ジェンダーとフェミニズムの前に〜ホモ・サピエンスと人間とオスと男、そしてメスと女

ホモ・サピエンス生物種
https://ja.wikipedia.org/wiki/チンパンジー

 以下で、俺はジェンダーとフェミニズムについて提示する。俺は東洋文明からみたジェンダーやフェミニズムについて提示する。俺は俺の視点を東洋人として、ジェンダーやフェミニズムについて提示する。

1章 ホモ・サピエンスと人間

 俺らがジェンダーやフェミニズムについて考える前に、俺らはホモ・サピエンスと人間の違いを感覚的に把握する必要がある。俺らは生物的な性と人工的な性を区別する必要がある。同様に、俺らはホモ・サピエンスという生物的な事実と人間性(人性)を区別する必要がある。

俺の印象では、東洋人の大部分はホモ・サピエンスと人間の違いを認識できない。東洋人の大部分は生物的な性(オスとメス)と人工的な性(ジェンダー)を区別できない。同性愛にも、生物的な意味での同性愛と人工的な意味での同性愛が存在する。

さて、俺は以下でホモ・サピエンスと人間の違いを提示しよう。

1節 ホモ・サピエンス

 定義 ホモ・サピエンスとは、チンパンジーとの共通祖先から進化した動物である。

 ホモ・サピエンスとは、チンパンジーとの共通祖先から進化した「動物」である。ホモ・サピエンスは人間でなく、「動物」である。ホモ・サピエンスはチンパンジーやゴリラと同じ仲間である。

ホモ・サピエンスは生物学の対象である。そこでは、ホモ・サピエンスは特別な対象でなく、ゴリラやチンパンジーと同類の対象である。

ホモ・サピエンスの意味

 さて、俺らはホモ・サピエンスの意味を把握しよう。俺らがホモ・サピエンスに対する破壊行為と法律の適用行為を想像する時、俺はホモ・サピエンスの意味を把握できる。

例えば、俺はあるホモ・サピエンスを破壊したと仮定しよう。その時、その破壊行為は殺人行為でなく、動物虐待に対応する。なぜなら、ホモ・サピエンスは人間でなく、動物である。たとえ俺らがホモ・サピエンスを殺すとしても、その行為は殺人行為でなく、殺動物行為である。

次に法律の適用を見よう。ホモ・サピエンスは人間でなく、動物であるので、ホモ・サピエンスは法律の適用対象にならない。また、ホモ・サピエンスは人間でないので、法律の適用対象でない。ホモ・サピエンスは人間でないので、国籍を所有する主体でない。ホモ・サピエンスは人間でないので、その動物は富を所有できない動物である。逆に、その動物は人間によって富として家畜のように所有される。

 最後に、胎児とホモ・サピエンスについて考えよう。胎児は人間でなく、ホモ・サピエンスである。つまり、胎児は動物である。だから、たとえ医師が胎児を中絶させるとしても、医師によるその行為は殺人行為でない。

俺らが中絶行為について考えるとき、俺らは胎児とホモ・サピエンスの違いについて明確に把握する必要がある。生物学的には、発生が始まった受精卵やホモ・サピエンスの形を持った対象はホモ・サピエンスであると認識できるかもしれない。

しかし、俺らはそれらの対象を人間と認識する必要はない。たとえ俺らが発生が始まった受精卵やホモ・サピエンスの形を持った対象を中絶させるとしても、その行為は殺人行為でない。だから、その行為に対して、殺人行為に対する罰は適用されない。

2節 人間

 定義 人間とは、ホモ・サピエンスと人性の組みである。

 人間とは、ホモ・サピエンスと人性の組みである。人間は、人間=(ホモ・サピエンス, 人性)と表示される。人性は人間性と置いても良い。

人性は生物的な事実でなく、人工的な概念である。だから、人間も完全には生物的な事実でなく、人工的な部分を持つ。人間はホモ・サピエンスという生物的な事実と人間性という人工的な概念によって成立している。

人間も人間性も生物学の対象でない。俺らはそれらを人工的に形成する。

人間の具体例(クチャラー)

