車体と肉体と人体について

俺らの信仰
https://en.wikipedia.org/wiki/Brain

 共通認識 車拓とは、俺らが俺らの車体を車に例える魚拓である。

 俺らは俺らの体を肉体と呼んできた。この信仰では、俺らは車体と肉体を明確に区別する。

1:車体

 共通認識 車体とは、ヌシが(生得的に)一次的に所有する物質である。

 要するに、車体とは、俺らの体(body)である。それは科学的な対象である。上記の定義は便宜的な定義である。俺は上記の定義や認識は定義になっていないと審判する。

例えば、機械の腕や痛みの感じる範囲が定義されていない。

1:車体と道具(tool)

 この信仰では、俺らは車体を単なる道具と認識する(車)。車が道具であるように、車体も道具である。車に対して、デザインが定義されるように、車体に対しても、デザインが定義される。

車体は全体と部分に分類される。歩くという行為は車体の全体の行為であり、持つや言うは車体の部分の行為である。日常的には、骨と筋肉(引っ張る糸)と神経(脳も?)からなっている(科学書を調べて)。

この信仰では、車体のある種の行為に対する俺らの魚拓はヌシである運転手が車体を人為的に操縦するである。ヌシが俺らの車体の部分である脳を人為的に操縦して、神経を通じて、筋肉を刺激して、骨を運動させるである。ただし、心臓のような自動的に運動する部分を除く。

2:自動運動と行為(人為的行為)

 車体は自動車と同様に、自動的な運動と人為的な操作に分類される。心臓の動きは自動的である。しかし、物事を判断する行為は人為的であり、自動的には行われない。

3:車体と脳 

 この信仰では、脳も車体の単なる部分である。そして、思考とは脳の部分的な運動である(部分行為)。俺らが俺らの脳を人為的に動かす時、俺らはある種の運動を達成するための道具が俺らの脳の中に存在するかをきちんと感じ取れ。

例えば、俺らがある状態を危険と審判したいとき、俺らは俺らの脳の中に危険を審判するための道具(神経細胞)が存在するかを思い出せ。速筋なき人間は短距離で走るための道具を持っていないので、短距離走に向いていない。同様に、ある種の神経細胞?や遺伝子が存在しない人間は危険を察知する道具を持っていないので、その行為に向いていない。

2:肉体

 共通認識 肉体とは、車体とその車体の蟲の和である。

 俺は和か組かを迷った。現時点でも、俺はどちらが適切であるかを審判できない。

3:人体(ヌシ体)

 共通認識 人体とは、車体とその車体の蟲とヌシの和である。

  俺は和か組かを迷った。現時点でも、俺はどちらが適切であるかを審判できない。

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