創造主(神God)の意味〜創造主と自然界というsystemについて〜

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https://ja.wikipedia.org/wiki/イサクの燔祭

 日本列島では、Godは「神」と日本人に大和民族によって翻訳されてきた(過去の行為)。その過去の行為に対して、俺はGodの日本語訳は「神」でなく「創造主」がより適切であると審判する(受けとしての審判)。日本語における神は精霊(spirits)い近いように感じる。以下で、俺は創造主を俺なりに解釈して、創造主の意味を提示するつもりである(意志)。

創造主は世界を創造する。俺らはその創造行為を創造主の中に見いだすことができる。加えて、俺らは創造主の目的を見いだす。俺らは創造主の意志を見いだす。俺らは創造主の目的が与える正しさ(真理)を創造主の目的の中に見いだす。

1章 自然界の創造主

 共通認識 創造主(God)とは、自然界というsystemを創造した対象である。

 自然界は宇宙と物質と自然法則の組である。宇宙を集合とする。物質を要素とする。自然法則を決まりとする。ここでは、俺らはsystemを集合と要素と決まりの組みをみなす。そのとき、自然界は一つのsystemである。つまり、創造主とは、自然界というsystemを創造した何者かである。

日本列島を含む東洋世界では、東洋人は創造主を物質や人間を作った何かであると感じているように見える(過去の行為)。彼らの行為に対して、俺は彼らの感じ方に反対する(反応的な行為)。俺は東洋人は創造主を物質(要素)を創造した何かでなく、宇宙と物質と自然法則をひっくるめたsystemを作った何者かであると認識する必要があると審判する(受け審判)。

 俺はたとえ話を提示する。俺らはサッカーという運動競技や試合を一つのsystemと解釈できる。競技場を集合として、選手を要素として、サッカーのルールを決まりとする。そのとき、サッカーの試合は競技場と選手とルールの組みである。

上記で、俺は東洋人は創造主を物質を創造した対象であると誤認識していると述べた。サッカーの試合で例えると、東洋人は創造主を選手を作った対象であると誤認識している。けれども、競技場という枠組みなしに、選手の存在や状態や運動を定めるルールなしに試合は成立しない。

サッカーの試合における創造主とは、選手のみの創造主でなく、競技場と選手とルールというsystemの創造主である。選手が存在するためには、何が選手であるかをルールで定める必要がある。

だから、要素だけの創造は不十分である。要素と決まりは対になっていて、決まりで要素を確定させると、要素である対象とそうでない対象の境界も定まるので、集合が結果として生まれる。

2章 自然界の創造主の目的

 共通認識 創造主の目的とは、自然界というsystemの創造主が実現させたい存在及び状態及び運動である。

 創造主(God)とは、自然界というsystemを創造した対象である。目的とは、実現させたい対象である。または、目的とは、実現させたい対象の存在と状態と運動である。創造主の目的とは、創造主が実現させたい対象である。または、創造主の目的とは、創造主が実現させたい対象の存在と状態と運動である。

信仰者が創造主を信仰するとき、信仰者は創造主の目的も同時に信じる。創造主が自然界を創造する時、創造主はその目的を持って、自然界を現在あるように創造した。信仰者は創造主のその目的に沿って生きる必要がある。

例えば、キリスト教では、創造主が世界を男女平等になるように創造した。その創造主の目的とは、世界が男女平等という状態であることである。だから、キリスト教徒はその男女平等という創造主の目的に反しないように生きる必要がある。

3章 自然界の創造主の意志

 共通認識 創造主の意志とは、自然界というsystemが創造主の目的を実現させる力である。

 意志とは、目的を実現させる力である。意志は物理学における力でない。たとえ創造主がその目的を持って自然界を創造したとしても、もし創造主の目的を実現させる「力」が存在しないならば、その目的は達成されない。実現されない。だから、創造主は目的でなく、意志つまり力を働かせて、目的を実現させる必要がある。

信仰者が創造主を信仰するとき、信仰者は創造主の意志も同時に信じる。創造主が自然界を創造する時、創造主はその目的を持って、自然界を現在あるように創造した。目的を実現させるためには、力が目的と実現状態の間に必要である。信仰者はこの自然界に存在する力もまた信仰している。

もし信仰者が彼らの意志、つまり彼らの力が実際に存在していると仮定するならば、信仰者は彼らの意志を働かせて、彼らは創造主の目的を実現させるために生きることができる。当然、創造主は信仰者の意志の存在を仮定せずに、創造主の力(意志)のみを持って、自然界をその目的が自動的に実現するように創造したのかもしれない。創造主の目的を実現させるために、信仰者の何らかの実行行為が必要であるかは不明である。

