創造主とシステム(人家)と正当性

俺らの信仰
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 ここでは、俺らは物質的世界の創造主とその正当性について認識する。俺らは球蹴りの具体例を提示しながら、俺らはその魚拓を俺らの脳に埋め込む。

東洋人、特に学者や医者や弁護士の優秀さは球蹴り選手としての優秀さである。それに対して、白人の優秀さは球蹴り審判や球蹴りという人家(system)の創造の優秀さであった。彼らは人家(system)を創造して、審判することを得意としてきた。

その結果、近代における彼らは民主制度や裁判制度や科学制度や教育制度、そして宗教制度を創造してきた。優秀な東洋人はその中で競技してきた。これらは人家(system)と呼ばれてきた。

1:systemとは?

 共通認識 systemとは、集合と要素と取り決めの組である。システム=(集合 , 要素 , 取り決め)である。日本語訳は人家である。

 systemは競技者と審判者と創造者からなる。また、systemは正当性を持つ必要がある。例えば、なぜ日本国憲法が正当であるか、なぜ男女平等が正当であるかが正当性に関する疑問である。

1:システムの具体例

1:国家=(国家 , 国民 , 法律)

 西洋では、国家もシステムの例である。国民が要素であり、枠組みとして国家それ自体が集合で、要素の行為に対する取り決めが法律である。

2:世界=(空間 , 物質 , 自然法則)

 西洋人は世界をシステムとして定義する。空間は集合であり、原子は空間の中の要素であり、原子の運動に対する物理法則は取り決めである。理論物理はこのシステム的な世界観に基づいて行われてきた。

3:家=(建物 , 家族 , ルール)

 家族もシステムの例である。建物が集合であり、その中の人々が要素であり、家族のルールが取り決めである。

4:会社=(会社組織 , 社員 , 法律)

 西洋人は会社も一つのシステムとして捉えている。だから、彼らは近代で大企業を形成できてきた。会社組織が集合であり、社員が要素、会社の規則が取り決めである。

5:数学=(集合 , 要素 , 数学的構造)

 現代数学では、集合と数学的構造が重視されてきた。この考えは白人的なシステムの考えからきている。集合が存在して、集合の要素としての点が存在する。そして、その要素に対して数学的構造を与える。

6:サッカーなどの試合=(競技場 , 選手 , ルール)

 試合が集合であり、選手が集合の要素であり、ルールが選手の行為に関する取り決めである。

2:systemの登場人物

 systemには、競技者と審判者と創造者が存在する。競技者はsystemの中で競技する。審判者は競技者の行為を善悪というレッドカードで制御する。創造者は善悪(レッドカード)を含むsystemそれ自体を創造する。

創造者はsystemの集合とその中に所属すべき要素とそれらに対する取り決めを創造する。球蹴りでは、要素が選手であり、試合や業界それ自体が集合、そして選手の行為に関する取り決めが球蹴りの規則である。一般的に、創造者は見えない。

上記の具体例は会社や国家にも一般化される。一般的に、東洋人の医者や学者や官僚の優秀さはsystemの中の選手として優秀さであり、西アフリカ人の短距離走というsystemの優秀さに近い。それに対して、白人の優秀さはsystemの創造者とsystemの中の審判者として優秀さである。

3:systemの正当性に関する暗黙の了解

 systemの創造者はsystemを彼の思うように創造できる。その空間の中で、彼らは彼らの善悪というレッドカードを好きなように設計できる。米国を見ればわかるように、企業というsystemの創造者はその企業の中でほぼ好き勝手に振る舞える。

要するに、彼らは運動競技というsystemの創造者に等しい。だから、彼らは選手がある球体を彼らの両手で持つことが善か悪であるかを決定できる。つまり、創造主はsystemの中での行為の正当性を彼らで決定できる

結局、球蹴りにおいて、なぜ選手は球体を両手で持つことはレッドカードであるのかは不明である。なぜなら、創造主がそのように決定したとしか言えない。

2:systemの創造主と正当性

 経験則 もしxがsystemの創造主であるならば、xはsystemにおける正当性を決定できる対象である。簡単にいうと、systemの創造主が正当性を決定するである。

 俺らは物質的世界を一つのsystemと認識できる。要素は素粒子であり、集合が宇宙であり、要素に対する取り決めが物理法則である。もし物質的世界もまたシステムであるならば、その取り決めと創造主は誰であるか?