 俺らが人間の具体例を考える時、俺らは「クチャラー」を考える必要がある。例えば、動物はクチャラーであり、彼らは食事中に食事をくちゃくちゃ食べる。この動物には、ホモ・サピエンスも含まれる。

もしホモ・サピエンスが適切な宗教や文明を持たないならば、その種のホモ・サピエンスは食事をくちゃくちゃ食べるようになる。一方、人間は食事をクチャクチャ食べない。なぜなら、人間は人間性を持ち、その人間性は善悪を与える。

つまり、人間性はクチャクチャ行為は悪であると判断する。俺らが人間とホモ・サピエンスの違いを考える時、俺らはクチャラーを想像すればよい。

人間の具体例(服)

 ホモ・サピエンスは服を着ていない。一方、人間は服を着ている。ホモ・サピエンスと人間の違いは服にも現れる。

生まれてきたホモ・サピエンスは人間性を持たないので、それらは服を着ていない。しかし、ホモ・サピエンスが人間になるにつれて、人間は服を着るようになる。服は単なるファッションや防寒具でなく、人間性の証明でもある。

俺らは服を通じて、どのような人間性を持っているかを明らかにすることができる。

人間の意味

 俺らは人間の意味を把握しよう。俺らが法律の適用対象や破壊行為を考える時、俺らはホモ・サピエンスと人間の違いを区別できる。俺らが人間を破壊する時、その行為は殺人行為として罰される。

人間は国籍を所有する主体である。人間は富を所有する。人間は他の人間によって所有されない。なぜなら、人間は家畜や奴隷でない。

宗教によっては、胎児や受精卵も人間として扱われる。その時、医者は殺人者としてしばしば殺される。

 俺らがサッカー選手の選手を考える時、俺らは人間とホモ・サピエンスの違いを想像できるかもしれない。裸のホモ・サピエンスがサッカー選手になり得ないように、人間性を持たないホモ・サピエンスも人間になり得ない。

サッカー選手が競技を実行するためには、彼らは服を着た選手である必要があるように、人間が人間競技を実行するためにには、彼らは服を着た人間である必要がある。その時、サッカー選手がサッカーのルールを適用されるように、人間は法律を適用される。

3節 人間観と人種及び文明及び宗教

 経験則 もし人種や宗教や文明が異なるならば、その時、人間に対する定義や認識も異なる。

 人間における人性は生物的な事実でなく、人工的な概念である。その人工的な概念は宗教や文明によって人工的に与えられる。つまり、東洋文明における人間は西洋文明におおける人間に一致しない。

例えば、敬虔なイスラム教徒は非イスラム教徒を人間と定義しない。だから、たとえ彼らが俺らを殺すとしても、その行為は殺人行為でなく。動物の殺処分や物体の破壊行為である。

文明や宗教が人性を与える。そのために、文明や宗教が何が人間であるかを定める。西洋文明における人間≠東洋文明における人間。西洋的人間≠東洋的人間。

 宗教や文明をサッカーのような運動競技を仮定する。その時、人間は運動選手に対応する。つまり、運動競技が異なるとき、誰が選手が異なる。

東洋文明では、卓球選手が選手である。一方、西洋文明では、サッカー選手は選手である。卓球選手はサッカー選手でない。

西洋文明における人間とは、サッカー選手である。東洋文明における人間とは、卓球選手である。もし君が自己の宗教や文明を持っていないならば、君は人間でなく単なるホモ・サピエンスである。

4節 唯一の正当な人間性とは?

 仮説 この世界には、唯一の正当な人間性が存在する。その時、唯一の正当な人間も存在する。

 俺らが人間について考える時、次のことを前提知識として抑える必要がある。その知識とは、この世界には、(唯一の)正当な人間性が存在することである。または、それは俺らは唯一の正当な人間性を創造できることである。

日常的には、この世界には、正しい人間性という唯一の何かが存在しているはずである。当然、人間性は科学の対象でないので、人間が人工的に創造する、または創造主の意志によって肯定される。

自然界には、善悪や善悪の正当性は存在しない。同様に、自然界には、正当な人間性は存在しない。この時、ホモ・サピエンスは唯一の正当な人間性を巡って、互いに衝突しあう。これは文明の衝突でもある。

