紫綬褒章IPMUの天才理論物理学者大栗博司は本田圭佑か〜日本人学者の知的欠陥〜

大和民族について
https://ja.wikipedia.org/wiki/大栗博司
ABC予想の望月新一のブログとIPMUの天才大栗博司の知的欠陥
 このような歴史的な観点から考えても、「ノー」と言うべきときには、明確かつ毅然とした姿勢で「ノー」を発信することは至って重要なことです。 最後に、もう一つ、このような文脈で2018年に強く感じたことを記録しますと、大学の将来計画等の様々な書類において「世界をリードする」という文言をよく目にしますが、(私の印象では)多くの場合には、この表現は非常に不適切な、「履き違えた」ような意味で用いられています。つまり、以前の記事(=2017-11-21付け)でも言及した通り、このような表現を用いる多くの大学関係者は、「世界をリードする」=即ち、欧米の主流や流行りを日本でもいち早く導入し(言い換えれば、いち早く「ダウンロードしてインストール」し)、その欧米の主流や流行りに対して精一杯、究極的な「イエス」を発信することこそが「世界をリードする」ことであるというような考えの下で表現を用いているような印象を強く受けています。 俺はABC予想が解決されたと審判しないし、査読に関する彼の行為にも賛成しない。しかし、俺が望月のブログを読んだ後、俺は彼の発言(彼の感情や魂の叫び)には一理あると審判した。...

 この記事の前提 俺は大栗博司の数理能力を疑っていない。正確には、俺は彼の専門における能力を疑っていない。

 大栗博司は天才であると認識されてきた。しかし、俺は彼は天才でないと審判する。以下で、俺は大栗博司の知的欠陥について述べる。

なお、彼の名前には、意味がない(個人的な恨みはない)。彼は公人であるので、俺は彼の知的能力について述べる。彼は日本人だけでなく東洋人としても最高の知的能力を持っているように見えるので、具体例として適切であると審判した(以下の文章は日本人の学者に一般化される)。

日本人の学者は日本人によって見下されて、軽蔑されてきた。大栗博司を含む日本人の学者のバカさは本田圭佑のバカさに似ている。誰も彼のサッカー能力を疑っていないが、彼の製造に関する運動能力やバレー能力を疑っている。

 同様に、日本人は大栗の知的能力を疑っている。ただし、数理能力以外。

1:物事を考えるのが苦手(数理以外)

 俺の憶測 もしxが大栗博司であるならば、xは大栗の脳を人為的動かすことを苦手とする人間である。

 大栗は物事を考えるのをそもそも苦手としているように見える。彼の知的能力は理論物理における数理能力と記憶能力と引用能力と実況能力に偏っている。これらの能力の特徴は人為的な能力でなく、生得的であり、自動的に運動する(試験で測定されやすい)。

例えると、大栗の知的能力は西アフリカ人の瞬発能力に似ている。大栗の能力も西アフリカ人の能力も生得的な能力である。それらは努力しなくても、自動的に動く能力である。

それに対して、人間の製造能力はより人為的である。ネグロイド人種の大部分はこの製造能力に長けていない。同様に、大栗は彼の脳を人為的に動かすことを苦手とする。その結果、バカっぽく見える。

 以下で、俺は脳の人為的な行為を提示しよう。

1 俺の憶測 結論を下すのが苦手〜下すよりも導く〜

 俺は大栗は結論を下す行為を苦手とする。例えば、彼はアメリカでは、男女平等であると実況した。俺が彼の発言を見た後、俺は彼が何を言いたいのか理解できなかった。

アメリカが男女平等。だから何と?