 例えば、キリスト教では、創造主が世界を男女平等になるように創造した。その創造主の目的とは、世界が男女平等という状態であることである。だから、キリスト教徒はその男女平等という創造主の目的に反しないように生きる必要がある。

男女平等という目的の実現が信仰者の意志、つまり信仰者の力の存在を仮定しているかは不明である。もしかすると、創造主の力によって、男女平等という創造主の目的は信仰者の力(意志)に無関係に実現されるかもしれない。

または、信仰者の力が存在して初めて、創造主の男女平等という目的が実現されるかもしれない。前者の場合、なぜ信仰者が存在しているかが正当化されないかもしれない。後者の場合、信仰者の力が創造主の目的の実現のために必要であるので、信仰者の存在は必ず必要であり、その存在は正当化される。

 補足として、物理学における力が存在する。物理学における力が物体を運動させる何かである。その力を宗教的に解釈するとき、力は創造主の意志である。その力は創造主の目的を実現させる。もし創造主が存在して、創造主が目的を実現させているならば、創造主の意志、つまり創造主の力は過去または現在においても何らかの形として働いているはずである。その力が物理学における力に一致するのかは不明である。

4章 自然界の創造主と正当性

 共通認識 自然界の創造主の目的は対象の正当性、または対象の存在及び状態及び運動の正当性を与える。

 補足的な経験則 目的が対象の正当性、または対象の存在及び状態及び運動の正当性を与える。

 目的とは、実現させたい対象であった。または、目的とは、実現させたい対象の存在と状態と運動であった。創造主の目的とは、創造主が実現させたい対象であった。または、創造主の目的とは、創造主が実現させたい対象の存在と状態と運動であった。

この目的は対象の正当性、または対象の存在及び状態及び運動の正当性に関係する。日常的には、目的が何が正しいかを与える。印象付ける例として、淡白質を食べる行為が正当であるかが存在する。もし俺らが筋肉をつけたいならば、その行為は正当である。しかし、もし俺らが穏やかな気持ちになりたいならば、その行為は正当でない。

あるいは、英語学習にも言える。もし英語学習の目的が定まらないならば、言語は無限にあるので、俺らは英語を延々と勉強し続ける必要がある。もし試験に通過したいだけならば、俺らは別に英語を話せないくても良い。もし論文を書きたいだけであるならば、俺らは日常的な事情を無視するとき、俺らはhelloすらいう必要がない。このように、目的が対象の正当性、または対象の存在及び状態及び運動の正当性を与える。

 例えば、キリスト教では、男女平等である状態が正当である。なぜなら、その創造主が自然界を男女平等になるように創造した。この自然界の目的それ自体が男女平等になるようにすることである。だから、男女平等である状態はキリスト教の世界では正当である。

男女不平等である状態は正当でない。なぜなら、男女不平等である状態は創造主の目的に反する。創造主はこの世界が男女平等になるように創造したのにも関わらず、信仰者はその目的に反して男女不平等な状態を作っている。男女不平等は創造主の目的に反するので、その状態は正当でない。このように、何が正しいか(正当である)は創造主の目的によって与えられる。

日常的には、次のようになる。キリスト教世界では、男女平等でないのは悪い。悪いとはレッドカードである。俺らはレッドカードをサッカーにおけるレッドカードを思い浮かべる。男女平等でないのは悪い。なぜなら、その状態は罪である。何が罪であるかは創造主、正確には創造主の目的に沿って与えられる。

創造主は自然界を男女平等になるように創造した。創造主は男女平等ない状態を罪とした。なぜなら、その状態は創造主の目的に違反する。罪は悪く、罪はレッドカードである。もし世界の状態が男女平等でないならあ、その状態は悪い。その時、信仰者はその状態を変化させて、信仰者は正しい方向(正当な方向)に変化させることができる。当然、正しい方向とは、創造主の目的に沿った方向である。

なぜ神(創造主)が言ったから、男女平等が正しいのか?この問いに対する回答は次である。なぜなら、創造主が男女平等になるように創造した。男女平等である状態が創造主の創造行為の目的である。目的が正当性を与える。

5章 自然界の創造主と統治

 経験則 自然界の創造主は自然界の統治者でない。

 自然界の創造主は自然界の統治者でない。信仰者がその創造主の目的に沿って、自然界や動物や人間を統治する必要がある。信仰者は自然界の創造者でない。しかし、信仰者の一部は自然界の統治者になり得る。創造行為は統治行為(管理行為)でない。これは製造行為にも言える。たとえ俺らが情報を製造するとしても、俺らは情報を管理できないならば、機密は流出する。

