ロゴス(思考の規範)

宗教機能
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 ロゴスは論理と翻訳されてきた。この宗教では、俺らはロゴスを「思考の規範」と認識する。この思考の規範は性規範と同じである。

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ロゴス(思考の規範)

思考の規範

 俺の認識 俺らはロゴスを思考の規範と認識する。

 異なる人種や宗教や文明は互いに異なる異なる性規範をそれぞれの民族に授ける。同様に、異なる人種や宗教や文明は互いに異なるロゴス(思考の規範)をそれぞれの民族に授ける。つまり、民族xの思考の規範xは民族yの思考の規範yと異なる。

性規範xがx系統の人間社会を形成するために存在するように、思考の規範xはx系統の人間社会を形成するために存在する。つまり、思考の規範は自然界を分析したり、論理的であるために存在するのでなく、自己の人間社会を形成するために存在する。つまり、思考の規範は会話と同様に社会形成の一種である。

例えば、古代ギリシアにおけるロゴスは論理と翻訳されてきた。俺らはこのロゴスを「推論に関する思考の規範」と翻訳する。要するに、俺らが何かを推論する時、俺らは推論に関する思考の規範を必要とする。俺らがその規範に沿って思考する時、俺らは物質世界の仕組みを知ることができるようになる。

遺伝

 俺の認識 思考の規範xは父から息子へと父系で遺伝(伝達)する。

 言語や神話が父から息子へと父系で遺伝(伝達)するように、思考の規範(ロゴス)それ自体も父から息子へと父系で遺伝(伝達)していく。つまり、異なる父系は異なる思考の規範を授ける。父系xの思考の規範xは父系yの思考の規範yと異なる。

具体的には、セム系(J系統)の思考の規範Jとヤペテ系(R系統)の思考の規範Rとハム系(E系統)の思考の規範Eが存在する。さらに、中華系(O系統)の思考の規範Oとモンゴル系(C系統)の思考の規範Cとチベット系(D系統)の思考の規範が存在する。北欧系(I系統)の思考の規範Iやドラヴィダ系(H系統)やG系統の思考の規範H、Gも存在するかもしれない。

無宗教

 俺の認識 もしある対象が無宗教であるならば、その対象は父系で授けられてきた思考の規範xを持たない。

 上記の文それ自体が一種のロゴス(思考の規範)である。もしある対象が自己の宗教xを持たないならば、その対象は自己の性規範xを持っていない。この時、その対象は可愛い女の子に発情して、すぐに群がる。当然、その対象は性に関する規範を持っていないので、自己の社会をまともに形成することができない。

同様に、もしある対象が自己の宗教xを持たないならば、その対象は自己の思考の規範xを持っていない。この時、その対象は本当にめちゃくちゃな発言を繰り返す。当然、その対象は思考に関する規範を持っていないので、自己の社会をまともに形成することができない。特に、思考の規範は建築やデザインの分野で発揮される。

性質

 俺の認識 思考の規範は物質世界(自然界)には埋め込まれていない。

 つまり、ロゴスは善悪と同様に物質世界には埋め込まれていない。だから、たとえ俺らが自然界の全てを明らかにするとしても、俺らはどの思考の規範が最も正当性を持つかを明らかにすることができない。言い換えると、どんな思考の規範が正しいのかを明らかにすることができない。

善悪もまた物質世界には埋め込まれていない。そして、人々は自己の善悪をそれぞれに作り上げる。この時、俺らはどの人間系統の善悪が最も正しいのかと疑問に思う。この時、俺らは善悪の正当性、つまり善悪の唯一の正当性を考える必要がある。思考の規範も同様である。

具体例

相互性に関するロゴス

 俺の認識 相互性の規範とは、両者がそれらの存在や状態や運動に関して相互的になるように運動する思考の規範(ロゴス)である。

 口語的には、もし俺らが相互性のロゴスを持つならば、その時、俺らは相互性を重視する。この時、俺らは「俺は良い、お前はダメ」を相互性のロゴスに反する発言として悪いと判断する。上記を書き換えると、相互性のロゴスでは、俺らは互いの存在や状態や運動を相互的になるように運動する。

