なぜ真→偽は偽?論理学と真理表

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 問.P が偽のとき,なぜ P ⇒ Q が真なのかわかりません.もし,それを偽としたときに,何か不都合 なことが起こるのであれば,それはどんなことですか? 答.そう決めると,論理的思考をする場合に非常に都合が良いからです.

http://www.math.sci.hokudai.ac.jp/~ishikawa/nyuumon/nyuumon1.pdf

 上記の質問は当然であるように見える。その質問に対して、回答者は都合がよいからと提示した。彼の回答は間違いでないが、俺はもやっとする。以下では、俺はなぜ推論「真→偽」が偽であるのかを提示するつもりである。

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理由

理由

 俺の認識 推論が真→偽になる時、その推論は正常に機能していないと確実に言える。

 俺が真→偽を正しい推論と許容する時、俺は壊れた推論も許容することになる。だから、俺はその壊れた推論を排除するために真→偽を偽と認識する。一方、たとえ俺が偽→真や偽→偽を許容するとしても、その推論が壊れているのは必ずしも言えない。俺は次の二つの例を考える。

第一には、もし安倍晋三が日本人であるならば、安倍晋三は東洋人である。第二には、もし安倍晋三が日本人であるならば、安倍晋三は欧州人(白人)である。一番目の推論は正常に機能している一方、二番目の推論は正常に機能していない。既存の知識によると、一番目の推論は真→真であり、推論それ自体が真である。二番目の推論は真→偽であり、推論それ自体が偽である。俺はなぜ二番目の推論が偽であるのかを知りたい。

次に、俺は上記の一番目の推論を「もしxが日本人であるならば、xは東洋人である」と変形する。俺は二番目の推論を「もしxが日本人であるならば、xは欧州人である」と変形する。さらに、俺は習近平やトランプをxに代入してみる。そして、俺はその推論の真偽を観察する。

推論1への代入

 まず、俺は習近平をxに代入する。すると、「もし習近平が日本人であるならば、習近平は東洋人である」が得られる。習近平が日本人であるは偽である。習近平が東洋人であるは真である。推論は偽→真である。既存の知識では、偽→真は真である。この理由はおそらく推論それ自体は正常に機能しているので、推論それ自体は真であるように見える。

次に、俺はトランプをxに代入する。すると、「もしトランプが日本人であるならば、トランプは東洋人である」が得られる。トランプが日本人であるは偽である。トランプが東洋人であるは偽である。推論は偽→偽である。既存の知識では、偽→偽は真である。この理由はおそらく推論それ自体は正常に機能しているので、推論それ自体は真であるように見える。

さらに、俺は安倍晋三をxに代入する。すると、「もし安倍晋三が日本人であるならば、安倍晋三は東洋人である」が得られる。安倍晋三が日本人であるは真である。安倍晋三が東洋人であるは真である。推論は真→真である。既存の知識では、真→真は真である。

推論2への代入

 まず、俺は習近平をxに代入する。すると、「もし習近平が日本人であるならば、習近平は欧州人である」が得られる。習近平が日本人であるは偽である。習近平が欧州人であるは偽である。推論は偽→偽である。既存の知識では、偽→偽は真である。

次に、俺はトランプをxに代入する。すると、「もしトランプが日本人であるならば、トランプは欧州人である」が得られる。トランプが日本人であるは偽である。トランプが東洋人であるは真である。推論は偽→真である。既存の知識では、偽→真は真である。

さらに、俺は安倍晋三をxに代入する。すると、「もし安倍晋三が日本人であるならば、安倍晋三は欧州人である」が得られる。安倍晋三が日本人であるは真である。安倍晋三が欧州人であるは偽である。推論は真→偽である。既存の知識では、真→偽は偽である。二番目の推論は正常に機能していない。ある推論が正常に機能していない時のみ、俺は真→偽という推論?に遭遇した。

具体例

具体例

 俺の認識 もし車輪が存在するならば、自動車が存在する。

 上記の推論は正常に機能しない。なぜなら、車輪は単体で販売されている。たとえ車輪が存在するとしても、自動車が自動的に存在しているとは限らない。

例えば、今、車輪が実際に存在していると仮定しよう。つまり、車輪が存在することが真であると仮定する。けれども、日常的には、たとえ車輪が存在するとしても、完成された自動車が存在するとは限らない。つまり、自動車が存在することが偽である。この時、真→偽になる。既存の知識では、この推論は偽である。

また、車輪が実際に存在していないと仮定しよう。つまり、車輪が存在することが偽であると仮定する。この場合、俺は1通りを考える。一番目には、自動車が実際に存在しない。この場合は偽→偽である。さらに、俺は車輪が実際に存在していると仮定する。車輪が存在することが真であると仮定する。この場合、俺は1通りを考える。一番目には、自動車が実際に存在する。この場合は真→真である。なお、上記では、車輪は存在するのに、自動車が存在しない場合が排除される。

 俺の認識 もし自動車が存在するならば、車輪が存在する。

 上記の推論は正常に機能する。今、自動車が実際に存在していると仮定しよう。つまり、自動車が存在することが真であると仮定する。この時、車輪も自動的に実際に存在する。だから、車輪が存在することが真である。この時、真→真である。

また、自動車が実際に存在していないと仮定しよう。つまり、自動車が存在することが偽であると仮定する。この場合、俺は2通りを考える。一番目には、車輪が実際に存在する。二番目には、車輪が実際に存在しない。当然であるが、両方の場合がありうる。

一番目の場合、偽→真である。しかし、自動車は実際に存在していないが、車輪のみが実際に存在する場合は存在する。二番目の場合、偽→偽である。自動車も車輪も実際には存在していない場合である。これもまた存在する。上記では、自動車が実際に存在するのに、車輪が実際には存在しない場合が存在しない。

使い方

使い方

 俺の認識 もしある推論が偽→真になるならば、その推論は正常に機能していない。

 上記の俺の日常的な使い方である。日常的には、俺はある推論が正常に機能するのかを疑う必要がある。なぜなら、現実は非常に複雑であり、この推論が正しいとはなかなか言えない。そこで、ある推論が正常に機能するのかの判定法が偽→真である。

たとえある推論が偽→真であるとしても、その推論が正常に機能していないとは言えない。また、たとえある推論が偽→偽であるとしても、その推論が正常に機能していないとは言えない。しかし、もしある推論が真→偽であるならば、その推論は正常に機能していないと結論づけることができる。根拠は俺の霊感。

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