この宗教と東洋文明における人間観

俺らの信仰
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 以下で、俺はこの宗教における人間観を提示する。人種や文明が異なるとき、人間に対する認識や定義もまた異なる。俺らは自己の宗教や自己の東洋文明における人間観を形成する必要がある。

西洋文明における人間はホモ・サピエンスか人間かという対立的な人間であった。それに対して、東洋人はホモ・サピエンスと人間性の組みを人間と認識する(ように見える)。以下で、俺はこれを拡張して、この宗教における簡単な人間観を提示する。

なお、人間はホモ・サピエンスでない。それは文明や宗教によって与えられる。もしある人間集団が自己の文明や宗教を持たないならば、その人間は人間でない。

1 東洋文明における人間観

 共通認識 両立的人間観とは、動物と人間を両立させる人間観である。対立的人間観とは、動物と人間を対立させる人間観である。

東洋文明における人間観

 東洋文明における人間観は両立的である。だから、東洋人はホモ・サピエンスと人間を両立させる。その時、俺らは組みという概念を利用する。つまり、人間とは、(ホモ・サピエンス、人間性)によって認識される。

そこでは、ホモ・サピエンスと人間性は互いに対立しない。それらは両立する。実際、東洋人は日本人と日本国民を明確に区別する。東洋人は東洋人とキリスト教を明確に区別する。

西洋文明における人間観

 西洋文明における人間観は対立的な人間観である。彼らは人間を動物(ホモ・サピエンス)か人間かで見る。その結果、彼らは彼ら自身の動物的な性質を否定する。

例えば、白人と米国民は両立する。白人とユダヤ教徒も両立する。しかし、彼らはそれを対立的に定義するように見える。まるで論理学のように。

白人の思考のほとんどは両立的でなく、対立的である。この対立的な思考は人間観へも応用される。東洋人はこの種の思考を採用しない。

2 優秀さ

 人間の優秀さには、二種類の優秀さが存在する。一番目の優秀さとは、遺伝的な優秀さである。それは生物としての優秀さに近い。二番目の優秀さとは、人間としての優秀さである。それは人間としての優秀さである。

車体とその中の人間で例えると、次である。遺伝的な優秀さは車体の優秀さに近い。もしあるホモ・サピエンスが遺伝的に優秀であるならば、それは高級車とおなじ優秀さを持っている。

それに対して、人間の優秀さとは、車体の中の人間の優秀さである。その人間は善悪を扱い、車体の操作の目的を提示できる。それは文明や宗教を形成する優秀さである。成金は遺伝的に優秀であるが、人間的に優秀でないホモ・サピエンスである。

3 この宗教の人間観

 三重人間観 人間とは、機械(物質)と動物(ホモ・サピエンス)と人間の組みである。人間=(機械,、動物、人間)

 当然、機械は物に対応する。動物は蟲に対応する。人間はヌシに対応する。俺らは各優秀さを認識する。

東洋文明における人間観はどうあるべきか?|とある人工世界の教祖|note
 もしとある人間集団が自己の文明を持つならば、その集団は自己の人間観を持っている。もし東洋人が自己の東洋文明を強く求めるならば、東洋人は自己の人間観を形成すべきである。そこで、俺は以下で東洋文明における人間観を提示する。 1 東洋文明における人間観  東洋人は人間をホモ・サピエンスと人(人間性)の「組み」と「認識...
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