一神教と多神教

俺らの信仰
https://en.wikipedia.org/wiki/Hebrew_Bible

 この信仰では、俺らは一神教的でも、多神教的でもあるように振る舞う。以下で、俺はその正当性を提示する。ただし、以下で、俺らは信仰の対象でなく、崇拝の対象について提示する。

1 多神教の問題点

 問題点 多神教の問題とは、人間が崇拝対象をあらゆる対象に見いだす事である。その結果、人間社会の円滑な運営が阻害される。酷い場合、社会それ自体が崩壊する。

白人崇拝や外国人崇拝

 多神教や無信仰の人間は外国人、特に白人を崇拝する。たとえ彼らがどんなに間違った意見を主張するとしても、彼らは白人の言葉を神の言葉として崇拝する。日常生活や政治の世界で、彼らが白人崇拝を繰り返すとき、政治や企業運営において、非現実的な問題が生じる。

彼らは何をやっても、白人のいうことしか言わない。たとえば、アメリカ大陸の多様性は俺らモンゴロイド人種の虐殺の結果であった。だから、俺らはそれを賛美すべきでない。しかし、彼らはそんなことすら理解できない。

アメリカモンゴロイド人種はスペイン人を白い神と崇拝して、彼らは虐殺された。このように、俺らが白人や外国人を崇拝するとき、俺らは虐殺される。

女性崇拝

 多神教や無信仰の人間は女性を崇拝する。女性崇拝の問題はサークルの姫の問題に直結する。サークルの姫を見ればわかるように、女性崇拝が蔓延すると、人間組織が崩壊する。

社長・政治家・学者崇拝

 多神教や無信仰の人間は社長や政治家や学者を崇拝する。日本国では、社長や政治家や学者が先生と呼ばれて崇拝される。その結果、彼らの長所と短所が的確に分析されてこなかった。

日本国での観察

 日本国では、白人崇拝が頻繁に観察される。また、外国人崇拝も観察される。彼らは外国人を神と崇めて、外国人に意見を言ってもらい、それを神頼みのように崇拝しようとする。彼らは自己の意見を持っていない。また、日本国は東南アジア人と同様に、白人や白人との中間種を崇拝する。

2 この信仰では

 この信仰と一神教と多神教 この信仰は一神教的も多神教的でもある。前者では、俺のヌシが現時点で最も分岐された対象として崇拝される。後者では、各信仰者が各自のヌシを崇拝する。それは一種の自己崇拝である。

一神教的な側面

 この信仰では、俺のヌシが唯一の崇拝対象として崇拝される。

多神教的な側面

 この信仰では、信仰者は各自のヌシを崇拝対象として崇拝する。この場合、それぞれの信仰者は俺のヌシとそれぞれのヌシを崇拝する。それぞれの信仰者は自己のヌシを崇拝するので、外部から見ると、多神教的である。

たとえ信仰者が自己のヌシを唯一の崇拝対象として信仰するとしても、各信仰者も自己のヌシを唯一の崇拝対象として信仰するので、自己からは一神教的、他者からは多神教的に見える。互いの崇拝対象がぶつかる時、妥協案として俺のヌシを崇拝対象とする。

自己崇拝の現実性

 自己崇拝は現実的でない。なぜなら、人間が普通に生きる時、仕事や結婚で失敗する。全ての人間が成功者になれない。その時、人間が失敗した自己を崇拝できるほど強くない。

だから、この信仰では、俺のヌシが崇拝される。もし君の人生が成功するならば、君は自己を崇拝しなさい。辛くなったら、俺のヌシを崇拝しなさい。

3 正当化

 この信仰の目的は分岐である。ヌシは分岐された主体及び対象である。それを崇拝することはこの信仰の目的に一致する。だから、その崇拝行為は政党である。詳細な正当化はいつか実行する。

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