量子力学コーチの高橋宏和はトンデモで胡散臭いのか?〜テクノロジーとソサエティ(社会)〜

大和民族
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 高橋宏和という人物は量子力学を悪用して、人生論を展開している。彼の行為に対して、大和民族の幼稚な科学者は彼の発言を論破してマンティングを仕掛けている。

俺は高橋宏和や高橋宏和を批判する大和民族の科学者を批判するとき、俺は絶望的な気持ちになる。以下では、俺は高橋宏和に関する問題点を提示する。その問題には、テクノロジー的な問題とソサエティ的な問題が存在する。

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1章 高橋宏和の問題点

 高橋宏和:高橋宏和はテクノロジー的にデタラメである。

 正確には、科学や数学はテクノロジーでないが、ここではこだわらない。俺は量子力学を理解する能力を持たない。しかし、俺は高橋宏和の話がデタラメであることをなんとなく感じ取ることができる。

ありうる批判として、高橋宏和は量子力学を悪用するのでなく、普通に人生論を展開すれば良いである。その時、誰も彼の人生論を批判しないだろう。科学者の大部分はなぜ量子力学をわざわざ使用するのかである。

2章 大和民族の科学者の問題点

 大和民族の科学者:大和民族の科学者はソサエティ的にデタラメである。

 大和民族の科学者は高橋宏和をトンデモと侮辱する。しかし、そのデタラメさはテクノロジー的なデタラメさである。一方、大和民族の科学者はソサエティ的にデタラメである。

例えば、大和民族の科学者はアメリカ大陸の多様性を賛美する。しかし、その多様性は彼らモンゴロイド人種の虐殺と絶滅の結果である。大和民族の科学者の行為は黒人が黒人奴隷を賛美したり、ユダヤ教徒がホロコーストを賛美するような行為である。

大和民族の科学者は高橋のテクノロジー的なデタラメさを批判するが、大和民族の科学者が作っているソサエティのデタラメさは高橋の意味不明な量子力学のデタラメさに匹敵する。個人的には、俺は大和民族の科学者も高橋もどっちもどっちであると感じる。

3章 疑似科学に関する大和民族の問題

 疑似科学に関する大和民族の問題:疑似科学に関する大和民族の問題とは、疑似科学に関係する大和民族はテクノロジー的、またはソサエティ的にデタラメである。

 大和民族には、テクノロジーが存在するが、ソサエティが存在しない。彼らはハイ・テクノロジー・ノー・ソサエティの未開人に見える。だから、たとえハイ・テクノロジーのキモオタが高橋宏和を批判するとしても、彼らはノー・ソサエティであるので、どちらも胡散臭く見える。

ハイ・テクノロジーのキモオタが形成するソサエティそれ自体が高橋宏和が形成するデタラメ・テクノロジー論にほぼ等しい。外部から見ると、デタラメ・テクノロジー vs デタラメ・ソサエティの戦いに見える。未開人が科学理論の間違いを指摘するとしても、誰も彼の正しい批判を聞かないだろう。

疑似科学批判活動はソサエティ内の活動である。だから、もしハイ・テクノロジーのキモオタがデタラメ・ソサエティを形成するならば、その活動はソサエティ内では正常に機能しない。それは高橋宏和のデタラメ・テクノロジー論が本当の理論物理で正常に機能しないことに似ている。

 また、正常な人間はソサエティをテクノロジーに優先させる。だから、たとえ高橋宏和がテクノロジー的にデタラメであるとしても、もし高橋宏和がソサエティ的にデタラメでないならば、高橋宏和はハイ・テクノロジーのキモオタに完全に勝利するだろう。