創造主は自然界を創造した。しかし、創造主は自然界の管理や統治までは干渉していない。だから、人間が自然界を正当に管理・統治する必要がある。正当な管理、または正当な統治とは創造主の目的に沿った、創造主の目的に反しない統治行為である。一般的に、人間が他の人間を統治する時、誰が統治者であるのが正当であるか、その誰かがどのように統治するのが正当であるかが問題になる。

つまり、統治者の存在の正当性が問題になる。統治行為の正当性が問題にある。言い換えると、誰が統治するのが正しいのか?その誰がどのような方法で統治するのが正しいのかである。上記で見たように、正当性は創造主の目的よって与えられた。だから、統治者の存在の正当性は創造主の目的によって与えられる。統治行為の正当性は創造主の目的によって与えられる。

 上記の話は会社の社長のなき意志を思い出す時、俺らはその意味を把握できる。俺らは会社を会社(集合)と社員(要素)と社内ルール(決まり)の組みとする。その時、俺らは会社を一つのsystemと認識する。会社の創業者は自然界の創造主に対応する。創業者が引退する時、後継者が選択される。その後継者は会社というsystemの創造者でない。その後継者は会社というsystemの管理者、または統治者である。

後継者は社長のなき遺志に沿って、会社というsystemを統治する必要がある。その時、社長のなきに反する行為は正当でないと日常的には認識される。これは信仰者が創造主の目的に沿って世界を統治する必要があることに似ている。信仰者の一部が創造主が創造したsystemの統治者であるように、後継者は創業者が創造した会社というsystemの統治者である。信仰者が創造主の目的に沿って、人間を統治することが正当であるように、後継者は社長のなき遺志に沿って、会社を経営(統治)することが正当である。

まとめ~なぜ創造主が必要か?~

 上記をまとめよう。創造主とは、自然界というsystemを創造した対象であった。創造主は自然界を創造した。創造主は目的を持っている。創造主の目的とは、創造主が実現させたい対象であった。または、創造主の目的とは、創造主が実現させたい対象の存在と状態と運動であった。

さらに、創造主は意志を持っている。創造主の意志とは、創造主の意志とは、自然界というsystemが創造主の目的を実現させる力であった。自然界の創造主の目的は対象の正当性、または対象の存在及び状態及び運動の正当性を与えた。そして、何が正当であるかが創造主に目的によって与えられた。その結果として、統治者の存在の正当性と統治行為の正当性も創造主に目的によって与えられた。

 俺らはなぜ創造主が必要であるかを疑問に思ってきた。なぜなら、俺らは創造主の目的と意志を見落としてきた。俺らは正当性に注意を払ってこなかった。一般的に、何が正当であるかという正当性の問題を考える時、俺らは創造主を必要とする。正確には、俺らは創造主の目的と意志を必要とする。俺らが誰が正当な統治者であるかを考える時、俺らが正当な統治行為が何であるかを考える時、俺らは創造主を必要とする。正確には、俺らは創造主の目的と意志を必要とする。

俺らは正当性や(正当性から導かれる)善悪に関心を持ってこなかった。だから、俺らは創造主に意味を把握できてこなかった。俺らはなぜ創造主の存在が必要であるかを認識できてこなかった。なぜなら、創造主は目的と意志を持ち、創造主の目的が正当性を与える。だから、創造主が必要である。

もし俺らが創造主の存在を仮定しないならば、俺らは創造主の目的と意志の存在を仮定できない。その時、俺らは何が正当であるかを見失う。その時、俺らは誰が統治者として正当であるか、どのような統治行為が正当であるかを見失う。もし俺らが正当性に関する興味を持たないならば、俺らは創造主それ自体を必要としないだろう。もし俺らが人間の統治それ自体を認識できないならば、俺らは創造主を必要としないだろう。

 もしバラバラのホモ・サピエンス、言い換えると狩猟民族は彼ら自身の人間競技(人間社会)を形成するつもりがないならば、その時、俺ら正当性も統治それ自体も必要としないだろう。なぜなら、人間競技が存在した後、俺らはその競技における善悪(レッドカード)と人間競技というそのsystemの統治を必要とする。サッカーの例えでは、俺らはサッカーという競技を作る時(作った後)、俺らはサッカー選手の行為に対する善悪、例えばハンド行為がレッドカードかやサッカー試合というsystemの統治行為を必要とする。

