真理

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 以下では、俺は真理を提示する。

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真理

真理

 俺の認識 真理とは、唯一の正当性である。

 言い換えると、真理とは、唯一の正しさである。正しさとは、正当化される善である。この時、真理とは、唯一の正当化される善である。大雑把にいうと、真理とは善悪のことである。

俺が真理を考える時、俺は善悪を想像する。善悪は自然界には存在しない。だから、俺らは善悪を無から創造する必要がある。この時、様々な人間はそれぞれの系統の善悪を創造するだろう。この時、俺らはどの系統の善悪が正しいのかという善悪の正当性に関する問題に遭遇する。そして、俺らは真理という考えを感覚的に把握するようになる。

例えば、キリスト教徒は男女平等が善であると信仰する。それに対して、儒教徒は男女公平を善と信仰する。この時、俺らは男女に関してどちらの善が正しいのかと疑問に思う。言い換えると、俺らは平等と公平のどちらが真理であるのかと渇望する。

性質

 俺の認識 真理は自然界(物質世界)には存在しない。

 善悪も自然界(物質世界)には存在しない。だから、俺らが善悪や唯一の善を人工的に創造する必要がある。もし善悪が自然界に埋め込まれていたならば、真理をめぐる争いは生じないだろう。なぜなら、その時、科学者が真理を発見して、その真理を伝達すれば、人々はその真理に納得する。

科学と真理

 俺の認識 科学(科学的な情報)は真理でない。

 この場合、科学は自然界を正確に表現する情報である。ただし、もし俺らが自然界を正確に表現する手法の唯一の善性を正当化することができるならば、自然界を正確に表現する手段(手法)は真理になりうる。一般的に、大和民族の科学者は科学を「真理」と感じているように見える。

けれども、ここでは、科学は創造主によって創造された自然界の正確な表現である。実際、科学的な情報に対応する対象は自然界に存在する。だから、もしある種の信仰者が自然界それ自体を否定しない限り、その表現(情報)の善性の正当性に関する争いは発生しない。発生するのは、その表現が自然界に実際に対応しているのかどうかである。

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