responsibilityの日本語訳は「責任」か?応答義務か?

 日本列島では、responsibilityは「責任」と訳されてきた。この翻訳に対して、俺は反対する。俺はresponsibilityを「応答義務」と訳す。

以下で、俺らはresponsibilityという概念を見てみよう。

1章 responsibilityは応答義務

 日本語訳 responsibilityの日本語訳は応答義務である。

1節 意味

 人間は自由意志を持つ対象である。だから、彼らは彼らの行為を彼らの意志で選択する。この時、彼らは彼らの結果として生じた存在と状態と運動に関する「責任」を持つ。

日本列島では、「責任」はこのように解釈されてきた。しかし、この責任の意味は非常に不明瞭である。実際、存在と状態と運動に関する「責任」を持つというが、俺らは何をすれば良いのだろうか?

2節 具体例(交通事故)

 俺らが交通事故を考える時、俺らは責任の意味を感覚的に把握できる。例えば、俺が交通事故を起こしたとしよう。その時、俺はその事故に関する責任を負う。

ここでの責任とは、事故に対する(自発的な)応答義務である。当然、その義務には、損害に対する埋め合わせや詫び、質問に対する応答義務が存在する。つまり、責任とは、自己の自由意志によって生じた存在と状態と運動に関する応答義務である。

簡単にいうと、事故から逃げるな!である。責任とは、ある種の束縛状態である。日本列島では、責任をとる=刑罰を受ける(切腹)と解釈されているように見える。しかし、刑罰と応答義務は互いに関係するが、全く異なる概念である。

 責任を取らないとは、応答義務を果たさなことである。つまり、例え俺が事故を起こしたのに、俺は事故に対する応答を一切しない。事故に対する損害の埋め合わせに対する応答も被害者に対する詫びも事故に関する質問に対する応答も一切しない。知らんぷりしている状態である。

3節 具体例(戦後ドイツ人)

 俺らが戦後ドイツ人の行為を見る時、俺らは責任の意味を感覚的に把握できる。ドイツ人はユダヤ教徒の白人や地中海人を虐殺した(交通事故を引き起こした)。その結果、彼らはナチスの行為に対する責任が生じた。

その責任とは、ナチスに対するドイツ人の応答義務である。ドイツ人はナチスにドイツの価値観に沿った応答をする必要がある。例えば、ドイツ人は加害者側であるのに、なぜかナチスやヒトラーを糾弾する側に立ってきた。彼らは差別主義者を糾弾する側に立ってきた。

東洋人から見ると、ドイツ人の行為は異様に見える。しかし、その行為はドイツ人なり責任果たし方、つまり応答義務の果たし方であるのだろう。俺は彼らの責任を「糾弾型応答義務」と呼ぶ。

おまけ 応答義務を果たさない動物

 西側白人との中間種(俗称?白人ハーフ)は責任を認識できない動物である。彼らはモンゴロイド人種の虐殺に対する応答義務をたはす必要がある。しかし、彼らはモンゴロイド人種の虐殺に関して、知らんぷりしてきた。

彼らは純粋な白人や東洋人にその責任を取ってもらってきた。本来であれば、彼らはモンゴロイド人種の虐殺や原子力爆弾の投下に関する質問の応答義務を果たす必要がある。西側白人との中間種(俗称?白人ハーフ)には、責任が存在しない状態、つまり野生的な状態である。

2章 responsibilityは素晴らしいか?

 以下で、俺は責任という概念は素晴らしいかを提示する。結論では、俺は責任という概念は素晴らしくないと結論づける。なぜなら、俺らは再度の事故を責任で予防できない。だから、たとえ俺らが責任を果たすとしても、俺らは同じ事故を繰り返す可能性が存在する。

1節 ドイツ人の例

 戦後のドイツ人は彼らなりの責任を果たしてきた。その責任では、彼らはナチスに対する糾弾という形で応答義務を果たしてきた。俺らが彼らを見る時、俺らは彼らの行為に対する違和感を覚える。

その違和感とは、ドイツ人は戦後と戦前で何も変わっていなことである。戦前はユダヤ教徒を糾弾して、戦後はナチスを糾弾しているように見える。ドイツ人は何も反省していないように見える。

ドイツ人は何も自己の性質に関する予防義務を果たしていないように見える。言い換えると、ドイツ人はまた同じ間違いを繰り返すように見える。彼らの過度な糾弾癖は戦前と戦後で何も変わっていないので、彼らはまた似たような交通事故を引き起こすだろうと…。

 一般論として、例え俺らが交通事故に対する応答義務を果たすとしても、もし俺らが同じような交通事故を引き起こすならば、応答義務という概念それ自体は疑われる。重要なことは応答義務なのか、予防義務なのか、それとも他の何かであるのか。

ドイツ人の大部分はキリスト教徒である。だから、彼らは罪を償った後、彼らは彼らの過去を否定して、生まれ変わった気分になる。その結果、彼らはなぜかナチスを糾弾する側に立とうとして、他者を糾弾してきた。

3章 責任よりも重要な概念

 以下で、俺は応答義務よりも重要な概念を提示する。東洋文明では、東洋人は下記の概念を優先させよ。

1節 予防義務

 予防義務とは、再度の事故を予防する義務である。交通事故の例では、交通事故を引き起きした主体は応答義務よりも予防義務を優先する。交通事故に対する応答よりも、運転の仕方の変更がより重要である。

2節 後始末

 交通事故を引き起きして、公道を荒らした場合、その主体は事故の後始末を彼自身でするべきである。もし俺が部屋を荒らすならば、俺は荒らした状態に対する応答でなく、俺は荒らした状態の始末を俺自身でつける必要がある。

3節 後片付け(元どおり)

 西側白人は世界をめちゃくちゃにしてきた。彼らは黒人をアフリカ大陸からアメリカ大陸へ勝手に移動させた。彼らはその状態を放置して、大航海時代前の状態に元どおりにしようとしない。彼らは彼らの虐殺に対する応答義務を果たしているのかもしれないが、彼らは彼らの行為の後始末や後片付けを一切していないように見える。

本来であれば、彼らは黒人をアフリカに返して、白人を欧州に返す。そして、彼らはアメリカ先住民やイヌイットの数を増加させる必要がある。そうして、ホモ・サピエンスの自然な環境を復元する必要がある。

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