ヌシと車体の関係について

俺らの信仰

 以下で、俺はヌシと車体の関係について提示する。俺らの蟲は俺らの物に依存的である。例えば、目の色は俺らの蟲に対応しているように思える。

しかし、俺らのヌシは俺らの肉体や蟲に対応していないように感じる。実際、たとえ俺らが同じ並行宇宙を無限個作り出すとしても、俺らのヌシは重複してないように感じる。たとえ俺らが世界を一度滅亡させた後、俺らは同じ世界をまた創造するとしても、生じたヌシが同じヌシであるかは誰にもわからない。

つまり、俺らのヌシは俺らの肉体や蟲から導かれないように思える。言い換えると、俺らのヌシは俺らの肉体や蟲に全く対応していない。

1章 偶然と必然と奇跡

 俺らは今分岐世界を採用する。だから、俺らは世界が今現在分岐されていると信仰する。世界が存在するのは偶然であるのか、必然であるのか、または奇跡か、確率的であるのかは不明である。しかし、俺らは物質の存在と蟲の存在とヌシの存在のあり方が異なると感じてきた。

物質と蟲の間には、ほぼ一対一の関係があるように思える。それは再現可能性が存在するように思える。俺らがある物質世界における状態を用意する時、蟲世界はそれにほぼ対応している。それに対して、ヌシと蟲の対応やヌシと物質の対応はそうでない。

たとえ俺らが並行世界を用意するとしても、同じ宇宙を時間的に反復させるとしても、俺のヌシと俺の蟲との関係は蟲と物質の関係でないように感じる。俺の蟲を捉える主体が俺のヌシでなくとも良い。俺らは物質と蟲の関係を物蟲関係と呼び、ヌシと蟲の関係をヌシ蟲関係、ヌシと物の関係をヌシ物関係と呼ぶ。

2章 もしヌシが肉体から導かれるならば?〜矛盾〜

  もしヌシが肉体から導かれるならば、男と女のヌシは完全に異なる対象である。また、俺らはホモ・サピエンスから物質的に進化する時、その新たなヌシ?は新たな分岐なしに俺らの現在のヌシと異なる。ただし、ヌシが肉体から導かれることはそれほど不都合出ない。

なぜなら、その時、俺らは動物のヌシとホモ・サピエンス(動物)のヌシをほぼ自然に区別することができる。この考えには、問題が存在して、それは俺らは俺らのヌシと動物のヌシを区別できないことである。俺らは哺乳類は脳を持っているので、彼らは彼らの蟲を持っている。

その時、彼らは彼らの蟲を捉える主体、つまりヌシを持っているように憶測する。同時に、俺らは彼らのヌシが俺らのヌシと完全には、一致しないように感じる。少なくとも、ハエの視蟲と俺らの視蟲は完全に別種の蟲である。もしヌシが蟲に依存するならば、ハエのヌシと俺のヌシも当然異なる。

 この時、俺らはある種の矛盾を感じる。上記で、俺のヌシは蟲や肉体に依存していないように感じた。実際、この感覚は非常に正しいように思える。蟲までは肉体に対応しているが、俺のヌシがなぜ俺であるのかは依然として不明である。

俺らがホモ・サピエンスを含む動物にヌシの存在を認めるとき、俺らはその根拠を彼らの肉体とそれらからの蟲に置いている。それと同時に、俺らは俺ら人間(ホモ・サピエンスでない)のヌシの存在を物質世界や蟲世界からの一対一の対応に独立であると考えている。つまり、俺らのそれぞれのヌシの発生条件は物質世界と蟲世界であるが、俺らのそれぞれのヌシはそれらに一対一に対応していない。

もしそうであるならば、俺のヌシがシャチのヌシであっても良さようである。世界が変われば、シャチのヌシが人間のヌシであっても良さそうである。しかし、俺らはそれをなぜか認めていない。

 個人的に、俺は人間のヌシは特別であってほしい。それと同時に、人間のヌシは物質や蟲を畑とするが、ヌシは蟲や物質に一対一に対応していない。

タイトルとURLをコピーしました