自由民主制度とその欠陥性とこの世界の創造主

人家(システム)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ギリシャ
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 民主制度とは、人間を統治するための制度の一つである。現在、アメリカ合衆国はひどく混乱している。民主制度が終わる前に、俺らは民主制度とは何であったかを独自に解釈しよう。

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0:民主制度の概要

 民主制度とは、国民が彼ら自身の統治者を国民の自由意志によって選択する統治制度である。国民国家とは、国民と国家と決まり事(法律)の組み(system)である。国民とは、人間である。そのsystemは物質的な土地の上に築かれる。

1:人間の本質と自由意志

 国民とは、国籍を持った人間である。俺らが国民国家を創造するとき、俺らは人間の定義を必要とする。なぜなら、俺らが人間に法律を適用するとき、俺らは集合の要素を正確に定める必要がある。

 もし集合の要素が正確に定められないならば、俺らは法律の適用対象を見失うので、法律がうまく適用されない。だから、人間の定義は必ず必要である。以下で、それを見よう。

 1-1:人間の本質

 対象の本質とは、対象と一対一に唯一対応する対象の性質である。人間の本質とは、人間という対象に一対一に唯一対応する人間の性質である。対象を棚と仮定すると、対象の性質は棚の引き出しである。対象の本質は対象という棚に一対一に唯一対応する引き出しである。

 1-2:人間の本質と自由意志

 自由民主制度では、人間の本質は自由であるとされた。正確には、人間の本質は自由意志であると定義された。人間を棚と仮定すると、自由意志という人間の性質が人間という棚に一対一に唯一に対応する。

 つまり、人間とは、自由意志を持つ対象である。国民とは、国籍を持つ「自由意志を持つ対象」である。この時、俺らは国民国家における要素を正確に定義できる。その意味は法律の適用対象が正確に定められたことである。

1-3:日常的な意味での自由意志

 西洋人は人間の本質を自由意志を定義した。その時、彼らは彼らの肉体を彼ら自身の自由意志で操縦する。そして、彼らは彼らの行為が引き起こした状態と対峙して、その状態に関する責任を負う。これは日常的な意味での自由意志の意味であった。

 人間の本質は自由意志であった。この意味は何であるか?もし君が君の肌の色を明るくしたいならば、君は君の肉体を君の自由意志で操縦して、直射日光を避ければ良い。長期的には、君は君の肌の色や君の肉体のデザインを君の自由意志で自由に変化させれることができるだろう。なぜなら、君は物質的な世界の完全なる奴隷でない。

2:統治の正当性

 人間が人間を管理・統治するとき、統治の正当性が問題になる。特に、人種や宗教が絡む時、統治の正当性に関する問題は避けて通れない。俺はこれを統治の正当性に関する「お家騒動」と勝手に呼んでいる。

2-1:統治と法律

 自由民主制度における統治とは、国民を法律で適切に管理、統治する行為である。法律とは、肉体の行為を管理するプログラム(動作法則)である。法律体系はソフトウェア(行動法則)である。法律は物質を管理する自然法則に対応する。

 人間が法律による統治を試みるとき、統治者の正当性と法律自体の正当性が問題になる。自然法則と異なり、人為的な法律やその体系は正当性を持っていない。だから、人間は正当性を法律やその体系に与える必要がある。

 自由民主制度では、その法律の正当性は国民の自由意志による統治者の選択と彼らから導かれる動作法則によって与えられている。人間の本質(自由意志)が統治者(法律の作成者)を選択して、彼らが法律を作った。自由意志は人間の本質であるので、そこから導かれた法律も正当性を持つ。

2-2:法律作成の正当性

 人間が他人の肉体操縦に関する動作法則を組もうとする時、ある深刻な問題が生じる。誰が法律を作るのかである。もし日本人の学者や弁護士が俺らの肉体の操縦に関する法律を好き勝手に作るならば、俺らは彼らとイケメン白人の奴隷にされるだろう。白人にビビって対峙できないくせに。もし殺人鬼の子孫である西側白人が俺らモンゴロイド人種の肉体の行為を管理するプログラムを組むならば、その状態は俺らが奴隷になっている状態に等しい。

