俺語における性〜印欧語族と屈折〜

 印欧語族は性に関する屈折を持つらしい。俺は屈折語も性(gender)についても何も知らない。俺は性に関する屈折の感覚は双数の感覚に似ていると審判する。

以下では、俺はこの宗教における性に関する表現を提示するつもりである。俺は性を一般名詞の語尾に付加する。性には、lyとmyとnyと…が存在すると仮定する。ここでは、俺は性に関する変形を子音+yで表現する。例えば、俺はlyを無性として、syを雌として、zyを女とする。tyを雄として、dyを男とする。他には、俺はfyやvyを使用する。

屈折語における性

背景

 背景 一般名詞と数のみでは性を持つ対象を捉えることができない。

例えば、太陽系における惑星は性を持たない。だから、俺らが planetumと呟く時、planetum は “あれ” を取り出すことができる。しかし、もし惑星が自己の性を持つならば、雌の planetum や雄の planetum が生じる。その時、俺らは雄の planetum を planetum という単語のみでは取り出すことができない。

だから、俺らは数を一般名詞に付加させたように、俺らは性も一般名詞に付加させる。この時、性に関する一般名詞の変化が生じる。もしある一般名詞が性を持つならば、たとえ俺がその一般名詞を唱えるとしても、俺はその対象をその一般名詞で取り出すことができない。なお、俺はある単語は一つの対象を捉えるという決まりに従う。だから、俺はa insect maleを使用しない。

今、俺はa insectalを考える。昆虫は性を持つ。たとえ俺がa insectalと唱えるとしても、俺は雄の昆虫を取り出すことができいない。だから、俺は性をinsectという単語に付加する。俺はa insecttyalを考える。この時、俺は雄の昆虫を取り出すことができる。雌の場合、俺はa insectsyalを唱える。

約束

 約束 俺らは sy を雌を表す一般名詞に与える。俺らは tyを雄を表す一般名詞に与える。

上記の例では、もし惑星が自己の性を持つならば、雌の planetum や雄の planetum が生じる。俺らは前者を planetsyalと呼び、後者をplanettyalと呼ぶ。この時、俺らは雌の planetum を planetsyalで一意的に取り出すことができる。

 約束 俺らは一般名詞を性から数という順序で変化させる。

ここでは、俺は性を先において、数を後に置いた。ただし、性と数の順序のどちらが先であるのかは現時点では決定されていないように見える。自然界を観察する時、惑星は自己の性を持たないので、俺らは数が先で、性が後であると認識するかもしれない。個人的には、もし俺が何かを構成したいならば、性から数という順序がよりよい。もし俺が何かを把握したいならば、数から性という順序が良い。そのあと、syが不要であるならば、planetumからplanetsyalを取り除く。

無生物と性

 以下では、俺は無生物と性について述べる。俺の印象では、法律や言語はsyでなく、zy(vy)である。つまり、法律や言語は男性的な対象である。

言語と法律と善悪

 一般的には、言語は父系で伝達される。例えば、印欧語族とY染色体ハプログループRは父系で伝達されてきたので、語族とY染色体ハプログループの対応が観察される。この時、俺は言語を男性的な対象と解釈する。俺はlanguageをlanguagezy(languagevy)と認識する。男性のみが言語を創造してきたので、その言語もまた男性的である。だから、俺は言語をzyで表現する。

この考えは法律や善悪にも応用される。男性が法律や善悪を創造してきた。この世界における善悪の全ては男性によって創造された。だから、善悪は男性的な対象である。俺はgoodとevilをgoodzyとevilzyと認識する。俺はlawをlawzyと認識する。また、法律や善悪を表現する言語それ自体もlanguagezyのように男性的な対象である。

認識や判断

 俺が認識や判断を考えるとき、俺は認識や判断は男性の認識という所有格で表現されるのか、cognitionzyという屈折で表現されるのか疑問に思う。もし雌や女性が自己の認識を持つならば、その時、その認識はwoman’s cognitionである。もし雌や女性が自己の認識を持たないならば、その時、その認識はcognitionzyである。判断も同様であり、前者はwoman’s judgementになり、後者はjudgementzyになる。

ただし、もし認識や判断が世界に対する正しい認識(善な認識)や正しい判断(善な判断)であるならば、その認識やその判断はcognitionzyやjudgementzyになる。なぜなら、男性のみが善悪を創造してきたので、正しい認識(善な認識)や正しい判断(善な判断)は男性的である。男性の認識と男性の判断はman’s cognitionzyとman’s judgmentzyである。

創造主と人間性と自然界

 一般的に、創造主は男性的と解釈である。この場合、GodはGoddyalになる。さらに、創造主は正しい善悪を含む人間性を人間に授けた。HumanityはHumanityzyになる。なお、創造行為(creation)もcreationzyである。その他には、唯一の正当性(正しさや真理)も男性的である。それらはturuthzyやshinrizyになる。

一方、自然界は雌や女性(母)と宗教的には解釈される。だから、natureは宗教的にはnaturasyやnaturezyになる。個人的な印象では、農地も宗教的にはfarmlandsyになる。

電飛

内部電飛

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