observeは観察すると日本語訳されてきた。この日本語訳は間違いでない。しかし、俺は宗教的な解釈をこの単語に与えたい。
以下で、俺は宗教的な解釈をobserveに与える。白人の科学者と東洋人の科学者では、observeに対する感覚が完全に異なっているように見える。なぜどのようにニュートンやアインシュタインはこの世界の創造主が創造した世界にobserveしたのか?
古代ギリシアにおける科学と一神教のキリスト教以後の科学は非常に異なるだろう。俺はアリストテレスとニュートンが同じ科学者であると審判しない。俺は自然界に対する彼らの観察(observe)が同じであったと審判しない。
1:serveの解釈
serveの日本語訳は仕えるである。悪くいうと、召使いになる。では、誰が誰に仕えるのか?
当然、人間がこの世界の創造主に仕えるである。俺はこの単語を宗教的に解釈する。その時、俺はこの単語の意味をなんとなく把握できる。
1:宗教組織の仕組み
宗教組織の中で、一番偉い人が創造主に仕える。そして、その次の人が創造主とその偉い人に仕える。これを繰り返して、宗教組織が形成される。
当然、信仰者の一部は創造主に直接的に仕えたいと考える。聖書を重視する考えはこの感情に関係するかもしれない。
創造主が存在する。それがこの世界を創造した。ある種の人間は創造主、または創造主及びその世界に仕える。これが宗教組織の基本的な仕組みである。
2:創造主の言葉と司祭
創造主はこの世界を創造した。宗教関係者は創造主の言葉を聞く必要があった。そして、彼らは信仰者たちにその言葉を伝える必要があった。
宗教関係者は創造主に仕えて、創造主の言葉を聞き、それを信者に伝える。彼らは媒介(agent or agency)である。
2:科学におけるobserveの解釈と印象
創造主は自然界を創造した。信仰者はその自然界に仕える必要がある。彼らは創造主の意志とその情報を信者に正確に伝える必要がある。
1:科学者に対する解釈
創造主が自然界を創造した。科学者は創造主に仕えている。だから、彼らは創造主が創造した自然界にきちんとserveすることは彼らにとって正当な行為である。
実際、ニュートンは創造主の意志を知りたくて、自然界を調べた。彼は自然界を調べたというよりも自然界に仕えた。科学者は司祭や大司教や教皇を必要としない。
彼らは論文という聖書を直接的に読み、彼らは創造主が創造した自然界に直接的に仕えてきた。
2:創造主の自然界と科学者と国民
創造主は自然界を創造した。科学者がその自然界に仕えた。彼らはその自然界の言葉を国民に伝えた。
科学者もまた単なる創造主と信者を結ぶ媒介である。
3:自然科学における観察と数式
科学者が自然界に仕えるとき、自然界の様子を信者に伝えるための言葉が問題になる。言葉は媒介である。ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も同じ創造主を信仰しているらしい。
しかし、創造主の言葉が異なる。創造主の仕え方が異なる。その結果、彼らは宗教的に争ってきた。
彼らの宗教では、媒介が異なる。だから、彼らは争ってきた。この時、俺らは媒介の重要性を知る。では、自然界はどうだろうか?