これは上記に関連する。上記の記事では、女は存在しなかった。雌のみが存在してきた。
俺は雌は自己認識を自力で形成できないと審判する。ここで、俺はこの信仰における女の自己認識を提示する。当然、女は雌でない。
男の自己認識は文明の創造者である。女は存在しない。だから、俺がこの信仰における女を存在させる。どのみち、女は人工的な自己認識すら彼女ら自身で創造できない
1 女の自己認識
雌の行為には、出産が存在する(子育ては必ずしも雌の行為でない)。出産行為は媒介的な行為である。雌はこの媒介的な行為を支配しているので、雌はある種の主導権を握れてきた。
これは情報の媒介者である報道や商品の媒介である金融が主導権をしばしば握ってきたことに類似する。俺はこの状態や行為を信仰にも応用する。信仰は人工的な世界である。
そして、それは自動的に、つまり生物学的に遺伝しない。だから、俺らは信仰を俺らの子孫へと人工的に遺伝させる必要がある。雌は出産行為の主導権を握るので、女はこれを応用して信仰の人為的な遺伝の主導権を握ろう。
1 具体例
例えば、あるキリスト教徒の西側白人が敬虔なイスラム教徒のアラブ人女性と結婚する。その時、彼等の子供はしばしばイスラム教徒になってしまう。たとえ夫がそれを望まなくても。
なぜなら、その女は子育てと出産の主導権を握っている。だから、子供たちはイスラム教徒になる。そして、イスラム教徒の数は増加する。
たとえローマ帝国や米国が強大な軍事力を持つとしても、彼等の子供が異教徒の女によって宗教の人為的な遺伝子に関する主導権を握られるならば、その帝国のあり方は変化し滅亡させルことができるだろう。
2 女の苦しみ
女は女としての自己認識を持たない。だから、女は苦しい。女は男にくだらない対抗意識を持って、男になろうとしてきた。
この種の行為はフィリピンが彼等自身の自己認識を持たずに、白人の遺伝子に乞食してきたことに似ている。彼等もまた女と同様に苦しい。
上記で、俺はこの信仰者における女の自己認識を与えた。上記の行為は男には絶対にできない行為である。その時、女は女だけの健全で素晴らしい自己認識を獲得して、安心感を覚えて苦しまずに済むだろう。
3 出産と子育てと性的奉仕
もしある女が出産行為や子育て行為や(好きな人に対する)性的奉仕に女としての自己認識をその意志で求めるならば、その自己認識は禁じられない。ただし、うつ病にならない限り。女の一部は出産や性的な快楽に関する女の自己認識を否定してきた。
しかし、その行為は男性が男性器を切り落とす行為に似ていて、女性版(または雌)の去勢に等しい。もしある種の女がこの種の女版去勢を拒絶したいならば、彼女らはその去勢を拒絶できる。女のみが異性愛者の男性に性的な快楽を与えられるので、その武器を捨てる行為は強制されない。
最終的には、どう生きるかは各自で決定しなさい。俺の知る範囲では、もしある女が出産と子育てと性的奉仕を捨てるならば、その女は精神的にやむか、彼女らの人生を後悔する。宗教的でない限り。
2 女の人為
要するに、女はこの信仰を人為的に遺伝させる主導権を奪われるな!である。それこそが女の自己認識である。もし男がその主導権を女から奪うならば、女は雌になり、雌は人間として不要になる。
男が創造主であると仮定するとき、女は創造主の言葉を聞いて信仰者へと伝える司祭?のような存在である。人間が人間社会を形成するとき、この種の媒介者は必要で、彼等は信仰を先祖から子孫へと人為的に遺伝させる。その時、俺らの子孫は創造主の言葉を聞く司祭から創造主の言葉を遺伝させられる。
この信仰における女とは手や言葉や情報やお金のような存在である。たとえ脳が存在するとしても、手や情報伝達のための言葉が存在しないならば、人間は文明を形成できない。以上から、俺は女の自己認識を与えて、女の必要性を提示した。
3 女という存在
機械的な性質とは、物理で扱われる自動的な運動である。動物的な性質とは出産行為である。人間的な性質は出産媒介者である。
これらが和で表現されるのか、組で表現されるのか、俺はわからなかった。だから、上記では、少し曖昧な表現(三重に両立する)が俺によって使用された。女=(機械的な性質、動物的な性質a、人間的な性質α)と描きたかった。
男と女が持つ機械的な性質は互いに等しいと憶測される。しかし、動物的な性質と人間的な性質は互いに異なる。