集合(set)〜なぜ狼達でなく狼達の群れを考えるか〜

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https://en.wikipedia.org/wiki/Wolf
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 以下で、俺は集合(set)を提示する。数学では、集合の概念が用いられている。しかし、ここでは、俺は日常的な意味での集合を提示する。

集合とは、対象達の集まりである。俺らがこの定義を見たあと、俺らはなぜ対象達でなく、対象達の集合をわざわざ考えるのか疑問に思っただろう。例えば、俺らは狼達でなく、狼達の群れ(the set of wolves)を考える。

なぜ俺らはwolvesでなく、the set of wolves(flock of wolvesかも)を考えるのだろうか?当然、狼の場合、機械や原子と異なり、意思決定者の数は数多く存在する。

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1章 集合(set)

 共通認識 集合とは、対象達の集まり(ひとまとめ)である。

 集合とは、対象達の集まり(ひとまとめ)である。例えば、集合とは、(ある種の)狼達の集まり(ひとまとめ)である。上記の認識は集合を集まりに言い換えただけであるように見える。

また、もし対象が少なくとも一つの存在や状態や運動を持つ何か(最後尾)であるならば、集合はある種の状態をもつ(ように見える)何かである。だから、集合は(ある状態をもつ)一つの対象である。

個人的には、対象達それ自体は対象達の集合に等しくない。対象達それ自体と対象達の集合は互いに異なる概念である。幾何学的には、集合は球面や閉じた曲線や家の外壁などで表現されて、境界を表現しているように見える。

1節 具体例

 俺がある種の狼達を集める。その時、集合xが把握される。その集合とは、狼達の集まりである。

2章 なぜ集合を考えるか?

 俺らがその狼達というとき、俺らはその狼達を指定することができる。さらに、俺らが「ある狼とは遺伝子Wを持つ動物である」と狼を定義するとき、その狼とそうでない対象が区別される。その後、俺らはその狼達(の全て)を指定するとき、俺らは狼達の集合なしに、その狼達を取り扱うことができるように思える。

では、なぜ俺らが集合をわざわざ考えるのだろうか?狼達だけで、対象達だけで十分であるように見える。以下では、俺はその理由のいつくかを提示してみる。

1節 所属

 俺らが集合を仮定しないとき、俺らは狼達の「所属」を考えることができない。ある狼が狼達に属しているという表現は集合の概念なしに存在しない。

または、国家という概念を考える時、俺らはホモ・サピエンスの集合を国家の中に見出す。例えば、もし俺らが集合の概念を持たずに、ホモ・サピエンス達のみを考えるならば、そのホモ・サピエンス達は彼らの所属を持たない。彼らは地球上にただ存在するホモ・サピエンス達である。

もし俺らがホモ・サピエンス達の所属を考えないならば、俺らは集合の概念を必要としない。たとえ集合の概念がなくても、俺らはホモ・サピエンスという対象それ自体を分析することはできる。しかし、もし俺らが集合を認識しないならば、俺らはホモ・サピエンスの遺伝的な性質の全てを明らかにできるとしても、俺らはそのホモ・サピエンスがどこに所属しているかを決して明らかにできない。

 同様に、もし俺らが集合を認識しないならば、俺らは狼の遺伝的な性質の全てを明らかにできるとしても、俺らは狼がどの群れに所属しているかを決して明らかにできない。

2節 面倒さの回避

 俺らが特定の狼達を取り出したい時、俺らはその狼達を集まりとして捉える。その時、俺らは狼12と狼34と狼123…と唱えなくて良い。狼12と狼34と狼123…の集合を作り、その集合を集合xと呼ぶ。

この時、俺らは集合をxと唱えるとき、狼12と狼34と狼123…を要素とする集合を召喚できる。当然であるが、俺らは狼12と狼34と狼123…の和を考えて、別の狼に変形できないので、俺らは狼12と狼34と狼123…の「和」を考えることができない。その場合、組みでも良いのかもしれない。

狼達の数のみによる取り出しだけでは不十分であり、具体的な狼達の取り出しが必要になる時、俺らは集合という概念を使用できるかもしれない。

 

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