菊池誠(キクマコ)と自己

大和民族について
https://www.excite.co.jp/news/article/Ncn_353113/

 菊池誠の発言を見るとき、俺は彼は自己それ自体を認識できないと審判した。彼は彼自身という自己と科学の違いを認識できない。そのために、彼が批判されると、彼はその批判を「科学への批判」と勘違いする。

ちなみに、自己を認識できないのは、未開人の特徴である。未開人は自己の人種や民族を正確に認識できない。文明民を観察すると、彼らは確固たる自己を持ち、きちんとした自己形成能力を持っていない。それに対して、動物や未開人は自己形成に失敗してきた。

 

1章 カオナシ

 共通認識 カオナシとは、自己それ自体及び自己の何か(対象)を認識しない対象である。顔能なしとは、自己それ自体及び自己の何か(対象)を認識する能力を持たない対象である。

 自己の何かには、自己の歴史や文明や宗教が含まれる。加えて、自己の意見や認識や審判や判断が含まれる。つまり、カオナシとは、自己の歴史や文明や宗教、そして自己の意見や認識や審判や判断を認識しない対象である。

「自己それ自体及び自己の何か(対象)を認識しない」を「カオナシる」とおく。カオナシるとは、自己それ自体及び自己の何か(対象)を認識しない行為(または状態)である。

2章 カオナシと推論行為

 推論行為 もしxがカオナシであるならば、xは自己の歴史を認識しない対象である。

  もしxがカオナシであるならば、xは自己それ自体及び自己の何かを認識しない対象である。何かを歴史と解釈するとき、xは自己それ自体及び自己の歴史を認識しない対象である。したがって、上記の推論行為は俺の脳の中で正当である。

また、上記の推論は歴史だけでなく、文明や宗教や認識にも一般化される。つまり、カオナシは自己の文明や宗教や意見を認識しない。俺らは自己の歴史を認識しない対象を「歴ナシ」、そのほかを「宗ナシ」や「意ナシ」と置く。

1節 顔かむり

推論行為 もしxがカオナシであるならば、xは他人(非自己)の何かを自己の何かと思い込む対象である。

 顔かむりとは、他人(非自己)の何かを自己と思い込む対象である。上記は、もしxがカオナシであるならば、xは顔かむりである。「他人(非自己)の何かを自己の何かと思い込む」を「顔かむる」と置く。顔かむるとは、他人(非自己)の何かを自己の何かと思い込む行為である。

「自己それ自体及び自己の何か(対象)を認識しない」→「他人(非自己)の何かを自己の何かと思い込む」、つまり、カオナシる→顔かむるに変換されると約束する(約束1)。カオナシるを状態と解釈するとき、ある人間が自己と非自己を認識しない状態では、自己と非自己の混同が観察されるである。

もしxがカオナシであるならば、xは自己それ自体及び自己の何か(対象)を認識しない対象である。約束1により、xは他人(非自己)の何かを自己の何かと思い込む対象である。したがって、もしxがカオナシであるならば、xは顔かむりである。

2節 顔かむりと歴史

推論行為 もしxが顔かむりであるならば、xは他人(非自己)の歴史を自己の歴史と思い込む対象である。

 他人(非自己)の歴史を自己の歴史と思い込む対象を「歴かむり」と置く。すると、歴かむりとは、歴史を自己の歴史と思い込む対象である。

3章 キクマコ

 菊池誠は御用学者と呼ばれた後、彼は「科学を殺すな」と反応した。人々は科学でなく、菊池誠を批判した。けれども、菊池は科学を批判されたと感じたらしい。

この行為から、俺は菊池誠は顔かむりであると審判した。つまり、もしxが菊池誠であるならば、xは他人(非自己)の何かを自己の何かと思い込む対象である。もしxが菊池誠であるならば、xは顔かむりである。上記のより、もしxが菊池誠であるならば、xは歴かむりである。

しかし、俺は菊池がカオナシであるかはわからない。俺の勝手な印象では、彼はカオナシであるように見えるが、彼が自己の何かを認識していないことを証明するのは難しい。

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