なぜなら、彼の発言には、結論がない。実況行為と引用行為ばかりである。彼はその実際の状態(平等)から、何を導きたいのか不明である。俺の印象によると、彼は男女平等を引用した後、彼は日本人が男女平等になるような社会を作って欲しいと期待している。

しかし、それは結論でない。結論を下す行為(脳の行為)とは、男女平等が日本国で正当であることを導くことである。大栗は彼の脳みそを結論を下すように運動させれないので、彼は結論を下せない。

 従って、男女平等であることは日本国で正当である。大栗はこれを提示する必要がある。この種の行為は菊池誠などの物理学者にも観察される。俺が彼の研究費を調査しようとするとき、菊池は大学の自治という単語を繰り出して、俺の行為を妨害しようとする。

菊池もまた結論を導けない。本来であれば、菊池は大学の自治から、なぜ俺が菊池の研究費を調査していけないのか、なぜその調査が正当でないのかを導く必要がある。しかし、彼はその行為を怠ってきた。

2 俺の憶測 審判能力の欠如

 俺は大栗は物事を審判することを苦手とすると憶測する。例えば、彼は彼の肉体のデザインの劣等さを劣等と審判できない。加えて、彼はホームページや町並みのデザインの劣等さを劣等と審判できない。

動物は肉体のデザインの劣等さを審判できない。大栗も肉体のデザインの劣等さを審判できない。なぜなら、デザインの劣等さに対する審判は心臓のような自動運転でなく、俺らの意志による脳の人為的な運転である。

実際、大栗は彼の脳を人為的に動かすことを苦手としてきた。だから、彼は彼の脳を人為的に操縦して、デザインの劣等さを人為的に審判できてこなかった。

3 俺の憶測 善悪の判断能力の欠如

 俺は大栗は物事の善悪を判断することを苦手とすると憶測する。例えば、大栗は劣等なデザインが善であるか悪であるかを判断できない。その結果、劣等なデザインは放置され続ける。

善悪は自然界には存在しない。だから、たとえ大栗の脳が自動的に動くとしても、その運動から善悪は生じない。善悪の判断を下すという行為は非常に人為的である。

大栗は彼の脳を人為的に操縦することを苦手としてきた。だから、彼は善悪の判断を下すこと苦手としてきた。なぜなら、それは大栗の脳の非常に人為的な行為である。

2:分析的思考の欠如〜気体や液体のような思考〜

 俺の憶測 もしxが大栗博司であるならば、xは物事を分析できない人間である。

 大栗は天才と呼ばれて、全知全能の創造主のように畏怖されてきた。しかし、彼の知的能力は数理能力の高さである。彼の知的能力=数理能力≠善悪の判断能力である。

なぜこの種の状態が生じるのか?なぜなら、日本人は対象の物事を分析できない。言い換えると、日本人を含む東洋人の思考は分析的な思考でない。一般的に、東洋人の思考は関係性思考(包括的思考)と呼ばれてきた。

しかし、実際には、東洋人の思考は関係性思考よりも気体型思考や液体型思考に近い。彼らの思考には、対象同士の境界がなく、空気のようにぐちゃぐちゃである。その結果、知的能力すらまともに分析されてこなかった。

1 空気のような気体型思考と個体型思考

 空気は窒素や酸素や二酸化炭素、そしてアルゴンのような希ガスから構成されていた(はず)。大栗は対象を空気のように捉えるので、彼の思考には、境界が存在しない。日本人もまた大栗を天才と呼ぶが、大栗の知的能力を空気のように捉えて天才と呼んでいる。

大栗の知的能力、数理能力は二酸化炭素やアルゴンに近い。大栗の思考は気体や液体のような思考であり、脳の運動の境界が曖昧ではっきりしない。その結果、大栗は彼自身をなんか頭が良い、他者を彼のよりもなんかバカっぽいと感じてきた。

大栗は彼自身の数理能力を基準として他者の知的能力を捉えるので、彼は他者をバカであると感じる。彼の感じは本田圭佑が卓球選手を見て、運動神経が悪いと感じるようなものである。しかし、卓球における運動≠サッカーにおける運動であるので、卓球選手の運動能力が低いわけなく、運動能力の種類が異なる。

 それに対して、白人の思考は個体型思考である。彼らの対象の境界は個体のようにはっきりしている。俺の憶測では、白人社会では、学者と政治家の間に明確な境界が存在するはず。なぜなら、白人は統治に関する脳の運動と数理に関する脳の運動を異なる対象として別々に分析している。

2 対象それ自体を分析できない〜デザイン〜

 大栗は対象それ自体を分析できない。例えば、俺が白人の肉体のデザインは優れているというとき、典型的な日本人は白人は老けやすいと返答する。白人が老けやすいのは事実であるが、その対象はデザインでない。

