主体(subject)と自己(self)

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https://en.wikipedia.org /wiki/Eye
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 以下で、俺は主体と自己を提示する。一般的に、主体と対象は対になっているように感じる。日常的には、対象は被写体であり、主体は撮影者である。

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1章 主体(subject)

 共通認識 主体とは、対象を捉える自己である。

 主体とは、対象を捉える自己である。捉えるが何であるかは不明である。ここでは、俺は知覚する、認識する、信仰すると便宜的に置いている。広義には、捉えるとは、対象と自己との間に関係付けられる運動(動詞)である。

上記の注意点としては、人種や宗教や文明が異なるとき、自己それ自体が何であるかが異なる。だから、人種や宗教や文明が異なるとき、対象も異なる。また、自己が何であるかにもよるが、対象それ自体は自己でない。

2章 自己

 共通認識 自己とは、対象を捉える主体である。

 自己とは、対象を捉える主体である。上記では、俺は人種や宗教や文明が異なるとき、自己それ自体が異なると提示した。

例えば、ある種のホモ・サピエンスは彼らの肉体それ自体を自己それ自体を認識しているように見える。その時、主体とは、対象を捉えるホモ・サピエンスの肉体である。その時、捉えるとは、彼らの脳が対象を知覚する運動である。

または、ある種のホモ・サピエンスは彼らの意識や視界それ自体を自己それ自体と認識しているように見える。その時、主体とは、対象を捉える意識や視界である。その時、捉えるとは、彼らの意識や視界が対象を知覚する運動、または認識する行為である。

 この宗教では、俺らは俺らのヌシを自己と信仰する。だから、主体とは、対象を捉えるヌシである。詳細は別のページで実行する。対象が蟲を立ち上げて、ヌシがその蟲を知覚している。

 

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