死とは?死ぬという運動と死という状態

人工物
https://en.wikipedia.org/wiki/Death
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 人種や宗教や文明が異なるとき、死に対する認識や定義それ自体が異なる。例えば、ある種の教徒は天国の存在を信仰するので、彼らは生物的な意味では死なない。

以下で、俺は死に対する日常的な認識を提示するつもりである。死には、自己の死と他者の死という2種類の死が存在する。ここでは、それらを区別せずに扱う。

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1章 死ぬ(運動)

 共通認識 死ぬとは、対象が対象の生(状態)から対象の死(状態)へと変化する運動である。

 死ぬは動詞であるので、死ぬも運動である。上記では、死ぬとは、一種の運動であり、そこでは対象が生という状態から死という状態へ変化する。この時、俺らは生という状態や死という状態を定義、認識する必要がある。

一般的に、生という状態や死という状態が宗教や文明に応じて異なるので、死ぬの意味もまた異なる。例えば、もし俺らが死後の天国や天国の存在を信じるならば、死ぬとは、対象が対象の生(状態)から対象の別の状態(天国)へと変化する運動である。

2章 死(状態)

 共通認識 対象の死(状態)とは、対象の状態が生でない状態である。または対象の死とは、対象の状態が無(0)である状態である。

 誰も死が何であるかを正確に把握できない。だから、俺らは死という状態を生の否定と便宜的に捉える。

日常的には、死とは、生まれた前の状態が永遠に続く状態である。印象的には、死とは永遠の無であり、何も存在しない。

ただし、無が何であるかもわからない。無が有限の対象のように実際に存在するのかもわからない。もし無が科学における無限のような対象であるならば、俺らは無の実際の存在を仮定できない。

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