このように、日本人は対象それ自体を分析できない。彼らの知的能力は世界を気体や液体のように境界のない世界として把握している。対象は境界によって切り取られることにより、初めて成立する。俺らは俺らの脳によって認識された世界をきちんと切り取って、境界を設定する。そのとき初めて、対象が個体として生じる。

デザインは一つの対象である。しかし、大栗はそのデザインを一つの対象として認識できない。その結果、大栗は肉体のデザインを認識できないできたので、彼は肉体のデザインの劣等さも審判できない。さらに、デザインの劣等さが善か悪かも判断できない。

3 トンチンカンな反応

 大栗を含む日本人はトンチンカンな反応を繰り返してきた。彼らは対象や題目それ自体に言及できない。その結果、彼らの反応はずれてきた。

文章の題目は一つの対象である。しかし、大栗は文章を気体や液体のように教会のない世界として捉える。その結果、彼らの反応は常にずれてきて、題目でない反応や無関係な反応や揚げ足取りが生じてきた。

例えば、俺が大栗に超弦理論が赤字であることは善であるか悪であるかと質問すると仮定しよう。その時、大栗は超弦理論は実際の理論物理や実験物理にも応用されていると返答する。しかし、質問の題目?は善であるか悪であるかである。

 俺が聞きたいのは事実でなく善悪である。俺が提示したい対象は善悪である。しかし、大栗は俺の質問をぼんやりと把握する。

その結果、彼の反応は ‘ 事実 ‘ であるが、トンチンカンである。おそらく、超弦理論が実際の理論物理や実験物理に応用されていることは事実であるだろう。しかし、それは俺の質問の題目?という対象それ自体でない。

当然、この種の性質は日本人へと一般化される。日本人は他人の文章を切り出して、その主題を対象として取り扱えない。言い換えると、日本人は物事を対象化できない。

4 選手としての行為と統治行為や管理行為は別の行為

 大栗は対象それ自体を分析できない。だから、彼は選手である自覚を持たずに、組織の統治や管理までやろうとする。なぜなら、大栗は(理論物理の)天才である。

日本人の学者の管理能力や統治能力の低さは対象に対する彼らの分析の欠如にある。彼らは数学できる=頭が良い=だから、管理も統治もできると錯覚する。しかし、数理的な行為≠統治行為≠管理行為である。

大栗は統治行為を一つの対象として、管理行為を一つの対象として認識できない。彼は人間の脳の行為を一つの境界を持たない気体として捉える。その結果、彼は脳の一つの行為を一つの個体的な対象として把握できない。 

 例えば、医者で大学教員の岩田健太郎は試合におけるサッカー選手であり、統治者でない。しかし、彼はコロナ問題に関して統治者ごっこを試みてしまった。岩田の知的能力や行為は医学に関する能力や行為であり、統治や組織の管理に関する行為でない。

けれども、岩田は医学的な真理を主張して、日本社会の統治に関係しようとした。俺は岩田は彼の脳の行為を一つの対象として分析できないと審判する。岩田は医学における脳の行為と統治に関する脳の行為をそれぞれ異なる対象として分析できない。

その結果、岩田の行動はサッカー選手がサッカー審判や統治者になろうとするような行動になった。言い換えると、サッカー選手の行為とサッカー審判の行為と業界の統治者の境界がぐちゃぐちゃになった。岩田の行為は本田が車を製造するような行為に近い。

3:意味を把握できない

 俺の憶測 もしxが大栗博司であるならば、xは物事の意味を把握できない人間である。

 大栗は物事の意味を把握できない。この知的能力はキッズアイドルの知的能力の欠損に似ている。大栗もキッズアイドルも知的能力の発達が未熟である。

その結果、キッズアイドルは性行為の意味を把握できない。彼らは大人によって何をされているかをいまいち理解できない、たとえ彼らが不快感を覚えるとしても。同様に、大栗は物事の意味を基本的に把握できない。

俺の印象によると、大栗は豊富で正確、そして詳細な知識を持ってきた。しかし、彼は知識の意味を把握できてこなかった。なぜなら、意味の把握行為は記憶行為や理解行為でない。

