モテる〜非モテと現実逃避

俺らの宗教(主体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/チンパンジー

 この宗教では、俺らは現実逃避を陰と判断する。俺らはモテることに意味を見出さない。一部の日本人は「モテる」自慢を繰り返してきた。

彼らは持てない日本人を「非モテ」と侮辱した。この宗教では、俺らはこの種の行為を陽な行為と判断しない。以下で、俺らはその理由を提示する。

1:モテるの無意味さ

 モテとデザイン 俺らはモテよりも、肉体のより優れたデザインを追求する。また、俺らはモテよりも、老化しにくい肉体を追求する。

 日本人の一部は彼ら自身の肉体のデザインの劣等さを誤魔化したい。だから、彼らはモテを強調する。俺らはこの種の行為を陰な行為と判断する。

彼らは現実逃避すべきでない。もし彼らが劣等なデザインを嫌うならば、彼らはデザインを改善する方法を考えるべきである。彼らは現実逃避を繰り返して、他人を非モテと侮辱すべきでない。

俺ら(東洋人の)の肉体のデザインは劣等である。俺らはそれを劣等と審判して、俺らはそれを改善していく。その時、俺らは他人を侮辱する必要はない。俺らに必要なのは、優れたデザインであり、他者からの承認でない。

2:たとえモテたとしても

 無意味さ たとえある日本人を含む東洋人がモテるとしても、肉体のデザインが劣等であるならば、その受動行為(モテ)は無意味である。

 日本人の一部はモテを自慢する。しかし、この種の日本人は白人の前ではビビって何も言えない。加えて、彼らは白人との対峙を必死に回避しようとする。

実際、たとえある人間がモテるとしても、その人間のデザインが劣等であるならば、異人種はその日本人を完全にバカにしている。俺らがこの状態を見る時、俺らは必要なのは身長やデザインであり、「モテ」でないと審判する。

この宗教では、俺らはこの種の行為を陰な行為と判断する。俺らは東洋人のよりよりデザインを追求する。

 正当化は別に行う。

おまけ:受為と能為

 共通認識 受為とは、ある対象が〜される行為である。能為とは、ある対象が〜する行為である。

 「モテ」は受為である。好きになるは、能為である。