対象(object)の存在(existence)について

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 以下で、俺は存在(existence)を提示する。俺は存在と対象(object)と明確に区別する。つまり、俺は対象の存在という表現で存在それ自体を認識する。

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1章 存在(existence)

 共通認識 対象の存在とは、ある対象が他の対象に所属するという性質である。

 存在とは、対象が他の対象に所属するという性質である。性質とは、存在や状態や運動にメタ的に与えられる名前である。日常的には、対象の存在とは、その対象がどこかに所属するという性質である。

つまり、対象の存在とは、対象の所属である。所属それ自体が存在である。だから、もしある対象がどこにも所属していないならば、その時、その対象の存在は認識されない。

1節 具体例

 俺らはサッカー選手を対象とする。その時、サッカー選手の存在とは、競技場とサッカー選手とサッカーの決まりという組(競技家=system)に所属するという性質である。日常的には、そのサッカー選手がサッカーというシステムに所属している時、そのサッカー選手は存在する。

次に、俺らは日本国民を対象とする。日本国民の存在とは、領土と国民と法律の組みに所属するという性質である。日常的には、その日本国民が日本国という国民国家というシステムに所属している時、その日本国民は存在する。

上記の注意点として、サッカー選手xや日本国民aは存在しないとしても、xやaそれ自体は対象であるかもしれないことである。存在とは、あくまでも対象の性質である。

2節 創造主は存在するのか?

 上記の認識では、創造主は存在しない。なぜなら、創造主はどこにも所属していない。だから、俺らは創造主の存在を認識しない。

ただし、創造主は対象である。対象とは、存在や状態や運動を持つ何かである。創造主は世界の創造行為という運動を持つので、創造主は運動を持つ対象である。

2章 対象の実際の存在

 俺の認識 対象の実際の存在とは、その対象が自然界(物質世界)に(実際に)所属するという性質である。

 対象の実際の存在とは、その対象が自然界(物質世界)に実際に所属するという性質である。自然界とは、宇宙と物質と自然法則の組みである。日常的には、対象の実際の存在とは、自然界に属しているという性質である。

例えば、俺らは物質を対象とする。その時、物質の実際の存在とは、その物質が自然界に実際に所属しているという性質である。つまり、俺らはある対象が実際に存在しているのかどうかは、自然界に所属しているかどうかに置き換えて、認識する。

ある対象が実際に存在しているかどうかは知覚可能によって定義されてきた。しかし、俺らはその定義を採用しない。なぜなら、もし俺らが知覚可能をその定義として採用するならば、俺らは日本国民を存在として扱えない。究極的には、純粋に物理学的な世界には、サッカー選手も日本国民も存在しない。

その時、俺らは日本国民を実際の存在物として扱えない。だから、俺らは上記の拡張された存在を存在の認識として採用する。

1節 善悪

 俺らが善悪(レッドカード)と対象とする。その時、その対象の存在は実際の存在でない。なぜなら、善悪は自然界という競技家(system)に所属しない。

実際、俺らは善悪を知覚できない。また、罪や礼を根拠づける単語も対象であるが、対象の実際の存在でない。なぜなら、罪や礼それ自体も自然界に所属しない。

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