1 アメリカ大陸の多様性の意味

 大栗はアメリカ大陸の多様性の意味を把握できてこなかった。その結果、大栗はアメリカ大陸の多様性を賛美する組織、つまり大学に所属してきた。この状態に対して、俺は大栗はあの多様性の意味を把握できないと審判する。

アメリカ大陸の多様性の意味は俺らモンゴロイド人種の虐殺や絶滅の結果である。それは人類史における悲劇の象徴である。それは黒人奴隷やナチスよりも悲惨であった。

だから、モンゴロイド人種である大栗がそれを賛美することは非常に悪く、完全なるレッドカードである。本来であれば、一発退場であり、殺されてもおかしくない。

2 国民国家の意味

 大栗は国民国家の意味を把握できてこなかった。国民国家とは、白人が有色人種の自然な原住地を合法的に略奪する侵略的な概念である。国民国家という国家概念の一種が存在するからこそ、白人の米国民がアメリカに住む正当性や合法性を獲得してしまう。

大栗は国民国家の意味を認識できないように見える。俺はなぜ有色人種が国民国家や日本国民であることに価値を感じるかを理解できない。彼らは国民国家の意味を理解できないからこそ、彼らはそれを賛美する。

彼らがそれを賛美するとき、白人が領土を略奪する可能性が上昇するかもしれないのに。

3 大学の自治の意味

 大栗は大学の自治の意味を認識できない。例えば、俺がある大学教員を電網上での侮辱に関して批判するとき、大栗は知らんぷりするか、研究者はそれぞれ独立していて自由であると返答する。この返答は結論を持たない返答の一例であるが、同時に、この返答は大栗が大学の自治の意味を理解できないことを暗示する。

日本人の学者は大学の自治を主張してきた。だから、彼らは彼らの組織に対する全ての責任を負う必要がある。大学に関する問題が生じるとき、彼らは官僚や政治家を批判したり、それらに言及してきた。

彼らは予算がないので、日本国の大学や科学が衰退したと主張してきた。もし彼らが大学の自治の意味を把握しているならば、彼らは金銭的な不足は彼らがお金を借りる能力を失ってきたからであると結論を下すだろう。つまり、大学の責任は自治を主張してきた彼らの責任である。

4 原子力爆弾の投下の意味

 大栗は原子力爆弾の投下の意味を把握できない。あの問題の最も奇妙な点は、アメリカ大陸の上の白人が核兵器をアメリカ大陸から日本列島へと投下したことである。彼らは欧州から日本列島へと攻撃したのでない。

もしケニアの白人が核兵器をケニアからカメルーンに落とすならば、その行為は不自然であり狂っていると認識されるだろう。大栗は所有の概念を認識できないので、彼は領土の概念を認識できない。そして、彼は自己認識(self-cogntion?)や自己一致(identity)を認識できない。

その結果、大栗は彼自身がモンゴロイド人種であることを認識できしないし、アメリカ大陸の自然な所有権を主張できることを認識できない。自己の人種に対する自己認識の欠如と所有の概念の欠如が彼がその投下の意味を把握することを妨げている。

4:人間社会と文明を認識できない

 俺の憶測 もしxが大栗博司であるならば、xは人間社会と文明を認識できない人間である。

 大栗は高い数理能力を持つが、彼は人間社会や文明の意味を認識できない。彼はある意味で西アフリカ人の球蹴り選手に似ている。彼らもまた人間社会や文明を認識できないので、彼は白人社会への適用に苦しんでいる。

以下では、俺らは大栗が人間社会や文明を認識できないことを見よう。ここでは、人間社会や文明は運動競技のようなものであると考えよう。大栗が文明を認識できないとは、大栗が彼自身がそのような運動競技をしてきたかを認識できないことである。