唯一の正当な人間がある種の人間集団によって正当化される時、それは自己言及的な胡散臭さを持つ。だから、創造主の意志や歴史や先祖の意志によって、何が正当な人間性であるかが決定される。

 この唯一の正当な何かは唯一の正当な法体系や唯一の正当な統治制度(民主主義?)、唯一の正当なデザインにも応用される。例えば、唯一の正当な「ホモ・サピエンスの肉体のデザイン」とは何であるか?である。

2章 オスと男

 ここでは、俺はオスと男を提示する。ホモ・サピエンスと人間が異なるように、オスと男も異なる。大和民族を含む東洋小人種の大部分はオスと男の違いをうまく認識できないように思える。

彼らはオスも男も呼び名が異なる生物的な事実と誤認識する。俺らがオスを男を区別する時、俺らはジェンダー運動やフェミニズム運動をよりよく認識できるだろう。さて、以下で、俺らはそれを眺めてみよう。

1節 オス

 定義 オスとは、生物的性(♂)を持つ動物である。

 オスとは、人間でなく動物である。チンパンジーのオスもライオンのオスもホモ・サピエンスのオスも同じオスである。オスは男でない。

オスは生物学の対象である。そこでは、オスは特別な対象でなく、ゴリラのオスやチンパンジーのオスと同じ対象である。

オスは上記のホモ・サピエンスに対応する。一方、男は人間に対応する。ホモ・サピエンスと人間の関係はオスと男の関係に対応する。

オスの具体例(精子の提供)

 オスは出産しない。オスは精子をメスに提供する。

オスの意味

 オスの意味はホモ・サピエンスの意味とほぼ同じである。オスは人間になり得ない。だから、たとえ俺らがオスを殺すとしても、その行為は殺人行為でなく、殺動物行為である。

また、オスは人間でないので、法律の適用対象でない。オスは人間でないので、国籍を所有する主体でない。オスは人間でないので、その動物は富を所有できない動物である。その動物は人間によって富として家畜のように所有される。

 胎児のオスは人間でなく、オスである。つまり、胎児のオスは動物である。だから、たとえ医師が胎児を中絶させるとしても、医師によるその行為は殺人行為でない。

2節 男

 定義 男とは、オスと男性の組みである。

 男とは、動物でなく人間である。男=(オス, 男性)。男性は生物的な事実でなく、人工的な概念である。だから、男も完全には生物的な事実でなく、人工的な部分を持つ。

男の具体例

 男は宗教を形成する。男は文字を形成する。男は文明を形成する。人間社会における人間的なものの全ては男によって作られてきた。当然、男の男性の部分がそれらを形成してきた。

文明はホモ・サピエンスやオスによって形成されてきたわけでなく、人間や男によって形成されてきた。

男の意味

 男の意味を把握しよう。男の意味は人間の意味とほとんど同じである。もしある対象が男であるならば、その対象は人間である。

もし男が殺されるならば、その行為は殺男行為である。一般的に、殺男行為は殺人行為と認識される。つまり、もしある対象が殺男行為であるならば、その対象は殺人行為である。その時、加害者は殺人者として審判され、殺人行為に対応する罰を受ける。

もし男が男性を持たないならば、男は存在しない。それは単なるオスである。男は生物学の対象でない。そこでは、男はオスと区別されて、特別な対象となる。

 男は法律の適用対象である。男は国籍を所有する主体である。男は富を所有する。男は他の人間によって所有されない。

3節 男と文明及び宗教

経験則 もし文明や宗教が異なるならば、男に対する認識も異なる、

 男における男性は生物的な事実でなく、人工的な概念である。その人工的な概念は宗教や文明によって人工的に与えられる。つまり、東洋文明における男は西洋文明におおける男に一致しない。

実際、東洋文明が考える男と西洋文明が考える男は異なる。西洋文明における男は筋肉を重視して、弱いものを守る対象である。西洋文明における男は差別されたと被害者ぶることが許容される。

それに対して、東洋文明では、男はきちんと労働して、被害者ぶらない対象である。東洋人男は筋肉を求められないが、勤勉性や被害者ぶらないことが強く要求される。

4節 唯一の正当な男性とは?

