単語

宗教機能
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 以下では、俺はこの宗教における単語に対する俺の認識(cognition)を提示する。この認識は俺から君らの子孫へと授けられていく。単語は約束である。

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単語

俺の認識

 俺の認識 単語とは、ある対象に対応する名札(音声や文字)である。

 今、俺らは一本の剣(対象)を考える。俺らは swordal という単語(名札)を用意する。俺らは一本の剣(対象)を swordal(単語)に対応させる(紐付ける)。「剣〜swordal」となる。俺らはこの対応を「紐付け」と呼ぶ。

俺らが swordal と唱えるとき、俺らは剣をポンと取り出すことができると仮定する。このように、俺らは対象それ自体でなく、対象に関連づけられた名札を呼び出し、対象を間接的に取り出す。忍者による口寄せや頭の中に剣を召喚する感覚が提示される。

俺らが人間の名前を連想するとき、俺らは上記の感覚をつかむ。例えば、俺らは顔のみから異人種を区別することができない。そこで、俺らは人間に対応する名札から異人種を記憶する。俺らは俺らの脳に音声や文字で命令して、対応する対象を強制的に取り出す。このとき、単語は肉体への単なる命令になり、対応する対象が忘却されている。

実現(目的)

 実現(目的) 俺は対象を名札なしに直接的に取り出したい。

 例えば、俺らが自己の脳内を光で外部へと表現するテクノロジーや能力を獲得したと仮定しよう。その時、俺らは脳内の対象それ自体を名札なしに直接的に召喚したい。例えば、俺らが剣を脳内で連想した後、俺らはその剣をポンっと映像で外部へと召喚する。

ただし、この場合、想像するのが下手な人々はまともに対象を口寄せできないだろう。だから、標準の対象を記憶して、その記憶を取り出す必要がある。俺らは脳内の映像を外部へと出していくテクノロジーや生物的機能を獲得したい。その時、俺らは既存の意味での単語を必要としない。なぜなら、対象それ自体で十分。

例えば、俺が I walk の映像を表現するとしよう。この時、俺は俺のホログラムを俺の体の横に召喚する。そのホログラムを俺の体に重ね合わせる(憑依させる)と俺がその映像に沿って運動すると仮定しよう。この時、この映像は上記の言語による脳への命令(プログラム)に近くなる。この場合、映像が肉体に対して科学実験のように機能する。

 個人的には、俺はこの種のプログラム的な単語や映像を物質に対応すると認識する。言い換えると、俺はプログラム的な映像に自由意志のなさを覚える。プログラム映像のみだと、俺らは俺らの肉体の運動の非自動性をなかなか表現できない。俺は肉体及び思考における運動の非自動性を表現したい。

また、例えば、俺らが I cognize Mongoloid race という映像を召喚して、肉体に入力する時、cognize は認識せよに感じる。けれども、認識は自然な行為であり、かつ表現であるように感じる。この種の命令的な入力は俺の感覚に合致しない。または、認識は認識しているという状態を表現する。信仰とは異なるように感じる。

俺の認識

 俺の認識 俺は脳内の対象それ自体を蟲(視蟲)と認識する

 つまり、俺らは物質に対応する視蟲を取り扱っている。俺らが物質を対象と仮定するとき、名札は視蟲である。俺らは物質に対応する視蟲を物質へと再度対応させて、映像として外部へと表現する。

例えば、剣は物質の世界に存在する。俺らはその剣を知覚して、剣に対応する視蟲をほぼ自動的に認識する。俺らはその視蟲を物質の世界へと映像として出している。「剣〜swordal」は「剣(物質)〜視蟲」に変換される。視蟲を取り扱う主体は俺ら自身(ヌシ)である。