東京大学の押川正毅(物理学者)と人種差別〜コロナで過熱するアジア人差別(BTS)と大澤昇平〜

大和民族
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/voices074.html
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 押川正毅の人種はモンゴロイド人種であり、彼の小人種は東洋小人種である。おそらく、彼の民族は大和民族である。現在、コロナの影響のためか、欧州や北米におけるモンゴロイド人種に対する人種的な暴力が蔓延している。

けれども、押川正毅はこの暴力に対する無関心を貫いてきた。大澤昇平が「中国人は採用しない」とtwitterで呟いた後、押川正毅はアスぺのようにヒステリックに騒ぎ、彼を差別主義者と糾弾して、大澤を解雇へと追いやった。にも関わらず、押川正毅は大澤の発言よりもはるかに悪質である実際の暴力をほぼ批判せずに無視してきた。

この種の押川の行為は非常に不公平であり、押川は色付きのサッカー選手にばかり違反カードを出すが、白人の選手には違反カードを出さないことに類似する。そして、押川正毅の不公平な行為は非常に悪い(レッドカード)。以下では、俺はこの種の不公平な行為に関する押川正毅の心理を提示する。なお、彼の心理は彼特有でなく、大和民族の科学者や数学者(大栗博司や牧野純一郎、菊池誠や竹山美宏、岩田健太郎)に広く一般化される。

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押川正毅の行為〜不公平〜

 押川正毅の行為:押川正毅は違反カードを大和民族のみに提示する。けれども、異人種や異民族、特に白人が違反を繰り返すとしても、押川正毅は違反カードを白人に出そうとしない。

 簡単に言うと、押川正毅は白人や黒人を批判できないが、日本人のみを批判する。例えば、人種対抗のサッカーをやらせると、キモオタはレッドカードを白人に出そうとしない。

なぜならば、キモオタがレッドカードを白人に出すとき、白人はキモオタにガンをつけて、キモオタを恨む。キモオタは白人に嫌われるのが怖いので、レッドカードを白人に出そうとしない。けれども、キモオタはレッドカードを味方ばかりに出すようになる。

なぜなら、キモオタがレッドカードを彼の味方に出さないと、白人が不公平といって怒る。その結果、キモオタはレッドカードを味方のみに出して、白人に “絶対に” 出さないようになる。押川の行為はこんな感じである。当然、大栗博司や牧野純一郎、菊池誠や竹山美宏もこんな感じ。

大澤昇平と差別

 大澤昇平が「中国人は採用しない」とtwitterで呟いた後、押川正毅はアスぺのようにヒステリックに騒ぎ、東大憲章を早口でずっと引用し続けた。押川は彼を差別主義者と糾弾して、大澤を解雇へと追いやった。そして、押川正毅は一安心した。

コロナに関するモンゴロイド人への暴力は東京大学の中での暴力でなく、欧州や北米の事態である。しかし、もし押川が差別(これはキリスト教の概念)を掲げて、差別問題に興味を持つならば、彼は黒人や白人によるモンゴロイド人への暴力を大澤への批判以上に強く批判する必要がある。しかし、俺の知る範囲では、押川正毅はモンゴロイド人種への実際の暴力に何も言っていないし、人権憲章?を早口で引用していない。

押川の行為は非常に不平等、かつ不公平である。そして、彼の行為は反ソサエティ的であり、悪い(レッドカード)。押川の行為は上記のキモオタの行為と同じである。たとえ白人のサッカー選手が銃を乱射してモンゴロイド人を虐殺するとしても、押川はレッドカードを出さないが、大澤昇平が中国人は採用しないと主張するとき、押川はその大澤を一発退場させるだろう。

実際の具体例

 押川正毅の異常性はこの発言の中にも表れている。白人が東洋人をJAPと呼んで人種的に侮辱した。にも関わらず、押川はその行為の主体である白人でなく、なぜか日本人の人種差別主義者を批判している。俺の世界観では、この場合における善な行為とは、押川正毅がJAPと侮辱した白人を人種的侮辱に関して批判することである。

押川正毅は教育者でもある。だから、もし白人が彼の生徒や学生をJAPやchinなどと人種的に侮辱するならば、彼は東洋人の生徒や学生を侮辱者の白人から守る必要がある。そして、彼はその白人を人種的な侮辱に関して強く批判する必要がある。けれども、押川正毅はその種の行為を取らず、なぜか被害者側を批判する。

押川の行為の異常性は次である。例えば白人が銃を乱射して、東洋人の生徒を虐殺した。にも関わらず、押川は東洋人の生徒を教育者として保護しようとせずに、なぜか彼は銃オタクの東洋人の生徒を「銃は危険です。銃で殺される人間の痛みを感じて欲しい」と説教しようとする。決して、彼は東洋人の生徒を銃で虐殺した白人を批判しようとしない。これは教育者や教育機関の人間として非常に不適切である。

修正は不可能

 たとえ俺が上記のおかしさを押川やその他の大学教員に提示するとしても、押川は何も変化しない。なぜなら、押川はまともなソサエティを形成する意志をそもそも持っていない。勉強でも研究でも労働でも、勉強や研究をする意志のない人間に、働く意志のない人間に何を言っても無駄であるように、ソサエティを形成する意志のない人間に何を言っても無駄である。

