓球をやっている。卓球では、ボールを蹴ることはレッドカードである。サッカーでは、ボールを道具で叩くことはレッドカードである。

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