言い換えると、大栗の行為は卓球選手がサッカーのルールやサッカーにおける運動をしているような行為である。卓球は東洋文明で、サッカーは西洋文明である。

1 男女平等の意味

 大栗は男女平等に賛成してきた。しかし、その平等の意味はキリスト教由来である。キリスト教では、創造主の下では、人間は皆平等である。

だから、同じ人間である男も女も等しく平等である。だから、大学における男女の数は等しくなければいけない。なぜなら、創造主がこの世界をそのように創造した。

キリスト教徒の白人の思考はこのようである。俺は大栗はこの意味を理解した後に、男女平等に賛成していないと審判する。平等が真理であるか、公平が真理であるのかは、文明の違いである。

 西洋文明では、男女平等が真理である。それに対して、東洋文明では、男女公平が真理である(明文化されていない)。俺は大栗は文明を認識できないので、彼は男女平等に意味もわからず賛成してきたと審判した。

2 国家概念の違い

 西洋と東洋では、国家概念が互いに異なる。大栗は国家概念の違いすら認識できないように見える。中国と日本国でも、国家概念が異なるように、東洋と西洋でも国家概念が異なる。

なぜなら、文明の違いは国家概念の違いである。例えば、俺は白人がアメリカ大陸や南アフリカに国家を建設しているのを見て、西洋人と東洋人の国家概念は非常に異なると審判した。東洋人はアフリカやインドに彼らの国家を建設することを不自然であると感じる。

それに対して、白人は不自然な人工国家を平気で建設する。その結果、白人は彼ら自身の国家をアメリカ大陸に建設した。俺はこの状況は異常であると審判する。

3 契約〜法律や言語〜

 大栗は契約を認識できない。法律や言語は他者との約束や契約の一種である。大栗は契約という概念を認識できないので、彼は法律も言語もある種の契約であると認識できない。

その証拠として、大栗は法律の意味を把握できないので、彼は日本人が彼の真理や事実に沿って運動することを期待する。しかし、球蹴り選手の真理が他の選手を動かせないように、大栗の真理は日本人を動かせない。

一般的に、日本人の学者は法律の意味を把握できない。その結果、俺は彼らがどのような競技を運動してきたかを把握できない。彼らは決まり事なき世界に生きてきた。

 法律という概念それ自体をどうしても認識できないように見える。俺は物理法則も西洋における法律的な概念に由来すると考えてきた。

4 所有

 大栗は所有を認識できない。彼は東洋地域を所有していることを認識できない。たとえ白人が東洋人やモンゴロイド人の領土や自然な土地を俺らから略奪するとしても、大栗はそれを認識できない。実際、大栗は所有を認識できないので、アメリカ大陸の白人が石油や食料を大栗に売って、大栗はそられを購入するためにに労働してきた。

大栗はこの状態を奴隷状態と認識できない。大栗は所有を認識できないので、領土も奴隷も認識できない。一般的に、奴隷は所有者によって所有される。俺の憶測では、大栗は黒人奴隷の意味も把握できない。

所有は文明の象徴の一つである。未開なホモ・サピエンスは所有を認識できない。大栗は彼が所有を認識できないことの意味を把握できない。たとえ大栗が日本列島を奪われるとしても、大栗は彼自身が何をされているかを認識できない。

5 お金

 大栗はお金の概念を理解できない。だから、大栗はお金の貸し借りを理解できない。一般的に、日本人の学者はアメリカ先住民と同様に、お金の概念を理解できない。

日本国民は彼らの研究費を大栗に与えているわけでない。彼らは研究費を貸している、または彼らの知的労働を買っている。大栗はこれを理解できないので、研究費を支援と誤認識する。

大栗はお金を日本人からもらって、研究に熱中したいと感じているように見える。しかし、そのお金は契約の結果であり、義務が生じている。大栗の研究行為は義務である。

6 死生観の違い

 大栗は死生観も認識できない。俺の憶測では、大栗は異なる死生観を持つ人々を見るとき、彼はそれが文明の違いであると審判できない。異なる死生観を持つ人々とは、例えば、キリスト教徒やユダヤ教徒の白人やイスラム教徒のアラブ人である。

もし大栗が文明をきちんと認識できるならば、彼が異なる死生観を持つ人間を見るとき、彼はその違いこそが文明の違いであるときちんと審判できる。俺の印象では、大栗は彼らを見て、ちょっと変わった人であると感じる。彼は死生観の違いを文明の違いに結合させることができない。

