俺がfileについて調べた後、俺は拡張子が何かを理解できなかった。その後、俺はこのpc-masterというwebsiteで拡張子について知った。俺はfile概念を管理するための、文章を提示する。
俺は電文書の思想について述べる。fileに関する詳細な知識は俺にとって不要である。勘違いがあるので、絶対に信用しないように。
1章 ファイルの日本語訳は電文書
日本語訳 ファイルの日本語訳は電文書である。
略称は「電書」である。フォルダの日本語訳は「電書箱」である。その略称は書箱とする。あるいは、フォルダは「電書容れ(でんしょいれ)」である。電箱と訳すと、ソフトウェアとの違いが区別されなくなる。
プログラムファイルは動作電書である。データファイルは電材電書。電子計算機におけるデータの日本語訳は「電材」である。または、電材料である。
なお、日常的な意味でのデータは情材(情報材料、または情報資料)である。それを加工したものが情報である。
ファイル(電文書)と思想
この時、人間はその物差しを見れば、全てを理解できると感じる。俺は人間のこの欲求を ” 単一欲 ” と呼んでいる。あるいは統一欲。人間は雑多な何かを統一的にすっきりと扱いたい。
文字と文書
人間は世界の全てを文字で表示しようとした。世界の全てには、音声や動画や文書も含まれる。文字の世界では、音声や動画は文字で表現されていて、文字それ自体は音声や動画でない。
数式
物理学者は自然界の全てを数式で表示しようとしてきた。自然界には、音声や動画が含まれる。
お金
資本主義者は世界の全てをお金で表示しようとしてきた。音声も動画も商品としてお金で表示しようとした。
電文書(file)
IT技術者は世界の全てを電文書(0と1の世界)で表示しようとした。音声も動画も文書も全て0と1の世界である。人間は世界の全てを文字で表示しようとしたが、21世紀の人間は世界の全てをfileで表示しようとした。
現実の文字は26文字(アルファベット)からなるが、電文書は0と1である(多分)。

世界の全ては文字で表示される。だから、文字の取り扱いを極めれば、世界の全てを容易に扱える。表示それ自体を抑えれば、世界を支配できる。
2 拡張子
俺は拡張子についてほとんど知らない。明確な説明は検索を使用しよう。
拡張子は in english
俺らが in を .(ドット)に置き換える時、俺らは拡張子を感覚的に管理できる。I write files in Englishの in を思い浮かべる。例えば、.jpgは in jpgと脳内で変換する。
英語で書くの ” で ” が拡張子に対応する。この ” で ” は方法である。.jpgなら、jpgという方法で、.cssならcssという方法で、.htmlならhtmlという方法で製造された。
in jpg や in css や in htmlで in Englishのように製造された。

わかりやすく説明されても、用語や概念を管理できなければ、無意味である。
俺は上記を正しいと認識しないが、管理しやすいと憶測する。
3 ブログやwebsiteの運営は一種の文書管理
電子的な世界では、世界の全ては電文書(または0と1)によって表示される。その世界では、ブログ運営はある種の文書の管理である。正確には、ブログやsiteでは、文書の製造と管理が営まれる。
日本国における魚拓では、ブログやsiteの運営者は電子的な書類を扱う官僚に似ている。日本国の統治者は法律を作成できないので、官僚がそれを担ってきた。また、官僚は文書を扱う事に非常に長けている。
官僚が文書を製造して、それを管理するように、ブログやsiteの運営者は電文書を製造してそれを管理している。当然、その文書の中には、動画や音声が含まれる。

動画や装飾に惑わされずに、その背後に存在する文字列も見よう。当然、見えるものが最も重要である。しかし、電子的な文字列を無視することは文字や言葉を無視する事に似ている。