会社は株主のものか?宗教と富と人間観、そして所有行為

制度
ウィキペディア コンゴとベルギー

 西洋、特に英米系国家では、会社は株主のもの(所有物)であると定義されてきた。その状態に対して、日本人の一部は強烈な違和感を覚えてきた。その違和感に対して、日本人の異なる一部は西側白人を崇拝して、会社は株主のものであると馬鹿にしたような笑いで主張してきた。

以下で、俺は会社は株主のものであるかについて提示する。そのとき、俺は ” 宗教的な観点 ” から、この問題について述べる。なお、俺は「株」について無知であり、俺は株が何であるかを知らない。

なお、この記事では、俺は会社を集合(集合)と労働者(要素)と決まり(法)の組み、つまりsystemと便宜的にみなす。また、俺は社長や経営者をそのsystemの統治者または経営者、株主をそのsystemの所有者とわかりやすく仮定する。

1 結論

 俺の結論 ホモ・サピエンスやそれらの群れは直接的、または間接的に所有されるべきでない。

 間接的な所有とは、たとえば、ホモ・サピエンスの群れの所有である。俺らはホモ・サピエンスを集めて、群れとした対象を所有すべきでない。

東洋における会社のあり方

 東洋文明における富の規範は次である。東洋文明における東洋文明民はホモ・サピエンスやその集合を直接的、または間接的に所有しない。彼らはホモ・サピエンスやその集合を統治するのみである。

俺らは会社員や労働者や従業員は所有される対象でなく、「契約相手」であると認識する。当然、彼らは社長や統治者によって統治される。しかし、彼らは所有されない。

会社というsystemは「統治」されるべきであるが、「所有」されるべきでない。加えて、俺らはそのsystemを「」と認識しない。要素をホモ・サピエンスとする集合が所有される時、その所有は奴隷制度につながる。

2 コーカサス人種の文明とstocks

 人種や宗教や文明が異なるとき、富や人間(人間観)に対するそれぞれの人々の認識や定義が異なる。さらに、富や人間に対する認識の違いは所有行為に対する違いを導く。俺らが株式制度や会社について思考する時、俺らはそれらの背後に存在する富や人間観についても想像する必要がある。

株式という概念がコーカサス人種や西洋文明における人間観や富の規範に基づいて形成されてきた。もし日本人が株に違和感を覚えるならば、その原因は文明の違いが与える富や人間観の違いである。人間からなるその「群れ」が誰かによって「所有」される(されているように感じる)。

日常的には、彼らは会社は誰かによって所有されるべきでない、つまり会社は株主のもの(所有物)でないと…。一般的に、文明的な人々が異なる文明的な人間に接触する時、その人々は強烈な違和感を異民族や異人種に覚える。株に対する違和感もまた人間や富に対する文明的な違いの結果である。

奴隷の存在を前提とする

 奴隷とはホモ・サピエンスであるが、人間でない。奴隷は人間でないので、人間様によって所有される。奴隷たちの「群れ」もまた人間でないので、人間様によって所有される。

奴隷制度では、人間は奴隷それ自体を「」と定義する。コーカサス人種の文明と東洋文明(モンゴロイド人種の文明)では、富に対する定義や認識、富の所有行為に対する定義や認識が異なる。彼らの文明は俺らの文明と富に対する認識も、人間に対する認識も、所有に対する認識も異なる。

コーカサス人種の文明はこのような文明である。たとえ俺らが彼らを奴隷に関して批判するとしても、彼らは手を変えて同じような文明を形成するだろう。文明それ自体が異なるので、批判は無意味である。

株と奴隷

 俺らが彼らの考えに接するとき、俺らは奴隷の存在を勘ぐるべきである。近代では、彼らはわかりやすい奴隷制度を採用した。株の概念や現代における株主資本主義もまたコーカサス人種の文明の延長線上に存在する。

大和民族は奴隷や文明が何であるかを認識できないように思える。そのため、たとえ彼らがコーカサス人種の文明や考えに接するとしても、彼らはその背後の見えない奴隷の存在を直感的に憶測できない。さらに悪いことに、彼らは白人によって奴隷にされても、彼らはまるで家畜のようにその自覚を持たない。

 例えば、株の英語訳はstocksらしい。俺はこれを聞いて、非常に驚いた。なぜなら、家畜の英語訳もlivestocksであった。

この時、俺は西側白人は従業員や会社員を「家畜」と定義しているだろうと憶測した。彼らの文明では、会社員や農民は仲間や同じ人間でなく、家畜と同じである。この種の考えの延長線上に株式もあるだろう。

つまり、羊飼いは家畜の群れを会社と呼び、餌を適度に与えて、所有する。当然、家畜が羊飼い(株主)に楯突くことは許されない。羊飼いが家畜の群れを作る時、土地と家畜、そして餌が必要である。

3 コーカサス文明における人間観と富と所有

 以下で、俺はコーカサス人種の文明における人間観と富に対する考えを憶測する。

ホモ・サピエンスと人間の明確な区別

 コーカサス人種はホモ・サピエンスと人間と明確に区別する。ホモ・サピエンスは人間でなく、動物である。動物であるとは、羊や馬などの家畜に等しいである。

その結果として、コーカサス人種はその動物を羊や馬のように所有する。近代では、彼らはネグロイド人種やホモ・サピエンスの雌を人間と定義してこなかった。その結果として、彼らは黒人奴隷を所有した。

ホモ・サピエンスは人間でなく、チンパンジーや犬と同じ動物、つまり獣である。たとえコーカサス人種がホモ・サピエンスを所有して、処分するとしても、その行為は殺人行為でない。なぜなら、ホモ・サピエンスは人間でない。その行為は胎児の中絶に類似した行為である。

ロゴス的な人間観

 上記の加えて、コーカサス人種は人間をロゴスで把握する。もしある対象が人間と同じ形を持つならば、その対象は人間であるか?彼らはこれに賛成しない。彼らは次のように把握する。

たとえある対象が人間と同じ形を持つとしても、その対象は必ずしも人間とは限らない。例えば、ロボットや人形は人間の形を持つが、人間でない。同様に、たとえ目の前の対象が人間の形を持つとしても、俺らはその対象を同じ人間として定義する必要はない。

だから、その対象は人間によって単なる富として所有される。加えて、その対象は所有者の都合によって処分される。コーカサス人は対象を感覚で把握しない。

富とsystemに対する所有

 東洋人と西洋人では、富に対する定義や認識が根本的に異なる。彼らにとって、ホモ・サピエンスは人間によって所有される富である。加えて、ホモ・サピエンスの群れもまた人間によって所有される富である。

例えば、物体は物体それ自体(集合)とその要素と物理法則(決まり)の組み、つまりsystemである。だから、その物体というsystemは人間によって所有される。羊や牛のような家畜や黒人奴隷も集合と要素と自然法則の組み、つまりsystemである。だから、そのsystemは所有される。

この考えを会社へと拡張する。その時、会社は会社と労働者と決まりの組み、つまりsystemである。だから、その会社は人間によって所有される。サッカー業界は業界と選手と決まりの組み、つまりsystemであり、そのsystemは人間によって所有される。

 家畜の群れは群れと家畜と家畜の決まりの組みである。それは羊飼いによって所有される。自然界は宇宙と原子と物理法則の組み、systemであり、それは創造主によって創造された。そのsystemは創造主の意志を受け継ぐ正当な人間によって所有される。

会社は株主のものか?宗教と富と人間観、そして所有行為|とある人工世界の教祖|note
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