主体(subject)と対象(object)とは何?〜被写体から〜

俺らの信仰
https://en.wikipedia.org /wiki/Eye

主体は撮影者であり、対象は撮影される被写体である。たとえ話として、俺らが対象を棚と仮定すると、対象の性質は棚の引き出しである。対象を人間と仮定すると、人間は棚それ自体に、肌の色や知能は棚の引き出しに対応する。

以下で、俺らは対象が何であるかを見てみよう。

1:主体

 主体とは、自己それ自体である。俺らの肉体は俺らの肉体であり、自己それ自体でない。俺らの視界は俺らの視界であり、自己それ自体でない。

自己とは、視界をみる俺それ自体である。俺が俺の肉体を車体と仮定すると、俺の視界は車体の中の3次元ホログラムである。そして、車体の中の運転手が俺それ自体である。

その運転手はホログラムをみる主体である。例えると、主体とは、車体の中の運転手である。一般的に、対象は主体に対して捉えられる。

2:対象と知覚行為

 俺らが対象について考えるとき、俺らは対象を「主体によって知覚されうる何か」と考えたい。しかし、この考えでは、俺らは創造主や幽霊、ピカチュウのような空想的動物?を対象として扱えない。実際、俺らはそれらと対象と感じてきた。

加えて、もし知覚できる何かが対象であるならば、未来や過去における物体は対象でない。だから、俺らは対象を知覚できる何かと捉えれない。

さらに、問題が存在する。もし対象が知覚できる何かであるならば、俺が俺のカメラを振り回しながら撮影したボケ写真も対象である。つまり、対象は知覚にあまり関係しない。

 たとえある何かが知覚されるとしても、その何かは対象とは限らない。また、ある何かが知覚されないとしても、その何かは必ずしも対象でないといは言えない。具体例は創造主や幽霊。

3:対象と分析行為

 対象とは、主体によって分析されうる何かである。個人的には、俺は対象に対する共通認識としてこれを採用したい。俺がこれを採用するとき、俺は創造主や幽霊やピカチュウを対象として分析できる。

または、対象とは、少なくとも一つの性質を持つ何かである。それが性質を持つとき、俺らはそれを分析できる。だから、上記より、それは対象である。そして、俺らは無意味な文字列uhsjvjinfuを対象と見なくてよくなる。

上記では、俺は対象を棚に例えて、その性質を引き出しに例えた。もし俺らがその棚を分析したいならば、俺らはその引き出しを分析する。このとき、棚は対象になっている。対象は何らかの性質を持っているので、人間は対象を性質を通して分析できる。

おまけ:前対象と対象化、そして知覚体

 主体によって知覚されうる何かは必ずしも対象でなかった。そこで、俺らは知覚されるうる何かを認識する。また、俺らは対象の前の何か、つまりブレブレのボケた写真に対応する何かを提示しよう。

知覚体とは、主体によって知覚されうる何かである。知覚体は必ずしも対象でない。「されうる」と書いたのは、部屋の外の知覚体は実際には知覚されないが、知覚されうるからである。

前対象とは、主体によって分析される前に存在する何かである。ここでの「存在」は実際の存在だけでなく、仮想的な存在も含む。つまり、創造主や幽霊は実際の存在でなく仮想的な存在であるが、ここでの存在に含める。

対象化とは、主体が前対象を対象にする行為である。日常的には、その行為は撮影者が撮りたい対象に照準を合わせて、それをブレずに撮影する行為である。

主体(subject)と対象(object)とは何?〜被写体から〜|とある人工世界の創造主|note
 主体は撮影者であり、対象は撮影される被写体である。たとえ話として、俺らが対象を棚と仮定すると、対象の性質は棚の引き出しである。対象を人間と仮定すると、人間は棚それ自体に、肌の色や知能は棚の引き出しに対応する。 以下で、俺らは対象が何であるかを見てみよう。 1:主体  主体とは、自己それ自体である。俺らの肉体は...
タイトルとURLをコピーしました