 仮説 この世界には、唯一の正当な男性が存在する。その時、唯一の正当な男も存在する。

 俺らが人間について考える時、次のことを前提知識として抑える必要がある。その知識とは、この世界には、(唯一の)正当な男性が存在することである。または、それは俺らは唯一の正当な男性を創造できることである。

日常的には、この世界には、正しい男性という唯一の何かが存在しているはずである。当然、男性は科学の対象でないので、人間(男)が人工的に創造する、または創造主の意志によって肯定される。

自然界には、善悪や善悪の正当性は存在しない。同様に、自然界には、正当な男性は存在しない。この時、ホモ・サピエンスは唯一の正当な男性を巡って、互いに衝突しあう。これは文明の衝突でもある。

唯一の正当な男がある種の人間集団によって正当化される時、それは自己言及的な胡散臭さを持つ。だから、創造主の意志や歴史や先祖の意志によって、何が正当な男性であるかが決定される。

 この唯一の正当な何かは唯一の正当な法体系や唯一の正当な統治制度(民主主義?)、唯一の正当なデザインにも応用される。例えば、唯一の正当な「ホモ・サピエンスの肉体のデザイン」

とは何であるか?である。

3章 メスと女

 ここでは、俺はメスと女を提示する。ホモ・サピエンスと人間が異なるように、メスと女も異なる。大和民族を含む東洋小人種の大部分はメスと女の違いをうまく認識できないように思える。

彼らはメスと女も呼び名が異なる生物的な事実と誤認識する。俺らがメスと女を区別する時、俺らはジェンダー運動やフェミニズム運動をよりよく認識できるだろう。さて、以下で、俺らはそれを眺めてみよう。

1節 メス

 定義 メスとは、生物的性(♀)を持つ動物である。

。チンパンジーのメスもライオンのメスもホモ・サピエンスのメスも同じメスである。メスは男でない。

メスは生物学の対象である。そこでは、メスは特別な対象でなく、ゴリラのメスやチンパンジーのメスと同じ対象である。

メスの具体例(出産)

 メスは出産する動物である。一方、オスは出産しない動物である。オスとメスの最も異なる性質は出産である。基本的に、オスは出産しない。

メスの意味

 メスの意味はホモ・サピエンスの意味とほぼ同じである。メスは人間になり得ない。だから、たとえ俺らがメスを殺すとしても、その行為は殺人行為でなく、殺動物行為である。

また、メスは人間でないので、法律の適用対象でない。メスは人間でないので、国籍を所有する主体でない。メスは人間でないので、その動物は富を所有できない動物である。その動物は人間によって富として家畜のように所有される。

 胎児のメスは人間でなく、メスである。つまり、胎児のメスは動物である。だから、たとえ医師が胎児を中絶させるとしても、医師によるその行為は殺人行為でない。

2節 女

定義 女とは、メスと女性の組みである。女=(メス, 女性)

 女とは、動物でなく人間である。女=(メス, 女性)。女性は生物的な事実でなく、人工的な概念である。だから、女も完全には生物的な事実でなく、人工的な部分を持つ。

女の意味

 女の意味を把握しよう。女の意味は人間の意味とほとんど同じである。もしある対象が女であるならば、その対象は人間である。

もし女が女性を持たないならば、女は存在しない。それは単なるメスである。女は生物学の対象でない。そこでは、女はメスと区別されて、特別な対象となる。

女は法律の適用対象である。女は国籍を所有する主体である。女は富を所有する。女は他の人間によって所有されない。また、女が殺される時、その行為は殺人行為である。その主体は殺人行為として罰される。

3節 女と文明及び宗教

経験則 もし文明や宗教が異なるならば、女に対する認識も異なる、

 女における女性は生物的な事実でなく、人工的な概念である。その人工的な概念は宗教や文明によって人工的に与えられる。つまり、東洋文明における女は西洋文明における女に一致しない。

4節 唯一の正当な女性とは?