押川正毅を含む大和民族の学者の異常性を注意するとしても、彼らは白人を絶対に批判しようとしないし、白人と絶対に対峙しようとしない。これは上記のレッドカードを白人に出さないキモオタが彼の行為を絶対に改めようとしないことに似ている。たとえ俺らがキモオタを怒鳴っても殴っても、キモオタは絶対にサッカーに参加しようとしないし、レッドカードを白人に出そうとしない。

押川正毅の心理〜不安からの逃避と安心感の獲得〜

 心理:押川正毅は他者(異人種や異民族)との対峙から来る彼の不安を何よりも恐れて、彼はそれを必死で避けようとする。押川正毅は押川正毅の世界(ネバーランド)の中の彼の不安の原因を彼の世界から取り除き安心感をネバーランドの中でのみ獲得しようとする。大和民族は彼のネバーランドの中の存在で、押川の不安の原因になりうるが、白人(異人種や異民族)は彼のネバーランドの外の存在で、押川の不安の原因になりえない。

 上記では、押川正毅は白人に人種的に侮辱されても何も言わない。けれども、彼は日本人が失礼な態度をとると、彼はその日本人を差別主義者や人権で批判して、排除しようとする。押川正毅の習性はこのようであった。

以下では、俺は押川正毅の習性を心理的な観点から分析してみる。なお、押川正毅の行為は大和民族へと広く一般化される。大和民族は差別や人権を白人の真似をして掲げるが、彼らは彼ら自身が人種的に侮辱されるとしても、彼らは侮辱者に苦情や批判一つ言わない。

いじめと不安

 押川正毅の行動原理は不安からの逃避である。押川正毅の顔を見ると、彼の顔は醜くひどくいじめられる側である。実際、学生時代の彼はいじめられていた可能性がある。この種のいじめられっ子は彼ら自身がいじめられると、彼らはいじめは駄目と言って、自分の周りのみからいじめを非常に熱心に排除しようとする。

なぜなら、彼らはいじめそれ自体に不安を感じる。けれども、この種の人間はいじめっ子それ自体に復讐したり、いじめっ子を批判しようとしない。彼らは彼ら自身の周りからいじめを糾弾・排除して、いじめのない心地よい空間を作って、安心感を獲得しようとする。なぜなら、その時、自分たちがブサイクでもいじめられない心地よい世界が生じる。

彼らは彼ら自身の周りに存在する攻撃性の高い人間(大澤昇平)を見ると、彼らはその高い攻撃性が自分の方に向いてくることのみを恐れる。彼らにとって、攻撃性の高さは彼らの不安の原因である。だから、彼らはその攻撃性の高い人間を人権や差別を掲げて糾弾して、不安の原因を排除しようとする。その時、彼らは不安から逃避して、安心感を覚えようとする。

差別と不安

 これは白人や黒人によるモンゴロイド人への人種的な侮辱にも応用される。押川はモンゴロイド人種として人種的に侮辱されてきた。そして、彼らはその人種的な侮辱にトラウマを感じている。その結果、彼らは彼らの周り(日本国や大和民族)にそのトラウマを連想させるような日本人や日本人の行為が存在する時、彼らは不安の原因である人物や行為を人権や差別で糾弾して、排除しようとする。

日本人が異民族や異人種を強く批判する時、その行為それ自体が押川に不安を与える。その行為は押川にとって、白人が醜い押川を人種的に侮辱していたという状態(記憶)を連想させる。上記では、押川は「日本人の人種差別主義者にはこれを見て、差別される痛みを感じて欲しいです」と呟いた。このつぶやきを翻訳すると、押川は「私をいじめないで。たとえ私の容姿が醜かったとしても」である。

押川正毅は白人に虐められたくないが、彼は白人に虐められたくないと白人に向かって主張できない。自分の弱みをさらけ出す気がして。だから、彼は彼自身の周りからいじめを糾弾して、排除することによって、たとえ押川正毅の容姿が醜かったとしても、虐められない心地よい空間を作ろうとする。

不安と安心

 押川正毅は差別にも人権にもまるで興味を持っていない。押川正毅は彼自身がいじめられないネバーランドを強く渇望してきた。押川正毅は彼自身の不安さえを彼の周りから排除できれば良い。だから、押川正毅は “モンゴロイド人が人種的な暴力にさらされないというソサエティ” を形成する発想をそもそも持っていない。

だからこそ、押川正毅はモンゴロイド人種が人種的に侮辱されても知らんぷりしてきた。けれども大澤が中国人を採用しないと主張するとそれだけで執拗に追求して解雇させようとする。なぜなら、大澤の高い攻撃性は押川をいじめる側になるかもしれない。そして、大澤は押川の世界(ネバーランド)の中の存在である。押川正毅はその高い攻撃性に強烈な不安(トラウマの再発?)を覚えるので、彼は大澤をネバーランドから必死で排除しようとする。

しかし、たとえアカデミアの中の白人が東洋人の学生を人種的に侮辱するとしても、押川は何も言わない。なぜなら、白人の存在は押川の脳内世界の外である。たとえ白人が押川を侮辱するとしても、周りの東洋人が押川の壁になって、押川の生贄になってくれるので、押川はその白人と対峙しなくてよい。対峙しなくて良い時、押川は不安を感じなくて済むので、その白人のその行為は押川にとって問題でない。だから、押川は大澤を糾弾した時のように、その白人を糾弾しない。