東京大学の物理学者の押川正毅の会話話法〜大澤昇平と森喜朗とPCR検査〜

大和民族
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/voices074.html
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 押川正毅は大和民族の日本国であり、彼の職業は理論物理学者である。契約相手である日本国民から見ると、彼は非常に深刻な問題を抱えたホモ・サピエンスである。その問題とは、彼れには社会性(ソサエティ)がないことである。

その結果として、彼は他人と会話できない。以下では、俺らは押川の問題点を提示する。一般的に、理論物理学者や数学者には、発達障害やアスペルガーが多いように見える。

この種の人間が神様の贈り物(先生)として崇拝されてきたのは、押川のソサエティの未開性を暗示している。未開社会では、障害者が神様の先生として崇拝されるように、日本列島では学者は神様の贈り物として崇拝されてきた。先生と呼ばれる方も自分を神様で偉いと勘違いしてきた。

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1章 押川正毅と会話

押川正毅と会話:押川正毅は他者と会話できない。

 正確には、他者と対峙が必要な場面において、押川正毅は他者と真剣に会話できない。この種の性質は押川正毅だけでなく、大栗博司や菊池誠やその他の全ての大和民族の科学者や数学者に該当する。会話作法はテクノロジーでなくソサエティに属する。

彼らはまともなソサエティを形成できないので、彼らは会話できない。

1節 自己の審判や認識や判断がない

 押川正毅は自己の審判や認識や判断を相手に提示することができない。彼は法律や憲章を延々と引用し続ける。しかし、それは(他人の審判や認識や判断)引用行為であり、他者との会話でない。一般的に、会話とは、自己の審判や認識や判断を相手に提示することである。

例えば、大澤昇平が「中国人は採用しない」とtwitterで呟いた後、押川は東大憲章を本当に延々と引用して、彼を解雇するように仕向けた。けれども、押川は大澤の行為に対する審判と認識、そして判断を外部へと提示する必要がある。東大憲章の引用は “会話” でない。

本来であれば、押川は大澤の行為に対する善悪(レッドカード)の判断を相手に提示する。言い換えると、押川は大澤の行為が悪であると彼自身で判断する必要がある。その場合、押川は彼の善悪を与える宗教を明らかにする必要がある。また、押川は大澤の行為が東洋的な意味での失礼と審判するのか、西洋的な意味での差別と審判するのかをきちんと表現する必要がある。

2節 呟き

 上記の呟きは大澤が「中国人は採用しない」と呟いた後の発言である。押川は東大憲章などを延々と引用してきた。しかし、押川は「私は大澤の発言に反対している」とも、「私は大澤の発言を悪と判断する」とも何も言っていない。彼の呟きには、押川自身の審判も認識も判断も何もない。

だから、俺は押川が何を言いたいのかをいまいち把握できない。押川はキモオタ特有のヒステリを引き起こして、騒いで喚いて、東大憲章を早口で引用する。そして、押川は大澤が解雇されると満足してホッとする。

結局、大澤は解雇されてしまった。しかし、最初から最後まで、押川は大澤の発言に反対であるのか、大澤の発言を悪(レッドカード)と判断したのかすら誰もわからない。押川は非常に卑怯であり、自分の意見(反対・賛成)も欲求(解雇したいか)も審判も認識も判断も他人に表現したくない。なぜなら、自己の審判や判断に関する責任を負いたくない。けれども、押川は大澤を東大憲章の引用によって解雇したい。

3節 卑怯さ

 自己を明らかにしない事は非常に卑怯であり、反社会的な行為である。押川は差別や人権や男女平等を引用するが、では彼はキリスト教徒であるのかと質問しても何も回答しない。押川は自分の宗教も明らかにしないのに、善悪を語っている。さらに、押川は文明に対する自己の所属認識も明らかにしない。差別を主張するならば、俺は押川は西洋文明に所属していると審判するが、押川は西洋文明に所属しているとも、東洋文明に所属しているとも言わない。

もし東洋文明に所属しているならば、彼は大澤の発言が東洋における礼に反していることを提示する必要がある。外部の人間が押川についてわかるのは、彼の名前だけである。押川は宗教に対する所属認識も文明に対する所属認識も自己の意見(反対・賛成)も欲求(解雇したいか)も審判も認識も判断も表現しない。それでは、誰も押川と意思疎通できないが、押川は会話それ自体が何であるかを認識していない。

