教祖の位置付けとその神秘性

俺らの宗教(主体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/仙人

 新興宗教の教祖は神秘的な神様(Godでない)のように崇拝されてきた。この宗教では、俺らはこの種の日本的な?宗教観を採用しない。以下で、俺は教祖がどのような存在であるかを提示する。

1章 教祖(この人工的な世界の創造主)

 教祖 教祖(この人工的な世界の創造主)は物質世界及び蟲世界から最も強く分岐された対象である。

 教祖は物質世界及び蟲世界から最も強く分岐された対象である。この宗教では、俺らは教祖をこのように捉える。

1節 意味

 その意味とは次である。教祖は分岐されているので、彼は善悪を取り扱うのが分岐されていない対象よりも上手である。彼はより分岐された存在であるので、彼は他人と異なり物質世界や蟲世界に存在しない何かを特別に取り扱える。

この宗教「俺らについて」の教祖に対する認識はこのようなものである。つまり、教祖は最も分岐された存在であるので、彼はこの世界に存在しない何かを創造しやすい存在である。この世界に存在しない何かを創造するためには、分岐されていることが必要であると仮定するとき、俺らは教祖に対する印象を形作ることができる。

2節 注意点

 一般的に、教祖というとうんこしないアイドルのように信仰者によって崇拝されてきた。しかし、この宗教では、俺らはこの種の教祖観を採用しない。つまり、教祖もまたホモ・サピエンスと同様にうんこする。

しかし、教祖がうんこするのは物質世界における現象である。教祖は物質と蟲とヌシからなるが、教祖の神秘性?の源泉は世界で最も分岐されたヌシであり、物質や蟲でない。物質世界における現象は普通のホモ・サピエンスと変わりないのは当然である。

日本列島では、教祖はうんこしないアイドルや(批判者によって)普通の人間と変わらない平凡な存在と0か1かで捉えられてきた。この宗教では、教祖が完全なる神秘的な存在かまたは単なる平凡なおっさんかと捉えない。教祖は最も強く分岐された存在であり、分岐の部分は非物質世界的であり、非蟲世界的である。

 教祖の分岐されていない部分は平凡なおっさんである。教祖の分岐された部分は非物質世界的な存在である。信仰者は教祖をこのように捉える。簡単にいうと、信仰者は教祖を過度に神秘化したり、神秘を否定して平凡化させないように努める。

2章 教祖の存在とそれぞれの宗教

 教祖の存在 教祖の存在は中国における仙人のような存在である。

 仙人は普通の人間でない。同様に、教祖も普通の人間でない。仙人が人間に混じって人間のように暮らしていたように、教祖やその関係者も人間に混じって生活する。その時、仙人もまた人間らしい失敗を繰り返すだろう。

教祖は中国における仙人のような存在に近い。中国では、仙人と人間が入り混じって混沌とした世界を築き上げてきた。この宗教における教祖の存在はそれに近い。ただし、人間と仙人の間には、明確な壁が存在したように、教祖と信仰者の間にも明確な壁が存在して、彼らは平等でない。

一方、中東発祥の宗教における創造主は人間から完全に隔絶されている。そこに、古代ギリシアのような人間らしい多神教的な神様は存在しない。この宗教における教祖はこの種の完全に隔絶された創造主的な存在でない。

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