例えば、朝鮮民族は大和民族をチョッパリと侮辱することができる一方、大和民族は朝鮮民族をチョンと侮辱することができない。この状態は相互性的でない。もし俺らが相互性のロゴスを持たないならば、俺らは相互性の欠如した状態に違和感を覚えない。

そのほかにも、名誉毀損や誹謗中傷に関する相互性のロゴスの欠如も観察される。この場合、ある人間は他者を名誉毀損や誹謗中傷する一方、その人間が名誉毀損や誹謗中傷されるのは許せない。だから、その人間は他人をすぐに訴えて黙らせようとする。

平等に関するロゴス

 俺の認識 平等性の規範とは、両者がそれらの存在や状態や運動に関して平等的になるように運動する思考の規範(ロゴス)である。

 口語的には、もし俺らが平等性のロゴスを持つならば、その時、俺らは平等性を重視する。例えば、大和民族の科学者や数学者は平等性のロゴスを持っていない。だから、彼らは白人をちらっと見て、彼らは二重国籍を欲しがる。

たとえ俺らが機会平等や安全保障に関する意見を提示するとしても、この種の科学者は癇癪を起こしたり、恫喝や脅迫を繰り返す、または非常に失礼な捨て台詞を吐き捨てる。彼らは平等に関する思考の規範を持っていないので、彼らはこの種の応答を見せる。

公平に関するロゴス

 俺の認識 公平性の規範とは、両者がそれらの存在や状態や運動に関して公平的になるように運動する思考の規範(ロゴス)である。

 口語的には、もし俺らが公平性のロゴスを持つならば、その時、俺らは公平性を重視する。例えば、もしある対象が公平性のロゴスを持たないならば、その対象は本当にちょっとしたことで訴えてくる。その対象は自己の好き嫌い、自己の快不快、自己の安心不安、自己の不満で訴えてくる。

学者の場合、大和民族の科学者や数学者は白人と同じ給料を求める。彼らは日本国の科学の発展のためには科学者の給料をあげることが必要であると主張する。けれども、彼らは公平性に関する思考の規範を持っていないので、その給料は公平であるのかと思考することができない。

自治に関するロゴス

 俺の認識 もしある主体が自己の自治を要求したならば、その主体がその結果に関する責任を負うように思考する。

 ここでは、責任とは、応答義務と対峙義務、後始末や損害主体である。言い換えると、もしある主体が自己の自動車をその主体自身で操縦するならば、その主体はその結果として生じた現象の後始末をその主体自身で実行する必要がある。

大和民族の学者は自治に関する思考の規範を理解できない。だから、大学が衰退する時、彼らは文部科学省の競争的な資金の結果、大学が衰退したと彼らを怒鳴りつける。しかし、もし彼らが自治に関するロゴスを理解できるならば、その時、彼らは大学の衰退の責任は彼らにあると認識する。

入室に関するロゴス

 俺の認識 もしある主体があるシステムに存在したならば、その主体はそのシステムにおける決まりに従うように思考する。

 例えば、ある人間が日本国籍を取得したならば、その人間は日本国という部屋へと入ったことになる。この場合、その人間はその部屋の決まりに従う必要がある。この種の思考の規範は当然であるかもしれない。

けれども、俺らが朝鮮民族の日本国民を観察するとき、この種のロゴスが人類普遍でないと感じるだろう。なぜなら、彼らは日本国という部屋における決まりに従うつもりはないように見える。彼らは韓国視点で話している。

ロゴス(思考の規範)と民族

 以下では、俺は思考の規範、つまりロゴスの具体例を提示するつもりである。俺らがアラブ人(セム人)の思考と地中海・欧州人の思考の規範を見るとき、俺らは思考の規範が何であるのかを感覚的に把握することができる。今、ある対象xが俺らの目の前に置かれている。俺らはその対象が人間(ホモ・サピエンス)であるのかを判定したい。なお、俺らは自己を人間であると仮定する。以下では、このとき、セム人や地中海人はどのように思考するのかを提示するつもりである。

セム人のロゴス(思考の規範)

