日本学術会議については、政府から切り離して民間組織にすべきだとの考えを示した。
学術会議の任命拒否問題については、「(首相在任時)強い関心を持っていなかった。課題は認識していたが事務方に任せていた」と振り返り、会員の推薦名簿も見たことがないと語った。その上で、会員の任命は「推薦通りでなくてもいいのではないか」と菅政権の対応に理解を示した。
同時に「学術会議は完全に民間の活動としてやられた方がいい」とも主張。安全保障分野の研究に否定的な同会議に「税金を入れるべきなのか」と述べ、国費投入の見直しも選択肢との見解を示した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/401bb974c269676c4e471d97174a5a78d98f81f3
上記は安倍首相の発言である。俺は彼の発言の一部に賛成する。しかし、俺は学術会議は廃止した方が良いと審判する。以下で、俺は学術会議に関する問題点を提示する。
大和民族の学者は人間よりも猿に近い。彼らは反知性主義者でなく、彼らは反文明主義である。彼らは約束や統治それ自体、そしてお金を嫌っていて、拒絶している。彼らは文明の象徴たる火を拒絶して、寿司と呼ばれる生ゴミをくちゃくちゃ食べてきた。
1章 統治の意味の欠如
俺の認識 大和民族のgakushaは統治行為の意味を把握できない
大和民族のgakushaは統治の意味を把握できない。彼らは憲法や法律に関する知識を「記憶」しているが、彼らは統治の意味を把握していない。菅総理は日本国の統治者であり、学者を含めた日本国民を統治する能力を発動させることができる。
にも関わらず、大和民族のgakushaは菅総理による統治行為それ自体をなぜか拒絶する。彼らは学者よりも未開の猿や「人もどき」に近い。彼らは日本国の統治者による統治それ自体を「独裁」であると誤認識している。
結局、大和民族のgakushaは選挙で統治者を選択して、責任を取ってほしい。けれども、彼らは統治者による統治に従いたくない。彼らは「自由に」やりたい。このように感じているのだろう。彼らは統治行為それ自体の意味を把握できない。だから、彼らの反応はおかしい。
2章 契約概念の欠如
俺の認識 大和民族のgakushaは契約概念を持っていない。
大和民族のgakushaは契約概念を持っていない。彼らは統治が何かを審判できないし、認識できない。加えて、彼らは契約が何であるかを認識できないので、統治者による統治を拒絶する。
彼らは猿と同じであり、約束を守れない。もし彼らが国家の統治者を選挙で選択したならば、彼らはその統治者による統治に従うべきである。彼らは島国の未開の人もどきであり、彼らは約束が何であるかを認識できない。
もし彼らが統治者を選択したならば、彼らは統治者に一度従う必要がある。もし彼らがその統治者を嫌うならば、彼らは選挙で落とす必要がある。大和民族の学者は猿のような野生動物と同じで、統治や約束それ自体を認識できない。
gakushaのゴミ発言を見ると、彼らは彼らのゴミみたいな真理を主張すれば、彼らは約束を破棄して良い、借りたお金を返さなくて良いと感じているように見える。例えば、彼らは独裁やナチスを引用すれば、彼らは国民と統治者との約束を破棄することができる。
3章 組織の独立と自治?
俺の認識 大和民族のgakushaはお金の概念と自治の概念を持っていない。また、彼らは独立の意味も認識できない。
大和民族のgakushaはお金の概念と自治の概念を持っていない。また、彼らは独立の意味も認識できない。彼らは組織の独立や自治を主張するが、彼らは他人の税金(富)に依存してきた。
彼らの主張とは、「お金を出せ、でも口を出すな。学問の自由だから」である。そして、彼らはこの何がおかしいのかをわかっていない。なぜなら、彼らは猿と同じで、善悪の判断を下せない。彼らは単なる乞食や強盗と同じである。
もし国民が税金を貸すならば、国民の代表者が人事や研究をしっかりしているか(約束をきちんと果たしている)、介入するのは当然である。彼らは統治やお金の概念を認識できないので、彼らは税金に依存しているのに、彼らは「独立」を唱えて、彼らは自治を主張する。
彼らはある無職が両親のお金に依存しているのに、彼らは自治や自由を求めているような状態である。両親の税金に依存するならば、当然、両親からの介入が存在するのは当然である、たとえその無職が学問の自由を主張するとしても。

税金に依存している乞食が「独立」や「自治」を主張して、何かおかしいと思わないのだろうか?独立や自治を主張するならば、金銭的に独立せよ。お金や契約、そして統治の概念それ自体がないので、彼らは誤った「審判」や「認識」を繰り返す。誤審判や誤認識が多いので、知的に動けない知的デブに見える。彼らの言語的な応答がおかしい。