 経験則 女、特に女性は科学の対象でない。

 自然界には、善悪や善悪の正当性は存在しない。だから、善悪やその正当性は自然科学の対象でない。同様に、何が善な女性であるか、その善な女性は正当であるかは科学的な対象でない。

俺らが人間について考える時、次のことを前提知識として抑える必要がある。その知識とは、この世界には、(唯一の)正当な女性が存在することである。または、それは俺らは唯一の正当な女性を創造できることである。

日常的には、この世界には、正しい女性という唯一の何かが存在しているはずである。当然、女性は科学の対象でないので、人間(女)が人工的に創造する、または創造主の意志によって肯定される。

自然界には、善悪や善悪の正当性は存在しない。同様に、自然界には、正当な女性は存在しない。この時、ホモ・サピエンスは唯一の正当な女性を巡って、互いに衝突しあう。これは文明の衝突でもある。

唯一の正当な女がある種の人間集団によって正当化される時、それは自己言及的な胡散臭さを持つ。だから、創造主の意志や歴史や先祖の意志によって、何が正当な女性であるかが決定される。

 この唯一の正当な何かは唯一の正当な法体系や唯一の正当な統治制度(民主主義?)、唯一の正当なデザインにも応用される。例えば、唯一の正当な「ホモ・サピエンスの肉体のデザイン」

とは何であるか?である。

4章 ジェンダー(人工的な性)

 以下で、俺はジェンダーが何であるかを提示する。大和民族を含む東洋小人種は生物的な性と人工的な性を区別できない。この時、西洋文明におけるジェンダー運動とフェミニズム運動の意味をうまく把握できなくなるだろう。

1節 ジェンダー(人工的な性)

 日本語訳 ジェンダーの日本語訳は人工的性である。

 それに対して、オスやメスは生物的な性である。男性や女性は人工的な性である。俺らは人工的な性を便宜的に「人工的性」と呼ぶ。俺らは生物的な性を「生物的性」と呼ぶ。

ホモ・サピエンスと人間が異なるように、生物的な性と人工的な性は異なる。人間の性は生物的な性と人工的な性の組みである。俺はこれを「性別」と便宜的に呼ぶ。

性別とは、生物的な性と人工的な性の組みである。性別は性別=(人工的性, 生物的性)と表示される。以下で、俺らはその具体例を見てみよう。

2節 男性(ジェンダーの具体例)

 認識 男性は人工的性である。

 男性は人工的性である。以下で、俺は男性の具体例を提示しよう。一般的に、人種や文明や宗教が異なるとき、男性像それ自体が異なる。

男性

 男性は宗教や文明を創造してきた。男性は文字を作り、人間社会を形成してきた。男性は牧畜や農耕を営んできた。

男性は人間社会を形成してきた。この考えは人種や文明や宗教にあまり影響を受けない男性像であるように見える。

 それに対して、筋肉に関する男性像は人種や文明に応じて異なる。西洋文明では、筋肉質の男性が正当な男性像である。日常的には、正当な男性とはマッチョである。

それ以外の男性像はあまり認められていない。東洋文明では、正当な男性像はマッチョイズムでない。どちらかというと、勤勉性やお金や秩序や安定性が評価される。

3節 女性(ジェンダーの具体例)

 認識 女性は人工的性である。

 女性は人工的な性である。以下で、俺は女性の具体例を提示しよう。一般的に、人種や文明や宗教が異なるとき、女性像それ自体が異なる。

女性

 例えば、メスは出産する生物的性である。しかし、女性は出産する必要はない人工的性である。出産という行為は女性に関する行為でなく、メスに関する行為である。

メスはメスらしくある必要がある。その時、メスは彼女自身の子孫を残す必要がある。しかし、女性はメスらしくある必要はない。

昔の西洋では、女性は慎ましく、花を摘むような印象があったように見える。21世紀の西洋における女性というジェンダーは変化して、自由が肯定的に評価されるようになった。東洋文明における女性というジェンダーは正確に認識されていないように思える。

4節 同性愛者(ジェンダーの具体例)

