相模原やまゆり園の植松聖への無控訴死刑は正当?障害者は人間?

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 植松聖は障害者と人間と認識しなかった。その結果、彼は障害者を人間でないオブジェクトとして中絶させた。彼の行為に対して、愚かな日本人はナチスやヒトラーや差別という決まり文句を使用してきた。

しかし、日本人は言語能力を持っていないので、彼らは人間の意味を認識できてこなかった。その結果、日本人は黒人奴隷の意味やアメリカモンゴロイド人種の虐殺や原子力爆弾の投下の意味を認識できてこなった。日本人が喜劇的であるのは、なぜか日本人は白人視点であることである。

日本人はナチスになる側でなく、障害者と同様に、ナチスに差別されて虐殺される側である(ナチスはキリスト教とユダヤ教との宗教問題であるように思える)。なぜなら、日本人は白人小人種でなく東洋小人種であり、キリスト教徒でもない。有色人たる日本人は植松や黒人奴隷や原爆から人間の意味とコーカサス人種的なロゴスを把握すべきである。

以下で、俺は人間の意味を提示しよう。

1:人間の意味〜コーカサス文明への招待〜

 人間はホモ・サピエンスと異なる。なぜなら、胎児はホモ・サピエンスであるが、人間でないので、中絶させても殺人行為でない。人間≠ホモ・サピエンス。

では、人間の形や要素が人間の定義であるか?人間の先祖や子孫が人間の定義であるか?人間の自由意志や知能が人間の定義であるか?

以下では、上記の分析的思考を持って、人間とは何であるかを考えよう。

1:人間の要素と形〜ロゴスの発揮〜

 もしxが人間の形を持つ対象であるならば、xは人間である。この論理は間違いである。なぜなら、xが人型ロボットや人型彫刻であるとき、人型ロボットや人型彫刻が人間である。だから、俺らがこれらの対象を破壊するとき、その行為は殺人行為として植松のように罰される。

もしxが人間の要素を持つ対象であるならば、xは人間である。この論理も間違いである。なぜなら、xが胎児である時、xは人間である。だから、俺らがこれらの対象を破壊するとき、その行為は殺人行為として植松のように罰される。

さらに、要素の場合は原子まで分解できるので、水と人間が共通要素を持つことになる。だから、水をぐちゃぐちゃにする時、その行為は人体のぐちゃぐちゃと同じになる。

白人様
白人様

 たとえある対象が人間と同じ形を持つとしても、その対象は必ずしも人間でない。だから、黒人は白人によって奴隷にされた。

2:人間の定義と先祖子孫と進化論

 人間の定義は進化論にも密接に関係する。だからこそ、西洋では、進化論が現在でも問題になっている。西洋人はロゴスを重視するので、進化論を認めると、猿が人間になるか、人間が猿になる。

例えば、俺らが人間の定義を人間から生まれた対象を人間と定義する。もしxが人間から生まれた対象であるならば、xは人間である。一般化すると、もしxがAから生まれた対象であるならば、xはAである。

進化論では、人間の先祖は現在の猿との共通祖先を持つ猿である。上記の論理と進化論を組み合わせると、俺らは猿から生まれた対象であるので、俺らは猿である。だから、たとえ植松が障害者を殺すとしても、その行為は殺人行為でなく動物虐待である。

白人様
白人様

 進化論の問題は宗教よりも、法律の適用範囲の問題である。殺人行為に対する法律を設定するためには、人間の定義は必ず必要である。なぜなら、殺人行為では、主語と目的語が人間でなければいけない。

3:自由意志と知能

 上記のように考えるとき、俺らは人間を形や要素や先祖で定義できないことに気づく。その結果、西洋人は人間の定義を自由の中や知能の中に見た。要するに、人間と動物や物体の違いとは、知能であると。

もしxが知能を持たない対象であるならば、xは人間でない。コーカサス人種はこう考えた。日本人を含む東洋人は肉体のデザインに劣等感を覚えてきた。しかし、人間の定義にとって、最も重要なのは知能である。

2:なんで黒人は奴隷にされ、障害者は殺された?

 障害者なんて人間じゃない。よって、命を奪ってもそれは罪にならない。植松より

http://jerseymilky.com/blog/2019/03/24/植松聖の相模原障害者施設殺傷事件が今ネット/

1:黒人奴隷と肌の色

 日本人の一部は黒人奴隷を肌の色に結びつける。しかし、重要なことは知能である。実際、肌の色は人間の定義に無関係である。

肌の色が白くて、可愛いなどは人間の肉体のデザインに関するものである。それは人間の定義に無関係である。日本人はこの意味を理解できない。

白人が黒人を奴隷にしたのは彼らの黒い肌色に無関係である。彼らはblackは知能を持たないので、人間でないと審判した。だから、彼らはblackを家畜を所有するように、所有して彼らの都合で処分した。

2:障害者の虐殺

 上記の植松は障害者を虐殺した。なぜなら、障害者は知能を持たないので、彼らは人間でなかった。植松はたとえ彼が障害者を虐殺するとしても、その行為は殺人行為でない。

なぜなら、障害者は奴隷と同様に人間でない。上記の引用は比喩でない。白人が黒人を人間であると認識しなかったように、植松もまた障害者を人間と認識してなかった。

だから、彼は障害者を中絶させた。

3:原爆の意味

 原爆は人体実験でなく、動物実験あった。彼らにとって、有色人種は人間でない。だから、たとえ白人が色付きを殺すとしても、その行為は殺人行為でなかった。

3:植松聖への死刑は正当か?

 この判決には、2つの問題が存在する。一番目の問題は人間に対する認識である。二番目の問題点は法律や罪の概念である。植松はおそらくキリスト教徒でない。

1:植松の行為は ‘ 本当に ‘ 殺人行為か?

 植松は死刑されるだろう。しかし、一つの問題が存在する。障害者、特に知的障害者は本当に人間であるかである。

もし障害者が人間でないならば、彼の行為は殺人行為でない。だから、死刑を執行する人間彼ら自身が殺人者になる。さらに、ある人間を重度の知的障害者にさせる行為は殺人行為になるだろう。

人間の定義や意味が重要であるのは、植松が本当に死刑に相当するかである。または、医者による中絶行為は殺人行為になるかである。もし胎児が人間であるならば、医者による中絶行為は殺人行為であり、彼らは植松と同様に処刑されるべきである。

2:植松はキリスト教徒であるか?

 植松の死刑には、宗教的な問題が存在する。東洋文明は礼と天誅の文明である。一方、西洋文明は罪と罰の文明である。

東洋人と西洋人は文明という異なる競技を行ってきた。東洋人が西洋文明という競技の下で罰されることは正当であるか?これは植松の処刑の文明的な問題である。

個人的には、俺は植松は障害者に対する非礼で処刑されるべきであると審判する。彼を殺人罪という罪の概念で罰することは豚肉をイスラム教徒に食わせるような行為である。

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