大阪大学の菊池誠(キクマコkikumaco)と御用学者wikiと発達障害(アスペルガー)?

大和民族
https://www.excite.co.jp/news/article/Ncn_353113/
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 東日本大震災に関して、菊池誠は御用学者と呼ばれた。その行為に関して、菊池誠はヒステリックに叫んで怒ってきた。以下で、俺は菊池誠の行為に関する俺の違和感を提示する。

大阪大学の菊池誠の父が園芸学者の菊池卓郎で祖父が菊池 秋雄であったことの意味
父は園芸学者で弘前大学名誉教授の菊池卓郎。伯父(父の兄)の菊池秀夫は三井鉱山常務、河北新報取締役、東海大学名誉教授。祖父は園芸学者で京都大学園芸学教室の初代の教授だった菊池秋雄。祖母(秋雄の妻)のたけは、河北新報創業者一力健治郎の娘。曽祖父の菊池楯衛は、「青森りんごの始祖」と呼ばれる人物。菊池秋雄 俺は大阪大学の菊池誠は発達障害やアスペルガー、その他の精神疾患や知的障害を持っているのでないかと疑っている。実際、理論物理学者や数学者は普通でなく、知的障害を持っているように見える。俺が彼のwikipediaを見て、俺は菊池の振る舞いの異常性に納得した。なぜなら、菊池誠は学者の家系であった。以下では、俺は「大阪大学の菊池誠の父が園芸学者の菊池卓郎で祖父が菊池 秋雄であった」ことの意味を提示する。また、以下では、テクノロジー的な思考でなく、ソサエティ的な思考を提示する。菊池誠の家系が学者の家系であることの意味 菊池誠の家系が学者の家系であることの意味:菊池誠やその子供は何らかの知的障害や精神疾患を持っていてもおかしくない。 そ...
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御用学者wikiとその不公平

 俺の認識:菊池誠の怒りは不公平で非相互的である。

不公平性

 菊池誠は御用学者と呼ばれて、彼はヒステリックに怒ってきた。けれども、彼の怒りは不公平である。なぜなら、彼は他人をトンデモやデマや馬鹿や阿呆とレッテルを貼り、人種的、民族的に侮辱してきた。

菊池誠は彼自身は他人を侮辱しても良いが、他人によって侮辱されるのは悪い(レッドカード)であると主張している。もし菊池誠が他人をトンデモと侮辱するならば、菊池誠が「御用学者」と侮辱されることは別に不公平でなく、相互的である。

菊池誠の動物的な感情とは、「僕は他人を馬鹿って言っても良いが、他人は僕を馬鹿というのは駄目」と言っているようなものである。他人をトンデモと侮辱してきた失礼な動物が「御用学者」と呼ばれるのは自然であり、予想できたことである。

ソサエティ的思考の欠如

 たとえ俺が上記を提示するとしても、菊池誠を含む科学者や数学者は上記の公平性や相互性を認識できない。なぜなら、彼らはテクノロジー思考を持っているが、ソサエティ思考を持っていない。ソサエティにおける公平性や相互性は自己のソサエティから導かれる。

もし菊池誠が自己のソサエティを形成できないならば、菊池誠は公平性や相互性を認識できない。なぜなら、相互性や公平性はソサエティに関する概念である。一般的に、大和民族の科学者や数学者は他人のデマを許せないが、自分が撒き散らすデマには甘い。

大和民族の科学者や数学者は他人の嘘を許せないが、自分の嘘には甘い。これはソサエティ思考の欠如の結果である、彼らはソサエティそれ自体を認識できない。だから、彼らは彼らの不公平な状態の何が悪いのかを判断できないように見える。

菊池誠の発言が正当な場合

 もし菊池誠が他人(契約相手)を「トンデモ」や「馬鹿」と侮辱してこなかったならば、彼の怒りは正当である。しかし、御用学者wikiによる菊池誠への侮辱は相互的であり、不公平でない。従って、御用学者wikiの存在は悪でない。

菊池誠は発達障害(アスペルガー)か?

 俺の認識:菊池誠の不公平さは少し病的に見える。

 俺が菊池誠の “ヒステリック” な態度や “糾弾体質” 、”差別という単語が好き” な振る舞いを見ると、俺は菊池誠は何らかの精神病や知的障害を抱えているように見える(科学者や数学者に多い類型)。

他人の嘘やデマは許せない(でも自分は良い)

  菊池誠はデマやトンデモを白人が授けた科学や数学で糾弾してきた。けれども、彼の呟きを見ると、彼自身の発言も正確でない。上記では、ADHDは他人のミスには厳しいが、自分のミスには無関心であることが指摘されている。

例えば、菊池誠は「メルトダウンじゃないだす」と呟いて、批判されてきた。その他にも、菊池誠は財務省に関する陰謀論のような呟きを投下している。部外者から見ると、どっちもどっちである。

しかし、菊池は他人のデマや嘘のみを許せないように見える。菊池誠のこの他人のデマを許せないという心情は “非常に病的” であるように見える。日常的には、他人のデマを絶対に許さないという謎の情熱は「うわっ、ちょっと病気っぽい」と感じる。でも、自分のデマはなぜか考慮されない。

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差別とアスペ

  公平性や相互性の病的な欠如は、差別という単語にも観察される。菊池誠は他人を差別主義者と呼び人種的に侮辱してきた。けれども、菊池誠は彼自身を「アスペ」と呼ぶことを絶対に許さない。

言い換えると、菊池誠は「僕は他人を差別主義者といっても良いが、他人は菊池をアスペと呼んでは駄目。なぜなら、差別だから。」と感じている。正常な人間は他人を差別主義者と侮辱しないし、当時に、他人を「アスペ」と呼ばない。

けれども、病的な異常者は自分は差別といっても良いが、他人が自分をアスペと呼ぶことは許さないと感じるらしい。菊池誠がその異常者である。試しに、誰かが菊池を「アスペ」と呼んでみれば良い。その時、彼はヒステリックにこう返すだろう。

「差別だっ!」

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10179036820

なぜ菊池誠は不公平か?

 俺の憶測:菊池誠は自己それ自体をうまく認識できないので、彼の発言も行為も不公平である。

 菊池誠は自己それ自体をうまく認識していない。だから、菊池誠の世界には、自己が存在しない。その結果、菊池誠の世界には、他人をトンデモと侮辱する自己(=菊池誠自身)が存在しない。当然、菊池誠の世界には、他人に御用学者と呼ばれる自己も存在しない。

けれども、菊池誠は他者からの圧迫感や侮辱による不安や不快感をなんとなく感じることができる。菊池誠は他人が彼を御用学者と呼ぶ時、菊池誠は不快感を覚えて差別と叫ぶ。しかし、菊池誠は御用学者と侮辱される自己もうまく認識していない。

菊池誠は自己をうまく認識しないので、彼は他者から圧迫感や不安を感じる行為や発言のみに反応する。その結果、菊池誠は自分は他人を侮辱するが、他人からの侮辱は許さないという不公平な状態が生じる。なぜなら、菊池誠は自分が他人を侮辱するとしても、彼は圧迫感や不安を感じない。