 認識 同性愛者は生物的性である。

 認識 同色家は人工的性である。

 同性愛者には、二つの意味が存在する。一番目は生物的な性の意味での同性愛者である。二番目は人工的な性の意味での同性愛者(男色家や女色家)である。

ここでは、俺は生物的な性の意味での同性愛者を「同性愛者」と呼ぶ。俺は人工的な性の意味での同性愛者を「同色家」と呼ぶ。同色家には、男色家や女色家が存在する。

男色家とは、男を好む男である。女色家とは、女を好む女である。男色家や女色家には、それぞれのあるべき姿が人工的に認識される。

 西洋文明では、同性愛は生物的にも人工的にも罪な存在である。同性愛は一般的に正当な性であると認識されない。ここが東洋文明と西洋文明の違いである。

5節 ジェンダーと宗教及び文明

 経験則 宗教または文明がジェンダーを定める。正確には、宗教または文明がジェンダーの善悪及び善悪の正当性を定める。

 宗教や文明が何が人間性であるかを与えた。同様に、宗教や文明が何が男性であるか、何が女性であるかを与える。宗教や人種や文明が異なるとき、何が男性や女性も文明や宗教に応じて異なる。

つまり、東洋人が考える男性と西洋人が考える男性と中東人が考える男性は互いに異なっている。東洋人が考える女性と西洋人が考える女性と中東人が考える女性は互いに異なっている。

以下で、俺らは西洋文明における男性と女性を見よう。そのあと、俺らは東洋文明における男性と女性を見よう。

西洋文明におけるジェンダー

 認識 西洋文明では、西洋人は生物的性と人工的性を対立させる。

 西洋人はホモ・サピエンスと人間を対立させる。西洋人はホモ・サピエンスと人間を対立させう。西洋人はオスと男を対立させる。西洋人はメスと女を対立させる。

彼らは物事を善悪二元論のように考える。その結果、彼らはホモ・サピエンスと人間を悪と善のように二元論として捉える。彼らは人間を善と置き、ホモ・サピエンスを悪と置く。その後、彼らは悪であるホモ・サピエンスを必死で否定しようとする。

同様に、彼らは彼ら自身のオスやメスを悪と置き、必死で否定しようとする。また、彼らは自己を男性や女性を定義すると、その定義に合わない同性愛を否定し始める。実際、彼らは同性愛者を罪と定義して否定した。

東洋文明におけるジェンダー

 認識 東洋文明では、東洋人は生物的性と人工的性を両立させる。

 東洋人はホモ・サピエンスと人間を両立させる。東洋人はオスと男を両立させる。東洋人はメスと女を両立させる。

東洋人は物事を陰陽一体で考える。だから、彼らはホモ・サピエンスと人間を両立させる。彼らは彼らの中の動物的な性質を否定しないし、人間的な性質も良いと認めるように思える。

6節 唯一の正当なジェンダーとは?

 仮説 この世界には、唯一の正当なジェンダーが存在する。その時、唯一の正当なジェンダーも存在する。

 自然界には、善悪や善悪の正当性は存在しない。だから、善悪やその正当性は自然科学の対象でない。同様に、何が善なジェンダーであるか、その善なジェンダーは正当であるかは科学的な対象でない。

俺らが人間について考える時、次のことを前提知識として抑える必要がある。その知識とは、この世界には、(唯一の)正当なジェンダーが存在することである。または、それは俺らは唯一の正当なジェンダーを創造できることである。

日常的には、この世界には、正しいジェンダーという唯一の何かが存在しているはずである。当然、ジェンダーは科学の対象でないので、人間が人工的に創造する、または創造主の意志によって肯定される。

自然界には、善悪や善悪の正当性は存在しない。同様に、自然界には、正当なジェンダーは存在しない。この時、ホモ・サピエンスは唯一の正当なジェンダーを巡って、互いに衝突しあう。これは文明の衝突でもある。

唯一の正当なジェンダーがある種の人間集団によって正当化される時、それは自己言及的な胡散臭さを持つ。だから、創造主の意志や歴史や先祖の意志によって、何が正当なジェンダーであるかが決定される。

 この唯一の正当な何かは唯一の正当な法体系や唯一の正当な統治制度(民主主義?)、唯一の正当なデザインにも応用される。例えば、唯一の正当な「ホモ・サピエンスの肉体のデザイン」とは何であるか?である。

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