障害者はホモ・サピエンスか人間か?〜アリストテレスの質料と形相〜

ホモ・サピエンス生物種
https://en.wikipedia.org/wiki/Down_syndrome
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 以下で、俺は障害者はホモ・サピエンスか人間かを提示してみる。東洋人の大部分は身体障害者を同じ人間であると感じている。けれども、彼らは重度の知的障害者や精神障害者は同じ人間でないと感じている。

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障害者の質料及び形相

障害者の質料

 障害者の質料:もし障害者がホモ・サピエンスと同じ要素(質料)を持つならば、障害者はホモ・サピエンスである。

 言い換えると、もしある対象がホモ・サピエンスと同じ要素を持つ対象であるならば、その対象はホモ・サピエンスである。障害者はホモ・サピエンスと同じ要素を生得的に持たない。要素を遺伝子と仮定すると、障害者の要素は健常者の要素と生得的に異なる。

ただ、たとえ障害者が健常者と同じ要素を持たないとしても、俺らは生得的な身体障害者を同じ人間と感じている。なぜなら、俺らは彼らと正常に意思疎通することができる。加えて、身体障害者は知的障害者でない。

東洋人は重度の知的障害者や精神障害者を同じ人間と感じていないだろう。なぜなら、俺らは彼らと生得的に意思疎通できない。そして、その能力はおそらく遺伝子という要素に関係する。この時、俺らはもしある対象が俺らと同じ要素aを持たない対象であるならば、その時、その対象は人間でないと感じる。当然、要素aは知的能力や意思疎通に関係する要素である。

障害者の形相

 障害者の形相:もし障害者がホモ・サピエンスと同じ形相(形)を持つならば、障害者はホモ・サピエンスである。

 言い換えると、もしある対象がホモ・サピエンスと同じ形相を持つ対象であるならば、その対象はホモ・サピエンスである。生得的な身体障害者はホモ・サピエンスと同じ形式を生得的に持たない。けれども、俺らは生得的な身体障害者を同じ人間となんとなく感じている。

例えば、乙武洋匡はホモ・サピエンスと同じ形相(形)を生得的に持たない対象である。けれども、乙武洋匡の知的能力は正常であるので、俺らは彼らを同じホモ・サピエンス、かつ同じ人間であると何となく感じている。しかし、もしある種のホモ・サピエンスの集団の全てが乙武洋匡のような形を持つならば、その時、俺らはその集団を同じ同じホモ・サピエンスと感じないだろう。亜種や異人種と感じる。

障害者の質料及び形相

 障害者の質料及び形相:もし障害者がホモ・サピエンスと同じ要素及び形相(形)を持つならば、障害者はホモ・サピエンスである。

 言い換えると、もしある対象がホモ・サピエンスと同じ要素及び形相(形)を持つ対象であるならば、その対象はホモ・サピエンスである。要素が何であるかにもよるが、上記の推論は正しいように見える。一般的に、俺らが対象の形と対象の要素を指定するとき、俺らは対象をうまく指定することができる。