6章 創造主と真理

 共通認識 創造主は唯一の正当性(真理)を与える。

 創造主は唯一の正当性(真理)を与える。真理とは唯一の正当性である。正当性とは、善悪を肯定する対象である。善悪とは対象を肯定する、または否定する対象である。または、善悪とは、対象の存在及び状態及び運動を肯定する、または否定する対象である。俺は正当性や善悪が何であるかを現時点できちんと把握できなかった。だから、俺は対象という単語を使用した。

一般的に、真理というと既存の対象に関する情報の正確な製造であると認識されてきた。ここでは、俺らはその種の真理観を採用しない。俺らが真理の意味を把握するとき、俺らは次の状態を認識する。その状態とは、善悪や善悪の正当性は自然界には存在しないことである。俺らがサッカーにおけるレッドカードを思い出すとき、俺らはその意味を認識できる。たとえ俺らが自然界の全てを明らかにするとしても、俺らはなぜハンド行為がレッドカードであるかを明らかにすることができない。なぜなら、レッドカードが自然界には存在しない。

同様に、なぜ男女平等が正当であるのかもまた自然界には存在しない。だから、人間が男女平等の正当性を人工的に形成する必要がある。しかし、問題が存在する。その問題とは、たとえある種の人間が男女平等が善であると自分勝手に主張するとしても、全ての人間がその種の人間の善悪に賛成するわけでないことである。実際、東洋人の大部分はキリスト教徒でないので、彼らは男女平等に賛成しない。このとき、西洋人は善悪を巡って東洋人と争う。つまり、その問題とは善悪の正当性を巡る問題である。もし善悪が正当性を持たないならば、善悪に関する衝突が常に存在する。

 その衝突を解決する方法の一つが唯一の創造主の存在である。正確には、創造主の目的が正当性を通じて、善悪の唯一の正当性に関する問題を解決する。自然界の創造主は自然界を創造した唯一の対象である。その唯一の創造主は唯一の目的を持って、この自然界を創造した。だから、その目的から導かれる善悪は真理(唯一の正当性)を持つ。なぜ多神教がダメであるのかはそれが唯一の正当性を与えないからである。創造主の数が複数存在するとき、創造主の目的の数もまた複数存在する。その時、複数の目的から唯一の正当性が導かれない。複数の目的は男女平等が正当であるか、男女公平が正当であるかを判断できない。

おまけ 人間の世界における創造主~国家~

 以下では、俺は話題を少し変えて、自然界の創造主でなく、人工的な世界の創造主を考えてみよう。その時、自然界と同様に、俺らは人工的な世界をある種のsystemと認識する。systemの具体例には、会社や人間社会や運動競技、国家や文明や宗教や言語が存在する。俺らは上記の創造主の考えを人工的なsystemの創造主に援用する。

例えば、俺らは国家というsystemを考えてみよう。そのsystemにも、俺らは人工的な世界の創造主の目的と意志、そして正当性を見出すことができる。俺らは後継者(統治者)の正当性も見いだすことができる。

広義の国家とは、領土と人間と法の組みである。その組みは一つのsystemである。領土には、所有の概念が要求される。人間には、人間に対する認識が要求される。法には、契約の概念が要求される。さて、俺らは国家というsystemを創造主の観点から把握してみよう。

国家には、国家というsystemの創造主(father)が存在する。その創造主は目的と意志を持って国家を創造する。国家というsystem創造主の目的は国家というsystemにおいて何が正しいかを与える。その正当性には、国家というsystemにおいて、どのような統治者が正当であるか、またはどのような統治行為であるかが正当であるかも与えられる。自由意志の存在を仮定すれば、国家というsystem創造主はその力を持って、彼の短期的な目的を達成する。または、国家というsystem創造主は統治行為を実際に実行する。

 アメリカ合衆国の建国者はアメリカ合衆国という国家systemの創造主である。実際、アメリカ合衆国は彼らの目的と意志に沿って統治(運営)されてきたはずである。黒人や女性に選挙権が与えられたのも国家理念の平等的な精神の結果であるように思える。

ただ、彼らの大部分はキリスト教プロテスタント派であったはずである。だから、彼らの国家理念も国家というsystemの創造行為も彼らの創造主の影響下に存在する。言い換えると、国家というsystemは宗教というsystemの部分集合になっている。国家の正当性を獲得するために、彼らの創造主の正当性が必要になっている。創造主の強い影響が彼らの国家に存在している。

創造主(神God)の意味|とある人工世界の創造主|note
 日本語では、Godは神と翻訳されてきた。日本語における神は精霊(spirits)い近いように感じる。俺はGodの日本語訳を非常に嫌う。 俺はGodの日本語訳は創造主であるべきと審判する。以下で、俺は俺が感じるGodについて提示する。 1:God(創造主) 1-1:systemの創造主  少なくとも、自...