ダウン症児は自己の死を認識するか?〜信州大学の玉井真理子と大正大学の玉井邦夫〜

ホモ・サピエンス生物種
http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51981943.html
広告

 ダウン症の長男が診断された病名は、1000万人に1人ともいわれる極めてまれながんだった。 「あんたはもうすぐ死ぬの。分かってるの?」36歳のわが子の余命を主治医から宣告されたのは、2019年1月のことだ。「あと1年くらい」

母は東京の病院から山梨県甲府市にある自宅に帰ると、言葉にならない声で何事かを叫び、台所の食器を割り、壁にいくつもの傷をつけた。3年前にがんと診断された時も、この時の「余命1年」の宣告も母はわが子にすべて告知した。知的障がいがあったとしても、自分の命のことを知るべきだと考えたからだ。けれども、当の本人は「とんかつを食べて病気に勝つ」「俺は死なない。俺は元スーパースターだから」と落ち込むことはなかった。

「あんたはもうすぐ死ぬの。死ぬってどういうことか分かってるの?」母は行き場のないいら立ちをわが子にぶつけた。母である玉井真理子さん(58)は信州大学医学部保健学科准教授で、生命倫理や臨床心理を専門としている。夫は日本ダウン症協会代表理事で、大正大学心理社会学部教授の玉井邦夫さん(60)である。「よく病人が明るかったり前向きだったりすると、周りはそれに励まされる、それが救いになったと聞きます。けれど、本当にそうでしょうか? この人が前向きだったり明るかったりするのって、結局病気のことも、死ぬってことも分かってないから。だからヘラヘラしていられるんです」真理子さんは、苦しそうな表情で語った

https://news.yahoo.co.jp/feature/1444 

 上記では、玉井真理子は彼女の息子は自己の死を認識していない感じている。俺がホモ・サピエンスの発言を読む時、俺はホモ・サピエンスには自己の死をうまく認識していない個体が多く存在する感じた。以下では、俺は自己の死に対する認識を提示する。

広告

ダウン症児と自己の死

 俺の認識:ダウン症児は自己の死を認識しないホモ・サピエンスである。

 または、ダウン症児は自己の死を認識していないホモ・サピエンスである。犬や猫、家畜などもまた自己の死を認識しない。ダウン症児はこの種の動物と同じ性質を持っている。

上記の例

 玉井真理子の息子が癌になった後、彼女の息子は「とんかつを食べて病気に勝つ」と主張した。癌になったという事実に対するこの種の反応は玉井真理子の息子が自己の(将来的な)死を認識してないことを暗示している。玉井真理子の息子は「自己」と「自己の死」と「未来という時間概念」、そして「他者」それ自体を認識していない可能性がある。

ダウン症児は自己それ自体を認識していない。だから、彼らは自己の死も認識していない。当然、彼らは死それ自体を認識していない。加えて、彼らは未来という時間概念も認識していない。自己の死は常に未来に存在するが、彼らは未来という時間それ自体も認識してない。そのため、彼らは未来に存在する自己の死も認識していない。

さらに、ダウン症児は他者も認識していない。健常者は他者の死を通して、自己の死を類推する。しかし、ダウン症児は他者それ自体をうまく認識していない。だから、彼らは他者の死を利用して、自己の死を把握することができないように見える。

ホモ・サピエンスと自己の死

個人的な死

 個人的な死とは、自己の肉体の死である。健常者の大部分は自己の死を認識している。だからこそ、彼らは自己の死を過度に恐れる。

上記の例では、玉井真理子の息子は自己の死すら認識してない。障害者や動物は自己の死をうまく認識していない。そのため、彼らは常に前向きであり、彼らは自己の死を悲しまない。

民族的な死と人種的な死

 民族的な死とは、自己の民族の死である。人種的な死とは、自己の人種的な死である。ホモ・サピエンスの雌や発達障害や学者は自己の民族的な死や自己の人種的な死を認識していない。

そのため、たとえ白人が多様性の名前の下で、大和民族やモンゴロイド人種を異人種や異民族とごちゃごちゃ混血させるとしても、彼らはその行為を人種浄化や民族浄化と認識できない。彼らは種としての死をうまく認識していない。

上記では、ダウン症は自己の死を認識できずに、「とんかつを食べて病気に勝つ」と主張した。同様に、大和民族は自己の民族的な死と人種的な死を認識できずに、「多様性で白人の仲間入り」と感じている。ちなみに、アメリカ大陸の多様性は俺らモンゴロイド人種の虐殺と絶滅の結果である。