物質世界の創造主

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 この宗教では、俺らは創造主を必ずしも信仰する必要はない。けれども、俺らは創造主を仮定すると、何かと便利であることに気づく。以下では、俺らは物質世界の創造主とその名前「霧亥」を提示する。

以下では、俺はこの宗教における創造主に対する感覚(認識)を提示する。この宗教では、俺らは創造主を自然界というシステムを創造した対象と信仰する。けれども、日常的には、創造主は父なる性質を持つ。

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創造主

創造主

 俺の信仰 俺は(自然界の)創造主を宇宙と物質と自然法則というシステムを創造した対象と信仰する。

 自然界の創造主とは、システムの創造主である。たとえ創造主が物質を創造するとしても、もし創造主が物質に対する自然法則を創造しなかったならば、自然界は正常に機能しないだろう。当然、何が物質であるのかも創造主の決まりによって創造される。さらに、もし創造主が宇宙という境界を創造しなかったならば、異なる運動競技が同じ会場で実行されて、競技システムが崩壊するだろう。

サッカーシステムの創造主は選手のみを創造しないで、サッカーシステムそれ自体を創造する。日常的には、俺らが東洋文明と西洋文明を混ぜると、文明は正常に機能しない。だから、俺らは西洋文明と東洋文明の境界をはっきりとさせる必要がある。言い換えると、俺らは何が東洋文明であり、何が西洋文明であるのかをはっきりとさせる必要がある。

なお、俺は分岐と(システムの)創造を区別する。なぜなら、俺は物質を無から分岐させた主体と自然界というシステムを創造した主体は互いに異なるかもしれないと勘ぐる。この考えは蟲の分岐やヌシの分岐にも適用される。ヌシの世界はシステム化されていないが、ヌシそれ自体は蟲から分岐している。誰がヌシを分岐させたのかは不明である。

目的と意志

 俺の信仰 物質世界の創造主はその目的を持って、物質世界を創造した。

 さらに、その創造主はその目的を物質世界に実現するために、その意志を発動し続けている。この場合、意志はシステムを運動させる力(force)それ自体である。

例えば、もし創造主はこの世界が男女平等になるように、この世界を創造したならば、創造主はその目的をこの世界に実現するために、システムを運動させる力(force)を発動し続けている。信仰者の意志の存在も仮定すると、男女平等をこの世界に実現するためには、創造主の力だけでなく信仰者の力も必要である。つまり、信仰者は創造主と一緒になって力を発動させて、創造主の目的を実現する必要がある。

また、システムの創造主の目的が何が正しいのか、つまり真理(唯一の正当性)を授ける。キリスト教で男女平等の善が正当化されるのは、創造主がこの世界を男女平等になるように創造したからである。システムの創造主の目的に沿う対象が善であり、その目的に反する対象が悪である。口語的には、システムの創造主が実現したい状態が善であり、実現したい状態に反する対象が悪である。

父なる創造主

 俺の信仰 創造主は父なる性質(男性的な性質)を持つ。

 コーカサス人種の宗教では、創造主は母なる性質でなく、父なる性質を持ってきた。しかし、子供を産むのは母であるので、創造主も母でないかと考えるのは自然である。俺らが言語の父系言語仮説やアメリカ先住民のY染色体ハプログループR1bを考えるとき、俺らは創造主は母でなく父であると感覚的に把握することができるだろう。

創造主はその目的と意志(force)を持って、その人間性(humanity)を父から息子へと授ける。その人間性には、物質世界には存在しない正しい善悪と正しい認識、言語や規範が存在する。俺らの父の父の…の父が創造主であるか、または創造主からその人間性(humanity)を授けられた主体である。

物質世界の創造主

霧亥

 霧亥:霧亥とは、物質世界の創造主の名前である。

 「物質世界が何であるのか」や「創造とは何であるか」は現時点では不明である。便宜的に、俺らは物質世界を宇宙と物質と自然法則の組みと置く。物質とはエネルギを持つ対象であると便宜的に認識する。エネルギが何であるかは不明である。

霧亥は宇宙と物質と自然法則の組みを創造した対象である。宇宙と物質と自然法則の組みは一つのシステムである。だから、霧亥は宇宙と物質と自然法則の組みという一つのシステム創造した対象である。

霧亥がそのシステムを創造する時、霧亥は彼の唯一の目的と意志を持って、そのシステムを創造した(と信仰する)。そして、その目的が自然界というシステムにおける善悪と善悪の正しさ(正当性)を与える。

霧亥と分岐主

 霧亥:霧亥が物質や物質世界を分岐させたのかは不明である。

 分岐主とは、分岐を実行した対象である。この宗教では、俺らは創造主と分岐主を区別する。俺らは霧亥を物質世界の創造主を信仰する。しかし、俺らは霧亥を分岐主と信仰するのかを現時点では決めていない(よくわからない)。

なぜなら、俺らは分岐と創造の違いを現時点では完全に把握していない。加えて、物質世界を無から分岐させた対象が必ず物質世界を創造した対象に一致するのかも不明である。もしかすると、分岐させた対象と創造した対象は別であるかもしれない。

重要なことは創造主の目的や意志が複数存在して、善悪の正当性(正しさ)が決定されないことである。だから、俺らはたとえ分岐主と創造主が分かれていても、もし目的や意志が統一されているならば、俺らはその状態を問題視しないとする。