対象の存在

言語
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 人々は存在とは何であるかを思考してきた。一部の人々は存在とは知覚されるものであると提示した。この考えでは、もし自然界が知覚されるならば、自然界は存在するという推理が成立する。

この考えは俺らの感覚にも合致しているように感じる。しかし、この時、俺らは創造主の存在や数の存在や国家の存在、言語の存在や名前の存在をうまく把握することができない。だから、俺らは異なる存在に対する俺らの認識を提示する必要がある。

以下で、俺は存在を提示する。俺は存在と対象と明確に区別する。つまり、俺は “対象の存在” という表現で存在それ自体を認識する。

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存在

対象の存在

 俺の認識 対象の存在とは、あるシステムへのその対象の所属である。

 ある対象があるシステムに所属するとき、その対象はそのシステムの中に存在する。つまり、存在とは所属である。所属それ自体が存在である。だから、もしある対象がどこにも所属していないならば、その時、その対象の存在は認識されない。

実際の存在

 俺の認識 対象の実際の存在とは、その対象が自然界の中に(実際に)所属する存在である。

 対象の実際の存在が日常的な意味での存在である。俺らは自然界というシステムの中に所属する対象を存在していると感じる。例えば、数それ自体は実際の存在でない。なぜなら、数それ自体は自然界に所属しない。

 推理 もしある対象が(動物以上によって)知覚されるならば、その対象は自然界の中に存在する。

 一般的に、知覚されるものが存在であると考えられてきた。俺らは上記の推理を使用して、俺らは存在を認識する。感覚的には、俺らは「物質が自然界の中に所属しているので、俺らは物質を知覚できる」と感じている。

上記の推理を採用する時、過去の物質や未来の物質は自然界の中に実際には存在しない。そこで、俺らは「主に機械的な推理や感覚的に経験によって信用的に、または信頼的に拡張された “対象の実際の存在”」を考える。つまり、もし俺らが対象の実際の存在を過去や未来への信用的に(信頼的に)拡張することができるならば、俺らはその拡張された対象を実際の存在であると信用する(信頼する)。

具体例

物質

 物質をエネルギを持つ対象であると仮定する。物質が自然界というシステムに所属する時、物質はそのシステムの中に存在する。物質の存在とは、自然界への物質の所属である。

選手

 俺らはサッカー選手を対象とする。サッカー選手がサッカーという運動競技(システム)に所属する時、その選手はシステムの中に存在する。サッカー選手の存在とは、サッカーへの選手の所属である。

もしサッカーシステムが存在しないならば、サッカー選手それ自体が存在しない。ただし、俺らはサッカー選手として存在することができる能力を持った対象(存在の前駆体)と知覚、または認識する。

 数が数学的な世界システムに所属する時、数はそのシステムの中に存在する。数の存在とは、数学的なシステムへの所属である。例えば、俺らが解の存在を考える時、もし解があるシステムに所属するならば、その解はそのシステムの中に存在する。俺らはこのように解釈する。

非存在

 俺の認識 創造主は対象であるが、存在でない。

 もし創造主がどのシステムにも所属しないならば、創造主はそのシステムの中に存在しない。自然界の創造主は自然界を創造した対象であり、自然界の中に所属しない。だから、創造主は存在でない。ただし、創造主は対象であり、それは自然界を創造した対象である。

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俺らについて