教育とは人為遺伝

俺らの信仰
https://en.wikipedia.org/wiki/DNA

 以下で、俺はこの信仰における教育観(教育に対する認識)を提示する。教育観の観は価値観の観である。この意味は認識と善悪が入り混じったような意味である。

現時点で、俺はその意味を提示できない。だから、俺らはその意味を慣習的、または雰囲気で捉える。

1 人為遺伝

 共通認識 人為遺伝とは、ヌシが自動的に遺伝しない対象を先祖から子孫へと人為的に遺伝させる行為である。

 俺らは自動的に遺伝しない対象を非自動性遺伝、自動的に遺伝する対象を自動性遺伝と呼ぶ(置き換える)。

具体例(対象)

 お金や性に対する規範は非自動性遺伝である。文字や言語も非自動性遺伝である。国家概念や ” 自己 ” の歴史も非自動性遺伝である。数の管理も非自動性遺伝である。

善悪の判断も非自動性遺伝である。例えば、アメリカ大陸の多様性は俺らモンゴロイド人種の虐殺の結果であり、それは俺らにとって非常に悪い。この判断は自動的に遺伝しない。

また、管理や統治も半分は非自動性遺伝である。お金の管理や人間の管理は少なくとも自動性遺伝でない。

2 教育とは人為遺伝

 共通認識 俺らは教育を人為遺伝と認識、または信仰する。俺らは教育機関を人為遺伝所と認識、または信仰する。

人為遺伝としての教育

 もしxが非自動性遺伝であるならば、xは教育されるべきか優先的に考えられる対象である。

 この世界に存在しないものを人為的に遺伝させる。それがこの信仰における教育観である。

例えば、たとえ俺らが心臓の生物学的な知識を学ばないとしても、俺らの心臓は勝手に動く。必要に応じて学べば良い。太陽の運動に関する情報をわざわざ製造して、それを学校で学ぶ必要があるのか?

それよりも、お金の管理について学ぶべきでないのか?この信仰では、俺らはお金の管理を優先的に学習する。

教育機関は人為遺伝所

 教育機関は数学や科学や歴史を学ぶ場所でない。その場所はヌシが非自動性遺伝を人為的に遺伝させられる場所である。俺らは教育機関をこのように信仰する。

3 正当化

 俺らは非自動性遺伝を分岐対象と信仰すると仮定する。そのとき、この信仰では、分岐は陽であるので、非自動性遺伝は陽である。だから、俺らは俺らの肉体を非自動性遺伝となるように操縦する。

 

タイトルとURLをコピーしました