イスラム教徒の自爆テロは変わり者の犯行でなく、死生観の違いである。もし大栗が学者であるならば、彼は自爆テロを見て、大栗と彼らは異なる文明というと競技を行ってきたと審判すべきである。

7 刑罰と損害

 大栗は刑罰と損害を認識できない。科学及び数学は日本国における公共事業である。もし彼らが適切な知的労働を契約相手に提示してこなかったならば、その時、その状態は損害を契約相手に与えている。

だから、彼らはその損害の埋め合わせをすべきである。もし彼らがそれを実行しないならば、彼らは罰されるべきである。この時、日本人の学者の一部はヒステリを引き起こして、大学の自治やヒュパティアを引用して、刑罰を回避しようとする。

俺は大栗も類似した心理を持っていると審判する。なぜなら、彼らは刑罰や他者に対する損害を認識できない。刑罰や損害は文明の落し子である。文明なしに刑罰も損害も存在しない。

8 行為に対する善悪の欠如

 宗教や文明は行為に対する善悪(レッドカード赤札)を与える。しかし、大栗は彼自身のレッドカード赤札を持っていない。その結果、大栗は西洋人やキリスト教徒でないのに、彼は男女平等に賛成する。

大栗はレッドカード赤札を持っていない球蹴り審判である。彼は善悪を持っていないので、彼は他者からの批判をいまいち理解できない。その結果、注意されても、彼の欠点は死ぬまで治らない。

イスラム文明と西洋文明と東洋文明では、善悪が異なる。善悪の違いは文明の違いである。大栗は善悪の違いを把握できないので、彼は文明を把握できないように見える。

5:脳みそクチャラー

 俺の憶測 もしxが大栗博司であるならば、xは物事を整合的に思考できない人間である。

 大栗を含む日本人の学者は物事を整合的に思考できない。彼らの思考はまるでスラム街のようにめちゃくちゃである。スラム街では、ゴミも建物もめちゃくちゃである。

しかし、そこの住人はそれに気づかない。同様に、大栗は彼の思考のスラム街のような思考に気づかない。一般的に、日本人の大学教員の思考ははちゃめちゃである。

彼らは白人や白人の理論がないと、彼らの脳の運動を管理できない。彼らにとって、理論物理学者が彼らの聖書である。ただし、物理学書には、善悪の判断が存在しないけれども。

1 人間みな平等と二重国籍

 大栗は二重国籍を欲しそうにしてきた。彼はアメリカを引用した後、日本では二重国籍は認められていないと言って、残念がっていた。その一方で、大栗は白人の価値観を真似して、男女平等や人種平等や人間みな平等に賛成しているように思える。

しかし、二重国籍は機会不平等である。もし二重国籍が認められるならば、二重国籍は機会不平等であるので、機会不平等が肯定される。その時、雄はx染色体とy染色体の二重染色体であるので、男性は女性の競技に参加できるが、女性は男性の競技に参加できない。

この種の状況が肯定される。したがって、もし機会不平等が肯定されるならば、二重国籍は機会平等の下では認められない。大栗は彼の脳の運動の整合性を取ることができないので、彼は俺の発言の意味を把握できないし、俺の発言が正当であるか判断できない。

2 脳みそを管理できない

 大栗の脳の運動はアジアの街並みと同じである。彼の脳の運動は基本的にめちゃくちゃである。アジア人による街並みがデザインに対する管理不足であるように、大栗は彼自身の脳を適切に管理できてこなかった。

大栗のめちゃくちゃな発言の理由は彼の脳みその管理不足である。脳に対する管理は自己管理の一種であり、健康管理と同じである。団地の日本人が自己管理できずに、破産するように、大栗も彼の脳を適切に自己管理できずに、脳が破産している。

3 理由は脳の行為に対する善悪の欠如

 大栗の脳の運動はめちゃくちゃである。なぜなら、彼は宗教を持たないので、彼の脳の行為に対する善悪が定まっていない。つまり、彼の脳の行為に対するレッドカード赤札は存在しない。

その結果、大栗の脳の運動は何でもありになってきた。たとえると、球蹴り選手の行為に対する善悪、つまりレッドカードが存在しない。その環境では、球蹴り選手はハンドだけでなく、飛び蹴りも何でもありな状況が形成される。