なぜなら、会話はソサエティの産物であり、テクノロジーの産物でない。押川は自己のソサエティを形成できないので、彼はソサエティにおける会話作法を持っていない。

後、押川は人種差別という単語を使用した。けれども、押川と大澤と中国人は同じモンゴロイド人種である。だから、人種差別は存在しない。押川の発言は間違いである。

2章 押川の平等・公平性

 押川の平等・公平性:押川はソサエティにおける平等性や公平性それ自体を認識していない。また、押川はそれらに対する信仰を持っていない。

 押川正毅はソサエティそれ自体を形成していないので、彼はソサエティにおける平等性や公平性に無頓着であってきた。大和民族の科学者や数学者を見ると、彼らは平等でも公平でもなく、好き嫌いや快不快で動いていることに気づく。なぜなら、彼らはソサエティを形成できない。

上記でも、押川は東大憲章でなく、オリンピック憲章を引用している。けれども、彼は自己の審判や認識や判断を決して明らかにしない。彼は不快感や不安を覚えると、ヒステリを発して、憲章を延々と早口で引用し始める。

1節 押川の習性

 押川正毅は平等でも公平でもない。だから、彼は嫌いな人間を発見すると、彼は彼らの失敗や失言を執拗に探す。その後、彼は東大憲章やオリンピック憲章を本当に延々と引用して、彼らを排除しようとする。

当然、彼は彼の好きな人間や好みの可愛い女性にはこの種の行為を実行しようとしない。彼は快不快や好き嫌いでこの種の行為を実行する。彼はソサエティにおける平等や公平に無頓着である。だから、彼は引用行為を「押川は真理を主張している」と誤認識するらしい。

押川の行為は、サッカーで例えると次である。ある審判が存在して、その審判には、嫌いな選手が存在した。だから、その審判は嫌いな選手の行為を執拗に観察して、イエローカードを延々とネチネチ出し続けた。けれども、その審判は彼自身はルールに沿っているので問題ないと主張する。押川の行為はこの種の不公平性を内包している。もしサッカーの審判が押川のように振る舞うならば、その時、サッカーの試合は破壊されるだろう。

2節 実際の性的嫌がらせ

 上記の人間の呟きは実に正当である。もし大澤が解雇されるならば、この教授こそ解雇されるべきである。そして、森の発言よりも、上記に教授はより悪質である。しかし、押川は森や大澤の時のような糾弾行為を実行しない。なぜなら、押川はその教授を嫌っていない。

押川は、上記では、森の即刻解任や辞任を求めている。しかし、彼は森の発言がその発言に関しての辞任や解任が公平であるのか、平等であるのかを一切提示しない。押川は「違反→解任」と主張するが、「違反→死刑」程度には意味不明である。

要するに、押川は森を元々嫌っていた。だから、彼は森の発言を喜び、解雇を要求しているだけである。そこには、ソサエティにおける公平性や平等性は存在しない。そこには、快不快や好き嫌い、腹いせや八つ当たりしか存在しない。

3節 押川の性的嫌がらせ発言と行為

 初老の男性が自分の娘の年齢の少女に群がっている。大澤や森よりもこちらの方がはるかに悪質である。森が辞任であるならば、押川は性的嫌がらせと精神的強姦で死刑であるだろう(当然、東京大学は解雇)。この種の発情行為が小保方晴子を登場させたが、押川は何もわかっていないし、反省していない。

押川は実名・顔出しでこの種の発言を行為を繰り返してきた。大学には、異人種や異民族や異教徒が多く存在してきた。彼らから見ると、押川は醜い容姿を持った児童性愛者という恐怖の対象であり、彼は刑罰に科されるべきである。

小学校教師が実名顔出しで同じ発言を実行するならば、その時、深刻な問題が生じる。小さな子供にも接するかもしれない押川がこの種の発言を繰り返すのは異常である。押川は本当に発達障害やアスペルガーなのか、大和民族の学者には「自分は良い、でもお前はダメ」という人間が存在する。それを指摘すると、逆ギレする。

3章 押川の反応

 押川の反応:たとえ押川正毅の発言や行為が悪いと指摘されるとしても、押川正毅は何も変わらない。

 押川正毅はソサエティを作る意志を持たないのか、彼は彼の行為や発言を注意されても決して改めようとしない。たとえ俺らが押川は会話できないと指摘するとしても、押川は会話できないことが善であるか、悪であるかを判断できない。

その結果、彼が会話できない状態はいつまでも継続する。押川は自己の意見(賛成や反対)や自己の欲求、自己の審判、自己の認識、自己の判断、自己の宗教、自己の文明への所属認識を死ぬまで明らかにしない。なぜなら、おそらく、押川はテクノロジーを持つが、彼はソサエティを認識できず、ソサエティを形成する意志をそもそも持っていない。

ほとんどの人々が量子力学を理解できないように、ほとんどは人々はソサエティを認識できないように見える。ソサエティには、善悪(レッドカード)や会話作法、または平等性や公平性が存在するが、人類のほとんどは量子力学と同様にそれらを扱えない。

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