柏野雄太(yutakashino)の発言に対する俺の違和感〜バクフー株式会社(BakFooInc)〜

大和民族
https://twitter.com/yutakashino/photo
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 俺は柏野雄太の発言に賛成する。しかし、俺は上記の呟きに対する反応を見た後、俺は強烈な違和感を覚えた。その違和感とは、「大学には、サイコが多すぎから仕方がない」と言っているように見えることである。

大学にサイコが多いことは自然現象でなく、人為的な現象である。そして、俺らはその現象を俺らの意志で変更することができる。にも関わらず、柏野雄太はその状態をまるで自然現象のように語っている。

以下では、俺は柏野雄太の発言及び発言への反応に対する違和感を提示する。

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1章 善悪の欠如

 善悪の欠如:柏野雄太の発言には、善悪が存在しない。

 俺が柏野雄太の発言を見た後、俺は感じた違和感がこれである。俺は柏野雄太は大学にはサイコが多すぎという状態を善と判断するのか、悪と判断するのかをつぶやいていない。柏野雄太は大学の状態を実況、説明しているだけであり、善悪の判断を下せていない。

この種の違和感は上記だけでなく、大学に関する全ての状態に言える。例えば、柏野雄太は大学には10年以上論文を書いていない人間が存在すると愚痴を言うとしても、柏野雄太はその状態が悪いのか、善であるかを彼の言葉で表現できない。

善悪の判断が欠如しているので、アカデミアという社会がサッカーの試合のようにレッドカードによって制御されない。その結果、めちゃくちゃ選手のめちゃくちゃな行為が放置される。柏野雄太はサイコが多すぎることをレッドカードであると判断しているのだろうか?

2章 自然と人工の区別の欠如

 自然と人工の区別の欠如:大学にサイコが多いことは自然現象でなく、人為的な状態である。

 柏野雄太は上記の発言をまるで自然現象のように語り、その状態が仕方がないと言っているように見える。しかし、俺はその状態は自然現象でなく、人為的な状態であると認識する。従って、その状態はしょうがないや仕方がないでなく、改善されるべき状態である。

一般的に、大和民族は、都合が悪くなると、人為的な状態をまるで自然現象のように語る。なぜなら、彼らは相手が「自然現象であり、人間の意志では変えられませんね、しょうがない(だから、君は悪くない)」と言ってくれることを期待している。大学にサイコが多い状態も人為的な状態でなく、自然現象であるので、しょうがないと言って欲しいように見える。

なぜなら、その時、彼らは大学における状態に関する責任も後始末も一切負わなくて済むと考えている。上記でも述べたが、大和民族は何か問題が生じるとしても「仕方がない」と言って、互いに同意や共感を集めて、傷を慰めあって、何もしない。「仕方がない、しょうがない」と言って終わり。

3章 自治の欠如

 自治の欠如:もし大学にサイコが多いならば、その状態は大学の自治が機能していない。

 大学は学問の自由や大学の自治を主張している。だから、もし彼らがサイコが多い状態をつくり上げたならば、その時、彼らは自治能力の欠如に関する責任を負うべきである。人材の管理や統治が全く機能していないので、サイコが多い状態が作り上げられる。

おまけ 反応のおかしさ

 反応のおかしさ:大学にサイコが多いという呟きに対する反応や応答が悪い(レッドカード)。

 日本人の学者は上記の文章に対して、彼らは「説明行為」を実行する。しかし、彼らが実行するべき行為とは、「善悪の判断」である。たとえ彼らが問題点を説明するとしても、問題は自動的に解決されない。説明行為は「呪文」でない。

大和民族
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