ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者に薬物を投与し殺害したとして、逮捕された大久保愉一(42)と山本直樹(43)の両容疑者。2人は犯罪死と疑われずに高齢者を殺害する方法を紹介する電子書籍を出版したり、ツイッター上で安楽死について肯定的な持論を展開するなどしていた。
https://www.sankei.com/west/news/200724/wst2007240010-n1.html
大久保愉一が薬物をALS患者に投与した。この行為は殺人行為と認識された。日本人の一部は優生学やナチスやヒトラーを持ち出して、意味もわからず騒いできた。
俺は彼の呟きを読んだ後、俺は彼の発言の一部に賛成した。以下で、俺はこの事件を分析して、この事件の問題点を探る。

1 大和民族の死生観の問題
この事件が発生した後、日本人の一部は優生学(ヒトラーやナチス)という単語を持ち出した。その後、オタクはナチスやヒトラーの知識を早口で披露して、他人にマウンティングをしかけた。しかし、もし彼らが自己の死生観を持たないならば、その状態は尊厳死や安楽死を語る以前の状態、つまり人間未満の状態である。
死生観のない土人
「一服盛るなり(して)、楽になってもらったらいい」。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者への嘱託殺人容疑で、京都府警が23日に逮捕した医師大久保愉一容疑者は、自身のものとみられるブログに「高齢者を『枯らす』技術」とタイトルを付け、安楽死を積極的に肯定するかのような自らの死生観を繰り返しつづっていた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/44477
大和民族は彼ら自身の文明的な死生観を持っていない。にも関わらず、彼らは安楽死や尊厳死について語っている。この状態は滑稽である。
尊厳死や安楽死に関する議論は彼ら自身の死生観に基づいて実行される。まず初めに、人間は自己の死生観を形成する必要がある。その死生観に基づいて、俺らは自己の死について、すなわち安楽死や尊厳死について語る。
彼らは死生観がないと法律の一部が機能しないことすら認識できないように思える。
西洋は真似できない
日本人が安楽死や尊厳死について語る時、彼らはなぜかオランダやスイスについて言及する。しかし、彼らはそれらの白人国家の死生観がキリスト教由来であることをうまく認識できない。大和民族を含む東洋小人種の大部分はキリスト教徒でない。
つまり、彼らはキリスト教由来の死生観を日本国や東洋文明に持ち込めない。彼らの死生観は天国の存在を前提にしている。大和民族は宗教や文明や人種が異なると、死生観が異なることすら認識できない。
西洋文明と東洋文明はやってる運動競技が互いに異なる。西洋はサッカーであり、東洋は卓球である。卓球選手がサッカーのルールに沿って運動する必要はないし、ましてや彼らはサッカーのルールで罰されるべきでない。
自己の死を遠ざける
日本人が自己の死生観について語る時、ある種の日本人は優生学やナチスを持ち出して、死生観に関する議論を妨害して、遠ざけようとする。彼らは不安に弱く、自己の死に対して強烈な不安感を覚える。そのため、ある人間が死生観について話す時、彼らは不安の原因であるその人間を排斥しようとする。
チンピラの社会では、ある人間が勉強したり、オシャレしたりする時、その人間は調子にのっていると言われて、いじめられる。その結果、チンピラはいつまでも貧しく、醜い。同様に、ある日本人が彼ら自身の死生観を形成しようとすると、その日本人はナチスやヒトラーや優生学といっていじめられる。
そもそも、大和民族は人間としての知的好奇心や文明を形成する意志を持っていないように思える。彼らは自己の死生観を形成して、社会(system)を構築しようとすら考えていない。彼らはキリスト教徒の白人が大和民族の死生観を形成してくれることを期待して、ずっと待っている。自分で社会を形成しようという発想がない、または社会それ自体を認識できない。
2 胃ろうと死生観
以下で、俺は大久保の発言を掲載する。もし下記が本当であるならば、俺は彼の発言はそれほどおかしくない。ただし、彼自身は変わり者であるので、患者?自体も変わり者であるかもしれない。
先延ばし
もしある人間が死生観を持たないならば、その人間は死を遠ざけるのみになる。なぜなら、死は彼らにとって不安である。胃ろうもまた、不安からの逃避の結果である。














死を認識できない
ダウン症や下等生物は彼ら自身の死を認識できない。同様に、日本人も彼ら自身の死を認識できないように思える。下記の発言は興味深い。

98歳の人間が死ぬのは、自然である。しかし、上記の家族は老人が死ぬことをうまく認識できない。だから、彼らは上記の医者を責めている。

契約の欠如
大和民族は彼ら自身の宗教を持たない。だから、宗教が与える契約の概念が存在しない。その結果、下記の状況が発生する。





3 日本国の法律の問題
管理
大和民族は法律の意味を把握できない。彼らにとって、法律は試合を管理するための何かでない。その結果、彼らの法律は医療現場を適切に管理するものでない。
もし自然法則が原子を適切に管理できないならば、その法則は不要である。同様に、もし法律がある種の現場を適切に管理できないならば、その法律は不要である。今回の事件の責任は法律関係者にもある。
もしある法律が死生観に基づかないならば、その法律は終末医療の現場においてまともに機能しない。
死生観を明らかにしない
日本人の法律関係者、特に弁護士は彼ら自身の死生観を明らかにしない。にも関わらず、彼らは人権を掲げて、終末医療に関係しようとする。この行為は非常に卑怯である。
彼らは天国を信じているとも言わないが、なぜかキリスト教的な人権を掲げる。彼らは彼ら自身の死生観を明らかにしないのに、彼らは他人の死生観に人権を持ち出して干渉する。
法律関係者の奇妙さ
加えて、日本人の法律関係者は彼らの干渉行為の責任や後始末を一切実行しない。彼らは人権を掲げて、上記のような環境を形成した。その結果、胃ろうの人間が発生して、ALS患者は自殺を強く求めて自殺した。
その後、彼らはナチスや優生学を持ち出して、大久保を批判して、彼に責任を負わせようとしている。もし彼の上記の呟きが正しいならば、医療現場の存在や状態やその要素である医療関係者行為を束縛するルールそれ自体に問題が存在する。ゴミな法律が押し付けられた人間は責任を取る必要はない。
おまけ 東洋の死生観は?
以下で、俺は東洋の死生観を提示する。詳細はあとで。
殺人行為は罪でない
東洋では、殺人行為は罪でない。その行為は非礼や無礼である。もし安楽死や尊厳死が非礼や無礼でないならば、それらの行為は正当化される。
先祖と子孫
東洋人は現実的である。だから、彼らは天国を信じないだろう。彼らは先祖と子孫の死生観を採用すれば良い。
個人としての人間は死んだら終わりである。しかし、先祖や子孫を信じるとき、彼らはある種の永続性を東洋人に与えるだろう。
大局的死生観
俺らが死について考えるとき、局所から大局でなく、大局から局所へと考える。例えば、戦場では、げがをした一人の兵士のために、部隊は全滅すべきでない。
もしある介護される人間が家族の全員を完全に破壊するならば、その人間は安楽死という選択肢についてきちんと考えられるべきである。