一般的に、日本人の学者は彼ら自身の善悪(レッドカード)を持ってこなかった。だから、彼らの行為、特に彼らの脳の行為すら本能に沿ってめちゃくちゃば運動をしてきた。ただし、白人が正当な行為を大栗を含む日本人の学者に教える時、大栗の脳の運動はうまく機能してきた。

6:脳の運動の種類が圧倒的に不足している

 俺の憶測 もしxが大栗博司であるならば、xは多種類の脳の運動を持たない人間である。

 大栗は多種類の脳の行為を実行できない。彼の脳の運動は理論物理や数学に過剰に適応している。上記で、俺は大栗の審判能力と判断能力と結論を下す能力と意味を把握する能力に言及した。

それらに加えて、大栗は憶測や日常的な推論能力も苦手としているように見える。大栗の知的能力は一点特化型に近く、彼の知的能力の大部分は数理能力と記憶能力と引用能力の高さである。大栗の脳の行為の種類は圧倒的に不足しているように見える。

例えると、短距離走(記憶や数理行為)の程度は以上に高いが、飛び跳ね能力や製造能力はほぼ0である。以下で、俺は脳の運動を提示しよう。

1 審判行為の欠如

 大栗博司は審判行為を苦手とする。上記で、俺はデザインの劣等さに対する審判能力の低さについて述べた。球蹴りの試合でたとえると、大栗は球蹴り選手であり、球蹴り審判でない。

大栗は試合における選手の存在や状態や行為に対して、何も審判できない。大栗の脳の行為には、審判行為が存在しない。例えば、たとえ大栗が彼の真理を主張するとしても、公共事業における契約は絶対に成立しない。

しかし、大栗はそれを審判できない。その結果、彼は彼の真理を主張して、公共事業に関する契約を締結しようとして来た。人々はそんなんじゃ契約は成立しないでしょと呆れて来た。

2 判断行為の欠如

 大栗は判断行為を苦手とする。何かを審判するためには、善悪というレッドカードが必要である。大栗は彼自身の善悪、レッドカードを持っていないので、彼は何も判断できない。

大栗はレッドカードを持たないサッカーの審判に等しい。その結果、彼は他者から批判されても、何も理解できない。例えば、たとえ俺が多様性の賛美はレッドカードであると主張するとしても、大栗はそれがレッドカードであるかを判断できない。

そのために、彼はぼーっとしていて、適切な反応がない。その結果、大学組織の異常性と統治および管理能力の欠如の問題がいつまでも修正されてこなかった。大栗は物事を判断できないので、他人の話を理解する能力を持っていないと審判されてきた。

3 憶測行為の欠如

 大栗は憶測行為を苦手とする。基本的に、日本人の学者はこの憶測行為を苦手としていて、完璧な情報が提示されないと何も理解できない。例えば、彼の妻が不倫しているかは、憶測行為によって初めに把握される。

一人の人間は全ての情報を把握できない。だから、人間は限られた情報やお金や時間から、物事を憶測してきた。日本人の学者はこの憶測行為を行えない。彼らは憶測行為が何かを把握できないので、彼らは憶測童貞である。

日本人の学者は憶測行為を理解できないので、彼らは人間の脳の運動の全てを真理の主張か何かと認識している。彼らは他人の憶測を正しく論破しようとする。憶測行為や推論行為や仮定行為の積み重ねの結果、正しい情報が獲得される。

4:意味の把握能力

 大栗は物事の意味の把握能力を持っていない。彼はアメリカ人や多様性や男女平等の意味を把握できない。その結果、大栗はアメリカ人という表現を使用して、多様性を賛美する組織に所属して、男女平等に賛成する。

にも関わらず、彼は仏教に関する発言や対談を行った。彼の行為はめちゃくちゃであるが、彼はそのめちゃくちゃさに気づいていない。俺は彼は彼の行為の意味を把握できないと審判する。

大栗は彼の脳を物事の意味を把握するように操縦することを苦手とする。俺はこう憶測する。

タイトルとURLをコピーしました