無の上の対象について〜暗対象〜

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 俺らは対象と対象の存在を区別しずらいと感じてきた。そこで、その区別を明確にするために、俺らは無の上の対象という単語を提示する。俺らは無の上の対象を暗対象(あん対象)と便宜的に呼ぶ。

俺らが創造主について考える時、俺らは創造主という対象と創造主という対象の存在を明確に区別する必要がある。創造主が存在していることと創造主という対象は非常に異なる。創造主は実際の存在である必要はない。

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1章 暗対象(無の上の対象)

 共通認識 暗対象(無の上の対象)とは、無の上に置かれた対象である。

 無が何であるかは現時点では不明である。印象的には、無とは暗闇である。俺らがある対象を想像する時、俺らは暗闇の中に対象を思い浮かべる。その暗闇が無である。

例えば、俺らは創造主それ自体について思い巡らす時、俺らは創造主を直接的に知覚できないが、頭の暗闇の中に創造主を感じ取ることができる。その時の創造主という対象が無の上の対象である。

俺らが対象の存在を考える時、俺らはその対象をある種の競技家に組み込み、存在とする必要がある。俺らがその対象を組み込む前、俺らはその対象を頭の中に思い浮かべる必要がある。けれども、その時、俺らはその対象をどこかに存在させるわけにはいかない。

 だから、俺らは無の上の対象を思い浮かべて、存在しない対象を取り扱う必要がある。ここでは、俺らは対象と対象の存在を明確に区別して、対象の存在を競技家における要素のような何かと認識する。

また、俺らは暗対象の存在を暗存在と便宜的に置く。

2章 暗対象の具体例

1節 創造主

 自然界の創造主は暗対象である。自然界の創造主とは、自然界を創造した対象である。暗対象(無の上の対象)とは、無の上に置かれた対象である。

創造主自身は対象である。しかし、創造主自身は対象の存在でない。なぜなら、創造主はどこのsystem競技家には所属している。この宗教では、俺らは存在をsystem競技家を認識する。

だから、創造主はどこの競技家にも属していないので、創造主は対象の存在でない。創造主は暗対象として捉えられる。

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