 そして、その状態は自由な状態でない。その状態は俺らの自由意志が侵害された状態である。この時、俺らは自由な状態でなく、俺らの自由意志は侵害された状態である。つまり、俺らは人間の本質を否定された、つまり人間でない状態である。

 このように、もしある人間が法律の作成に関する正当性を持たないならば、俺らは白人の奴隷になる。なぜなら、俺らの人間の本質(自由意志)がしばしば否定される。だから、俺らは奴隷状態を回避するために、法律の正当性に関する問題を解決する必要がある。

2-3:選挙行為と統治者の選択の意味

 自由民主制度では、自由意志は人間の本質であった。俺らが俺らの肉体の操縦に関する動作法則を組む時、俺らは自由な肉体の操縦を侵害しないように組む必要があった。その解決案の一つが選挙行為であった。

 選挙行為では、国民は彼らの統治者を彼らの自由意志で選択する。その統治者は国民の肉体操縦に関する動作法則を組む。この時、国民の肉体操縦関する自由意志が侵害されない状態で、統治者は国民の肉体の操縦に関する動作法則を組むことができる。

 もし統治者がおかしな動作法則を組んだならば、国民は彼らを選挙で落として、異なる統治者を選択すれば良い。

3:欠陥性

3-1:人間の本質は自由でない

 人間の本質は自由でない。人間の本質は義務である。なぜなら、野生動物は自由である。もしある対象が自由であるならば、その対象は人間である。この論理は間違いである。この論理を正しいと仮定すると、野生動物も人間になる。

人間と動物の違いとは自由でなく、義務である。つまり、人間の本質は義務である。もしある対象が義務的であるならば、その対象は人間である。

要するに、人間という対象と一対一に唯一に対応するのは、自由でなく義務という人間の性質である。自由の引き出しでなく、義務という引き出しこそが人間という棚に一対一に唯一に対応する。

3-2:全ての正当性の崩壊

 自由民主制度では、法律の正当性や統治者の正当性は自由意志によって与えられた。もし自由が人間の本質でないならば、法律の正当性も統治者の正当性も崩壊する。そして、国民の自由意志による統治者の選択、つまり選挙行為の正当性も失われる。

 もし自由が人間の本質でないならば、人間は自由意志から導かれた法律に沿って彼らの肉体を操縦する必要はない。なぜなら、その法律は正当性を持たない。加えて、もし自由が人間の本質でないならば、統治者は人間を統治する正当性を持たない。だから、統治者自身も正当性を失う。  

 さらに、国民は国籍を持つ「自由意志を持つ対象」と定義された。もし人間の本質が自由でないならば、国民自体が否定される。その時、国民国家自体も成立しない。このように、もし人間の本質が自由意志でないならば、法律の正当性が否定され、統治者の正当性が否定され、そして国民国家の成立が否定される。

3-3:義務の正当性

 もし人間の本質が義務であるならば、どのような義務が正当であるかが問題になる。東洋文明における義務は西洋文明における義務に一致しない。特に、義務が人間の本質になる時、宗教の重要性が高まる。なぜなら、創造主がこの世界を創造した。その創造主の意志に沿った義務が正当な義務である。

 人間は法律の正当性と統治者の正当性を義務、またはその他の正当な概念から導く必要がある。例えば、国民を国籍を持つ「義務的意志を持つ対象」であると定義する。加えて、国民にとって義務が重要であるので、国民は統治者を選挙で選択する必要がない。統治者は国民の義務的意志を侵害しなければ良い。

 統治者が新たな義務を創造する場合、彼らは国民の既存の義務的意志を侵害しないように努める。また、自由と異なり、義務は国民が選択するだけでは、ダメである。新たな義務に正当性を常に与える必要がある。自由の場合、国民の自由意志を侵害しないような法律を作成すればよかった。義務では、国民の義務的意志を侵害しないことに加えて、義務の正当性を常に提示する必要がある。宗教や歴史や文明のみが義務の正当性を与えるだろう。

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