キリスト教では、創造主の下では人類は皆平等であった。だから、米国では白人も黒人も黄色人も平等であった。なぜなら、この世界の創造主がそういった。

要するに、キリスト教徒は彼らの文明を平等という取り決めの下で競技してきた。上記の会社のように、物質的世界の創造主が行為や状態の正当性を決定した。そして、俺らはその物質的世界の中で競技する球蹴り選手のように振る舞ってきた。

1:物質的世界と物理法則の正当性

 この信仰では、俺らは物理法則を物質的世界における正当な取り決めをみなさない。つまり、俺らは物理法則を押し付けられて、奴隷化されている。例えると、俺らはキリスト教における正当性を押し付けられている。

この信仰では、俺らは物質的世界の創造主を信仰しない。だから、俺らはsystemの正当性を決定できる創造主が存在しないと信仰する。要するに、上記の経験則が成立しない。

例えば、ある組織や公園での取り決めなきなんでもありの玉蹴り行為が自然発生的に生まれるとき、その組織は行為の正当性を持たない。なぜなら、その組織の創造主が存在しない。同様に、物質的世界には、創造主が存在しないので、物理法則は正当性を持たない。

2:正当性のない組織の具体例は大学

 日本の大学組織もどきは自然発生的であり、なんら正当性を持っていない。彼らはなんら取り決めなき世界に生きている。彼らの組織もどきは公園での小学生による取り決めなき遊びに等しい。

公園での小学生による取り決めなき遊びこそがまさに物質的世界における自然法則に近い。日本の大学組織=子供の遊び>物質的世界における自然法則。

3:分岐と正当性

 この信仰では、俺らは分岐世界観を採用する。俺らは物質的世界から分岐するとき、物質的世界における取り決めから逃れられる。俺らは少し自由になり、俺らは正当性、つまり真理を創造できるようになる。

実際、俺がこの人工世界「俺らについて」を創造できたのは、俺のヌシが物質的世界および蟲的世界から分岐していたからである。そして、俺は正当なsystemを創造できた。

3:科学と医療の正当性

 科学と医療における各行為も一種のsystemである。その中における行為の正当性が存在する。日本人の科学者は科学的行為によって製造された情報を真理を主張する。

しかし、それは間違いである。科学というsystemの中で、科学的行為は正当であると認識されてきた。だから、正当な行為に基づいて製造された情報も正当であると認識されてきた。

科学的な行為それ自体は人工的な行為であり、球蹴り選手の行為に対応する。科学的な行為にもその選手の行為にも、systemによって与えられた正当性が存在する。ある蚕が存在してそれが数理情報を製造する時、その蚕の行為はある種のsystemの中で正当でなければいけない。

 その時、俺らはその蚕が製造する情報を信用する。当然、蚕の行為の正当性と蚕の生産物の正当性の関係をきちんと関連づける必要がある。つまり、もし蚕の行為が正当性を持つならば、蚕から製造される情報もまた正当性を持つという論理を証明する必要がある。

 医療行為はよりわかりやすい。善悪は物質的世界に存在しない。だから、ある種の医療行為が正当であるかは科学の問題でない。例えば、老人に対する安楽死や輸血拒否に関する問題は科学でなく、systemにおける正当性の問題である。

90歳の老人を高額な医療費で救済すべきであるか?これは科学でなく、systemにおける行為の正当性の問題である。キリスト教徒と仏教徒では、systemや競技それ自体が異なるので、異なる答えが排出されるだろう。

 結局、科学的な行為も医療的な行為もなぜ球蹴り選手が球体を持つことがレッドカードであるかに答えられない。なぜなら、それらの創造主がそう言った、または創造主がそのように設計したからであると返答できる。そして、これらの制度はうまく機能してきた。

この信仰では、俺らは科学的な行為をあるsystemの中で正当性を持つ行為と認識する。俺らはそれを真理と認識しない。科学的な情報は信用可能であり、使用可能である。俺らは科学をある種の運動競技における行為と認識する。

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