以下で、俺は他者のヌシが対象であることを提示する。ただし、自己のヌシは対象でなく、主体である。
1章 他者のヌシ
共通信仰 他者のヌシは蟲的世界から分岐する対象である。
他者のヌシは蟲的世界から分岐する対象である。対象とは、少なくとも一つの存在や状態や運動を持つ何かである。「蟲的世界から分岐する」は運動である。
他者のヌシは運動を持つ何かである。従って、他者のヌシは対象である。ただし、自己のヌシは対象でなく、主体である。
あるいは、他者のヌシは俺のヌシによって同じヌシと信仰される対象である。対象とは、少なくとも一つの存在や状態や運動を持つ何かである。「俺のヌシによって同じヌシと信仰される」は運動である。
他者のヌシは運動を持つ何かである。従って、他者のヌシは対象である。ただし、自己のヌシは対象でなく、主体である。
2章 自己のヌシ
自己のヌシは対象でない。自己のヌシは主体である。なぜなら、自己のヌシは自己それ自体である。
主体とは、対象を捉える自己である。この宗教では、自己とは自己のヌシである。だから、主体とは、対象を捉える(自己の)ヌシである。