 思考の規範 もしその対象xが自己の宗教(善悪)を持っていないならば、その対象は人間でない。

 その対象が自己の宗教(善悪)を持っていない状態は動物が自己の宗教(善悪)を持っていない状態に等しい。だから、その対象は動物である。セム人は彼ら自身のロゴスでこのように思考する。たとえその対象が人間と同じ形と要素を持つとしても、その対象は動物と同じである。だから、たとえ人間がその対象を破壊するとしても、その行為は殺人行為でなく、動物虐待である。加えて、人間はその対象を合法的に所有することができる。

宗教(善悪)には、複数の種類の存在が考えられる。例えば、サッカー系統のレッドカードと卓球系統のレッドカードが存在するように、セム系統の宗教(善悪)と漢人系統の宗教(善悪)が存在する。セム人が自己を人間と定義するとき、彼らはもしその対象xが俺らと同じ系統の宗教(善悪)を持つならば、その対象は人間であると思考する。彼らは自己と同じ宗教を持つ対象を同じ人間と定義して、その宗教に反する対象を人間でないと定義する。

この帰結として、彼らはイスラム教徒は奴隷にしてはいけないが、異教徒は奴隷にしても良いという結論が導出される。上記の思考では、ホモ・サピエンスの雌は人間でない。なぜなら、ホモ・サピエンスの雌は自己の宗教(善悪)を持っていない。

地中海・欧州人のロゴス(思考の規範)

 思考の規範 もしある対象が俺らと同じ形(形式)と同じ要素(素材)を持っていないならば、その対象は人間でない。

 印欧語族を持つ地中海人や欧州人の場合、彼らはより現実的であるように見える。彼らはある対象が自己と同じであるのかを対象の要素と形を使用して判定する。ただし、たとえある対象が俺らと同じ形を持つとしても、その対象は俺らと必ずしも同じであるとは限らないとも思考する。その例は人型の彫刻である。また、彼らは頭蓋骨の形にも非常に執着する。なぜなら、彼らは「もしある対象の頭蓋骨が俺らと同じであるならば、その対象は俺らと同じである」と思考したい。

この他には、彼らは色、知能、二足歩行、運動の仕方、言語、反応をよく観察して、自己との同一性を判定する。例えば、人間と動物の違いとは知能である。彼らは「もしある対象が低い知的脳力持つならば、その対象は人間でない(なぜなら、その対象は動物と同じ)」と思考する。だから、彼らはもしある対象が低い知的脳力持つならば、その対象は人間でないので、彼らはその対象を奴隷にして良いと結論づける。

上記の思考では、もしホモ・サピエンスの雄のみが人間であるならば、ホモ・サピエンスの雌は人間でない。なぜなら、ホモ・サピエンスの雌の形はホモ・サピエンスの雄の形と異なる。つまり、ホモ・サピエンスの雌の形は人間の形と異なる。印欧語族を持つ地中海人や欧州人はセム人と異なり、数値にも執着する。例えば、彼らが頭蓋骨の形に執着するとき、彼らは頭蓋骨の形を長さや比を用いて、自己と同じであるのかと判定しようとする。この種の思考の規範が(人種)形態学に結びついた。

この宗教では?

 この宗教では、俺らは三重の思考の規範(ロゴス)を持つ。俺らは物質的な社会を形成するための思考の規範と動物的な社会を形成するために思考の規範、そして人間的な社会を形成するために思考の規範を持つ。俺らはそれぞれを物思考(の規範)と蟲思考(の規範)とヌシ思考(の規範)を置く。

日常的には、俺らは機械を取り扱う時には、俺らは機械を取り扱うための思考の規範を適用する。俺らが動物や家畜を取り扱う時には、俺らは家畜を取り扱うための思考の規範を適用する。俺らが人間を取り扱う時には、俺らは人間を取り扱うための思考の規範を適用する。

機械(物質)

 俺らが機械的なもの(物質)を取り扱う時、俺らは機械を取り扱うために必要な思考の規範(機械ロゴス?)を実行する必要がある。この思考の規範は近代における欧州で発達して、近代科学や近代数学に取り入れられている。また、古代地中海世界でも、この種の思考の規範は論理学として発達した。

俺らが電街などの機械的な社会を形成したい時、俺らはこの種の思考の規範に沿って社会形成を実行する必要がある。その他にも、俺らが蒸気機関車や機械に関する社会を形成する時、俺らは機械を取り扱うための思考の規範を学習して、実行する必要がある。

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