目的と正しさ〜運動業界の無意味な練習を減らすために〜

大和民族について

 俺がバレーボール業界や相撲業界、そして教育業界を見る時、俺は無意味な練習が存在することに気づいた。この種の無意味な練習の共通点とは、目的が設定されていないことである。

以下で、俺は目的と行為の正当性について提示する。

1章 練習

Intense Volleyball Training for Libero in Japan

取り決め 練習の正当性はその目的によって決定される。

 俺が上記の動画を見た後、俺はバレーボールという業界はカルト宗教か何かであると感じた。なぜなら、上記の練習には、意味がなく、無価値であるように感じた。なぜ上記の練習は無価値であるのか?

なぜなら、上記の練習には、目的が存在しない。俺はなぜ彼女が倒れる、気絶するまで練習を続けたかを理解できない。実際の試合では、この種の状態まで試合することはない。

この種の異常な状態が継続するのは、監督自身が彼の目的をきちんと提示しないからである。監督自体が練習の目的を選手に提示できない。彼自身は単なる作業を選手に提示してきた。

 バレーボールには、延々とレシーブを受け続ける練習が存在するらしい。そして、一部の人間はその練習を否定的に捉えてきた。にも関わらず、亡くなっていないところを見ると、ごねる人間が存在したのだろう。

上記のような状況は試合中には一切存在しない。上記の環境になった場合、試合は中断されるだろう。こんなことをしても、意味がないと感じた。

上記はカルト宗教的な作業であり、何かの儀式であるように思える。練習の目的がはっきりしないので、カルト宗教に見える。

2章 食事

 取り決め 食事行為の正当性は食事の目的によって与えられる。

 運動業界を見ると、選手のタンパク質摂取量は圧倒的に不足している。彼らは米ばかりを作業的に食べてきた。なぜこの種の作業が発生したのか?

なぜなら、彼らは食事の目的を提供できなかった。もし食事の目的が体を作ることであるならば、選手はタンパク質を摂取する必要がある。たとえ選手が米を食べるとしても、選手の体は作られない。

もし選手が太い骨格を獲得したいならば、選手はカルシウムを摂取する必要がある。食事の目的それ自体は科学的な話題でなく、人工的な概念である。人間がそれを作る必要がある。

3章 英語学習

取り決め  英語学習の正当性はその目的によって与えられる。

 英語に限らず、言語は無限である。だから、もし俺らが英語学習の目的を明確に定めないならば、その学習は途方にくれるだろう。英語で商業をすることが目的であるのか?

米国の有名企業で出世することが目的であるのか?日本の企業で、外部の人間と意思疎通することが目的であるのか?目的に応じて、英語学習の必要性が変化する。

学者になりたいのであれば、英語ペラペラよりも業績をより優先する必要がある。俺の印象では、学者の大部分は米国の一流企業で出世するための英語を知らない。別にそれで問題ない。

タイトルとURLをコピーしました