知覚と奴隷、そして自然界への感覚

俺らの信仰
https://ja.wikipedia.org/wiki/銀河

 以下で、俺は知覚と奴隷、そして自然界への宗教的な感覚を提示する。例えば、俺らがある対象を見て、その対象が人間と同じ形を持っていると仮定する。この時、俺らはその対象が人間の形に見えるのは、俺らの知覚が自然界によって強制、つまり奴隷にされているからであると審判する。

俺らはその対象を俺らの意志でそのように知覚したいと主張したことがない。にも関わらず、自然界は俺らの知覚を自然法則によって、俺らの意志に反して、そのように強制してきた。つまり、宇宙と物質と物理法則という自然界(system)は俺らの知覚を奴隷化してきた。

この宗教では、俺らは自然界(物質的世界)に対するこのような認識、または信仰を採用する。俺らにとって、自然界とは、俺らを奴隷化する対象である。だからこそ、俺らはその奴隷主から「分岐する」必要がある。

1:創造主と知覚の奴隷〜知覚の自由は?〜

 創造主をsystemの創造者と仮定しよう。物質的世界とは、宇宙と物質と自然法則の組みと仮定しよう。その時、物質的世界はある種のsystemとなる。この時、創造主はそのsystemの創造者である。

この宗教では、俺らは物質的世界を毎秒毎秒生じ続けてきたと信仰する。過去や未来は現在における知覚から正常に構成される、または把握される。実際に知覚されるのは現在のみである。

俺らはこのような世界観を採用した。俺らは過去から現在、そして未来へと流れるような世界観でなく、現在のみが知覚されるという世界観を採用した。

 この時、もし創造主が実際に存在するならば、それは俺らの世界を毎秒毎秒創造していることになる。そして、その創造主の意志が毎秒毎秒俺らの物質的世界に干渉し続けている。もしこの世界観が正当であるならば、俺らの知覚は毎秒毎秒創造主の意志によって干渉され、そして強制され続けてきたことになる。

悪くいうと、俺ら(ヌシ)の知覚は毎秒毎秒創造主の意志の奴隷になってきた。俺らは上記の対象を人間と形と知覚したいと言ったことがない。にも関わらず、創造主は俺ら(ヌシ)の知覚を毎秒毎秒人間の形を見るように強制してる。

だからこそ、俺らがその対象を破壊する時、なぜか俺らの行為は殺人行為として罰される。これは非常に理不尽である。本来であれば、この物質的な世界を創造した創造主がその行為の埋め合わせ、落とし前、後始末をつけるべきである。

 なぜなら、創造主がその対象を人間の形になるように創造した。俺らはその対象の形を創造主によって強制され、その対象を破壊する時、その形に対する破壊行為として罰される。もし西側白人がある種の民族(ウイグル人)を人工的に作って、それに対する差別主義者や虐殺者として大陸東洋人を罰するならば、その行為は創造主の行為に等しい。

2:認識の奴隷〜認識の自由は?〜

 俺らが知覚の奴隷を認識するとき、俺らは認識の奴隷について考えるとわかりやすい。例えば、ある種の白人は「人種は存在しない」や「性差は存在しない」と主張する。その意見に対して、もし俺らが反対するならば、その種の白人は差別主義者と俺らを侮辱する。

たとえ彼らが俺らを侮辱するとしても、俺らは世界をそのように認識している。もし彼らが俺らの認識を否定して、彼らの認識や定義を俺らに強制するならば、その時、俺らは彼らの認識の奴隷になっていると審判できる。これは次のことにも言える。

たとえユダヤ教徒の白人が彼ら自身を白人でなく、ユダヤ人と呼ぶとしても、色付きの大部分は彼らを白人と「認識」する。そして、この認識は誰によっても侵害されない。たとえ白人がオバマ大統領を黒人と俺らに強制するとしても、俺らは彼らを白人との中間種と認識する。たとえ俺がオバマを殺すとしても、その行為は黒人との中間種に対する殺人行為であり、黒人に対するものでない。

 俺らの認識が他人の認識によって侵害される時、俺らは他人の認識に奴隷にされているように感じる。そして、その認識の下で、俺らは俺らの行為を罰される。同様に、俺らの知覚が創造主の意志によって侵害される時、俺らは創造主の奴隷にされているように感じる。

3:知覚行為とヌシ

 上記での注意点を提示する。まず始めに、俺らはヌシそれ自体である。ヌシが対象を視蟲を通じてを知覚する。

また、知覚は運動であり、認識は行為である。奴隷にされているのは、知覚という運動である。例えば、奴隷主は奴隷の行為を強制する。

同様に、物質的世界の創造主は俺らの知覚運動を強制して奴隷化する。例えば、俺らは俺らの意志で俺らの肉体の運動を動かせる。この時、俺らは物質的世界からの束縛から、すこし分岐したので、自由になったと認識する。

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