形は主に数学の分野で研究されてきた。ここで、俺らは形の意味を把握する。なぜなら、形の意味は形の研究よりも重要である。
なぜ人間が形を追求してきたのか?この問いは数学における形の研究よりも重要である。形の意味は形への興味を引き起こす。
そして、その興味は形への研究へと俺らを誘う。なお、ここでは、俺らはformとshapeとfigureをあまり区別しない。
1:人間と形
上記の脳の運動は正当でない。ある対象が人型ロボットであるとき、その対象は人間となる。その時、俺らの認識は導かれた結論?と異なる。
しかし、上記の運動は動物的にみて、おかしくない。以下で、それを提示しよう。
犬の思考
上記の動画を見よう。上記では、犬は犬のぬいぐるみに嫉妬して、そのぬいぐるみを噛んだ。
なぜこの犬はこの種の行為に及んだのか?なぜなら、犬は対象の形から、同じ犬であることを導いている。犬は次のように考える。
もしある対象が犬の形を持つならば、その対象は犬である。犬はある対象が犬と同じ対象であるかを判断するために、対象の形をみる。犬にとって、形とは、犬と同じであるかを判断するための性質である。
形の意味
形の意味は次である。ある対象が自己の同じ対象であるかを審判したいとき、俺らはその対象を形を見る。俺らは対象の形を通して、その対象が俺らと同じ対象であるかを審判する。
もしある対象の形と他の対象の形が互いに一致しているならば、その2つの対象は同一の対象である。動物はこのように感じる。だから、もし俺らが俺らの形や対象の形を知ることができるならば、俺らはその対象が俺らと同じ対象であるかを知ることができる。
数学では、人間は二つの対象の形を調べて、2つの対象が同じであることを確定させようとする。人間は2つの数学的な対象の曲率や骨格や穴の数を調べて、二つの対象が互いに一致することを知ろうとする。当然、この考えは人間には応用できない。
3:メスとオス
特に、コーカサス人種の文明では、ホモ・サピエンスの雌は男と同じ人間であると認識されてこなかった。なぜなら、ホモ・サピエンスの雌は男と同じ形を持っていなかった。雌の形と雄の形は異なる。
この意味は何であるか?この意味は雌と雌は同じ対象でないことである。もし2つの対象のそれぞれの形が互いに異なるならば、その2つの対象は互いに異なる。日常的には、2つの対象の形がそもそも異なるならば、その2つの対象は互いに異なる対象である。
雄と雌の形はそもそも異なるので、雄と雌は互いに異なる対象である。俺らと形が生得的に異なるとは俺らでないことである。
2章 角度と形
ある対象が存在する。俺らがその対象を異なる角度から見る時、その対象の形(shape or figure)は角度に応じて互いに異なる。もし対象の形が角度に応じて異なるならば、異なる角度から見たそれぞれの対象は互いに異なる対象であるのか?
もし人間の形がそれを見る角度によって互いに異なるならば、正面からの人間は斜めから見た人間と異なるのか?斜めから見た人間は人間でないのか?当然、俺らはそれぞれ異なる角度から見た人間を異なる対象と認識する。
俺らは人間の本質を見る角度によって変わらない何かであると感じている。加えて、上記の具体例と異なり、立方体のような図形においても、異なる角度からの立体は同じ立体であると考えられる。
3:結論
人間のロボットや人形は人間と同じ形をもつ。しかし、それらは俺らと同じ人間でない。たとえ俺らが人間と同じ形を見るとしても、俺らは相手が俺らと同じ人間であるかを判定できない。
直感的には、たとえある対象が俺らと同じ形を持つとしても、俺らはその対象を俺らと同じ人間と認識すべきでない。俺らは俺らの脳をこのように運動させる必要がある。