セノネース(Senones0)の教養とは?〜大和民族の教養観〜

大和民族
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 「大人になると男女で2人で会うと酒飲むかセックスしかすることない」ようにならないようにするのが教養だと思ってて、教養あるもの同士だと2人で会っても延々と文学や宗教、哲学や思想、政治や文化やらの話をし続けることが出来る

https://twitter.com/Senones0/status/1387409966487638018

 俺が上記の呟きを読んだ後、俺は違和感を覚えた。以下では、俺は教養に対する大和民族の態度を提示する。個人的には、俺は教養それ自体に反対である。

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教養に対する大和民族の態度

知的な雰囲気(ファッション)

 大和民族にとって、教養とは知的な雰囲気を漂わす何かである。彼らはなんとなく知的な雰囲気を漂わせたい。彼らはなんとなく知的な気分を味わいたい。

だから、彼らは教養を好む。言い換えると、教養に対する大和民族の態度は単なるファッションである。彼らは仕事している気分、考えてる気分、学問する気分になりたいだけ。

有難がる

 大和民族は古代地中海人や白人の業績を有難がっている。大和民族は白人の業績を有難がり崇めることを教養と本当に難なく感じている。この「奇妙な有難がり」は科学や数学、テクノロジーにも応用される。

大和民族は科学や数学、そして学問を有難がる。彼らは科学や数学を神様のように崇拝し始める。科学や数学が批判されると、彼らはその批判を神(学問)に対する冒涜と感じる。

馬乗り(マウンティング)

 大和民族にとって、教養とは馬乗りである。彼らは教養を身につけるとき、彼らは他の日本人に違う賎民になれたと錯覚する。西側白人と結婚した大和民族の雌が人種的な侮辱行為を繰り返す状態に似ている。

または、自称スペイン系フィリピン人がスペイン人の遺伝子で東洋人をバカにすることに似ている。

ソクラテスの霊言

 大和民族にとって、教養とは霊言である。彼らは白人に憑依して、イタコになる。その後、彼らはイタコ芸を繰り出して、ソクラテスの霊言を俺らにぶつけてくる。

彼らは霊言を引用すれば、彼らは相手が黙ってくれると感じている。もし相手が霊言に反対するならば、その時、その反対派ソクラテスに対する反対である。ソクラテスは天才であり、多神教における神であるので、天才に対する反対は神に対する冒涜である。

教養を大和民族に与えると、彼らはソクラテスの霊言師になり始める。何かあると、彼らはソクラテスの霊言を引用して、相手を黙らせようとする。けれども、彼らは自己の審判や認識、善悪や判断、感情、意志や目的を一切表現しようとしない。

知識を披露したい(学問キャバクラ)

 大和民族は教養を知識を披露しても批判されない何かであると感じているように見える。その結果、教養それ自体が学問キャバクラとして消費される。ソクラテスやプラトンの知識はオタクの知識であり、不要である。

何らかの社会問題が生じると、彼らは古代ギリシアやローマの知識を披露し始める。しかし、人々はこの種の知識の披露を気持ち悪い、うざい、キモオタを感じている。知識を披露する前に、彼らは自己の意見や審判を提示する。